無念というほかない。
先週のことである。
木曜日、そろそろかなと思ってカボチャを収穫に行った。そんなに食えるものじゃないので、自分の分と知人の分2個をとってきた。
金曜日、愕然とした。同じ大きさのカボチャ3個の姿がない。しかも未熟のもの数個まで。
やられた!クソー。
心配なのは、スイカである。かなり熟し始めている。しかしまだ未熟なのは確かである。ということで、何もせずに帰ってきた。
翌土曜日。
やられた。4個のうち3個のスイカが無惨に喰われている。その姿がこれだ。

第二殺人現場。手前のスイカは、皮だけである。かぼちゃの生育地から約10m。

第一殺西瓜現場。この付近に4つ生育してた。
そこで、残った一つのスイカとカボチャを守るため、昨年買った籠を設置した。遅すぎた。

籠の周りに網も張った。見よ、トマトも食われている。まだ未熟だったのに。

第二殺西瓜現場にも、籠を設置した。これはまだ小さいカボチャを守る護衛籠(艦)
これで猪の攻撃を守れるか?
ところで実は安心した面もあるんです。
というのは、カボチャ3個はヘタからきれいに切除されて、どこにも姿かたちがありません。こんなきれいに獣は盗るだろうか、人ではないかと暗い気持にもなりました。
しかしこの西瓜を見て、猪と分かりました。もひとつ猪の証拠がありました。堀り残したジャガイモが4株掘られていたからです。掘るのは猪の得意技です。
人でなくて良かった。
獣め、これから闘いぞ!
そして思ったこと二つ。
猪よけの文明の利器(イノシシ檻・忌避剤・とたん板・発光器具・電気柵・猟銃・・)がない昔の人が、猪を神と崇めたのは当たり前。人の努力を無にする力を持つ、強力な存在として。
私も「しし神様、どうぞ私メの食べる分を残しておいてくださいまし」と祈りたくなったから。クマや鹿も神になるのは当然。
もひとつ。
近郊の畑がつくる人がいなくて荒れているのは、高齢化の為ばかりでないこと。
獣害に敗れ、撤退を余儀なくされたことがもひとつの原因と気づいた。高齢化と獣害、まことに強敵である。