どうも俺はテキトーでいかん/体を使った歌声(秋川雅史コンサート)

愛するカボチャとスイカを害獣(猪?ハクビシン?)から護るため、百均で1個300円のプラスチックかごを7個と籠止めを買ってきた。

 

ところが設置して見てから気づいた。この籠、網目が小さすぎて光が不足しそうだ。たけ様のような網目の大きな籠にすればよかった。あまつさえ、籠を止めるステンレス製の釘状のものは、打ってみたら役に立たない。下が畑で効かないのである。

あはは。

 

まあどういうものか、暗闇籠5個と苗のキャップ4個と何もしないでそのままのカボチャ・スイカの3種類で行くこととした。どうなるか?・・・猪様お見逃し下さい。どうか、お目こぼしを。

 

昨日秋川雅史の「千の風になって」コンサート~聞いて良くわかるクラッシック3~

に行ってきた。

 

1000人収容のホールに肉声だけで歌声を響かせるのだからすごい。「クラッシックとは、音響設備のない時代のもの」「40年間毎日声を鍛えている」「皆さんが夜殺人鬼に襲われたときに出す大声で、2時間歌う」「全力を使って元気を伝えたい」とは彼の弁。

 

曲目は、「「椿姫」より燃える心」、5月の夜、アベマリア、箱根八里、砂山、イヨマンテの夜、休憩15分、乾杯(Gベルディ)、帰れソレントへ見上げてごらん夜の星を、乾杯(長渕剛)、千の風になって、である。

 

曲の間には、マイクを使って歌にまつわるエピソード。喉と体を休めるためだろう。

そうでなきゃ、壊れちゃう。あんなに本気で声を出しちゃ。

その話を少々。

〇当時は、モーツアルトショパン等という人名より、彼らのパトロンの方が有名

〇400年前楽譜が発明されて、音曲は発達

シューベルトは、ある時自分の曲を弾けずに楽譜を捨てて演奏会場を出ていった。

〇日本初の作曲家滝廉太郎は、感染症で死亡。そのため楽譜も燃やされた。

プレスリー愛さずにいられない」は、マルチーニ「愛の喜びは」を編曲したもの。

マルチーニの「愛の喜びは」は、その後こう続く。「愛の喜びは一日しか続かない。一生続くのは苦しみ」

〇カバー曲が日本で一番多い(176人の歌手が歌っている)「見上げてごらん夜の星を」も失恋の歌。

 

彼は、やはりクラッシックのテノール歌手なのである。日本の歌曲よりも、原語で歌う曲の方が体いっぱいを使って表現していた。楽しそうであった。ただしこちらには何を歌っているか不明。原語なので。

 

日本の歌では、長渕剛「乾杯」を一生懸命歌った気がした。サビのところを何べんも繰り返したが、舞台のどんどん前に出て歌った。私も、これが一番良かった。「千の風」は、飽きた。

 

イヤー歌う方もくたびれただろうけど、聞く方もくたびれた。秋川さんご苦労さん。