夢と現実

夢と現実なんて、変な題を付けちまった。

 

実は、昨日、よんばばさんに紹介された村山早紀「さやかに星はきらめき」を読了し、一方で、昨早朝NHKスペシャル「戦場のジーニャ」を見たから、一応こんな題をつけてブログを書き始めた。きっと、まとまりのない話になろう。

 

「さやかに星はきらめき」の詳しい紹介は、よんばばさんのブログをご覧ください。

 

よんばば (id:yonnbaba) 10日前

温かさとひりひりする寂寥と『さやかに星はきらめき』村山早紀著 - あとは野となれ山となれ

地球が、天災と疫病と戦争で住めなくなり、地球人類が月を中心に、犬・猫から進化した犬人・猫人と宇宙に住んでいるという設定の話である。著者は、その時代に心優しい物語を紡ぐ。昔話が殆どである。

 

犬人・猫人の他、地球起源でない鳥人・樹木人(著者はそうはいってないけど)出てくるが、それぞれ元の特性がまだ残っていて面白い。

 

落語の「元犬」を思い出した。

 

私が感動したのは、第三章「White   Chrismas」である。

こんな話である。

荒廃して人類がすべて脱出した地球で、カーネルサンダース人形が、長い時を経て、

付喪神(つくもがみ、人間に大切にされた物に魂が宿ったもの)となり、目覚める。

 

彼は、どうして人類がいなくなったかわからない。寂しさに耐えかねて、歩き回り、遊園地跡に行きつく。そこには、案内人の少年がいて、親切にしてくれる。人類消滅の経過も教えてくれる。この少年は、AI頭脳を持ったロボットである。他の働いていたロボットは、すべて壊れてしまった。この少年も足に大きなけがをしており、頭脳もやられている。カーネル神を見て、「メリークリスマス」という。サンタクロースと思ったのだ。しかしまだ7月だった。しかも、地球は気候が変わって、冬でも雪が降らない。

 

二人は、心を通わせる。二人は遊園地内の朽ちたホテルで、クリスマスの絵を見つける。少年は、雪の降るクリスマスを、も一度見たいと、痛切に思う。カーネルは、自分がホントのサンタだったらなあ、と思う。

 

カーネルは、廃墟になった病院で、また戻ってくるという人類の意志を見つける。

 

12月が近づくころ、少年は衰弱していく。カーネルは、言う。「子供たちをお救い下さい、神様。」と。

 

ロボットの少年は亡くなる。しかし、カーネルの願いが叶い、雪がふり、トナカイも贈り物も出現する。カーネルは、働いているロボットたちや世界中にいる優しい誰かに、その贈り物を届けに出発する。

 

人類が戻って、復活した遊園地で遊ぶ子供たちの幻を見ながら出発する。

 

彼は、それがきっとかなう夢だと思っている。

原文「・・信じてる。なぜって夢はかなうものであり、彼は、サンタクロースだからだ。」

 

戦場のジーニャ」は、ロシアの侵略を押し戻すウクライナの反転攻勢の兵士たちの話である。

 

兵士たちの自撮りの映像を使っており、実に生々しい。

 

地雷を踏み、片足がぶらぶらしている映像。塹壕を出て、敵ロシア兵を撃つ映像。塹壕内の死体・重傷者。休憩中体の上を駆け回るネズミ。ドローンの不気味な音。映画「西部戦線異状なし」で塹壕戦を見たが、こちらは、塹壕戦の実写で、恐ろしい。志願兵の元ギタリストのジェイは、PTSDになった。

 

この兵士たちは、もともと市井の市民である。ジーニアは、元TVカメラマン。志願兵ではないが徴兵に積極的に応じる。ロシアの侵略から自国を守るため、普通の生活を捨て、家族と別れて戦う。

 

兵士の言葉:「殺さねば殺される」「私は敵を破壊し、敵は私を破壊する」

 

そうだろうと思う。それが戦争の現実だ。

 

ウクライナの反転攻勢はうまくいってない。兵士が足りない。負傷した市民がまた兵士となって、戦場に赴く。家族との別れは哀切である。

 

元映像技術者のマキシムは、ドローン部隊に配属される。ドローンで敵を発見し、それをぶつける。それには手榴弾が取り付けてある。

 

別れるとき娘は、「大人になったら木の棒でロシア人を殺す」と言った。それはダメと父親は言う。母親も言う。

 

娘から電話が来る。何してるか聞かれる。マキシムは、敵を殺していることは、口ごもり、とても言えない。

 

こんなのを見ると、即時停戦でもいいんじゃないかと思う。しかし即時停戦は、ロシアの国際法違反=侵略を認めることになる。

 

正義は、ウクライナにある。ウクライナの国民が戦う意志がある以上、ウクライナ兵・ロシア兵双方の死者が増えても、ウクライナを応援すべきと考え、2022年には、私は、ウクライナ大使館に些少の寄付をした。2023年には、戦線が膠着して死者が増えるので、直接の応援ではなく、赤十字社を通じてのウクライナ支援に些少の寄付をした。

 

やっぱり、俺には分からないのである。

国際法を守る正義のため、死ねと他人に言っていいのか 。いや死ぬとは限らない。死ねと言っているわけではない。悪事を見逃せない、故郷をを守る、家族を守るために戦う

兵士を応戦するのは当然とも思う。

 

分からない。

 

 

もしロシアの兵士側から作品を作ったら、殆ど相似形になるだろう。何を馬鹿なことをやっているんだ、プーチンと多くのロシア国民。

 

今早朝は、Eテレで、「戦禍に言葉を編む」を見た。ウクライナの人々の思いを集めた詩集・散文詩である。出版された本は「戦争語彙集」。これは、兵士ではなく、一般庶民の言葉である。

 

こちらにも、戦争の惨禍が、実に色濃く表れている。

「第二次大戦時、ナチにレイプされないため、母の最も汚れた服を着たという話を聞いた。今私も尤も汚れた服を着るべきか。・・戦争はきれいを危険にする

「人形劇場の子供たちの沈黙は、上演された劇への共感であり、今ミサイルを避けてここで生活している子供たちの沈黙は、何も観ていない。閉ざされた心だ」

(原文の訳文通りではまったくない、内容のみ)

 

何をやっているんだ、ロシア。

 

ガザでは、ナチスが一日に虐殺した子供よりも、イスラエルが一日で殺した子供の方が多いという。詳しくはSPYBOYさんのブログでどうぞ。

 

SPYBOY 7日前 

株高と馬地三鮮 - 特別な1日  

 

なぜアメリカは、それを止めないんだ。国際社会は、なんて無力なんだ。

ロシアの侵略を止められない、イスラエルの一般人虐殺を止められない、なぜだ。侵略や一般人虐殺は、国際社会が認める国際法違反だろうのに。

 

国連や国際法は、無意味か。

そうではないと思う。

ロシアも北朝鮮イスラエルも国連から脱退しない。おのれの蛮行を国際法に合致していると強弁している。広島長崎以降、戦時に原水爆は使われていない。国際法は存在する。

 

確かに国際法は、矛盾もあり(民族自決権と領土不可分権、人権と内政不干渉の矛盾等等)、かつ強制力もない。

 

しかしそれでも一歩一歩前進してはいる。

 

かつては、戦争にルールはなかった。今はある。実に詳しいルールがある。

かつては、敵対国を含む国際機関はなかった。今はある。国連は強制力もある。

かつては、国家同士の争いを仲裁する機関はなかった。今はある。国際司法裁判所

     等々。

かつては、戦争犯罪を裁く法はなかった。今はある。国際刑事裁判所

 

国家は、しばしば国際法を無視して自国の利益を(それは、ホントに全国民の利益か?)優先する。しかし諸国民の利益は、国家利益とは違うんじゃないか。諸国民の利益は、自国が国際法に基づいて行動する方が大きいのではないか。

 

全ての国民は、自国政府が、国際法を守るよう働きかけよう。

 

 

村山早紀「さやかに星はきらめき」では、地球文明の滅亡が語られる。その原因は詳しくは述べられていない。

 

一方この小説では、人類、(いや宇宙の全知的存在のかな)、夢と言うか希望が語られる。優しい話として語られる。

 

最後の方で、登場人物は言う。

「・・・一人一人の夢は生きているうちに叶わずとも、いつか時を超えて、どんな困難にも打ち勝ち、過去の世界に倒れた誰かの祈りと願いをかなえていく・・・」

 

私は、この言葉にひそかに同意する。

 

おっと、面白い事にも気づきました。この3つの話し、小説・映像・詩集に共通するものがあるんです。

 

猫です。

 

小説では、この超未来SFの中の編集者は、猫から進化した人類即ち猫人です。その本の第一話では、過酷な環境の星で、ただ一人生き残った少女を助けるのは、猫と犬です。これが猫人・犬人の誕生にかかわります。

 

映像では、過酷な塹壕で戦う兵士を慰めるのは、猫です。ネズミ退治にも活躍します。

 

詩集にも、ロシアの侵略で逃亡する際、猫を置いてきた話、猫に慰められている姿が出てきます。

 

猫様、犬様、バカな人類がおのれの罪業の為、滅亡し(その方がいいのかもな)、その一部が宇宙で再出発する際には、どうぞ馬鹿な人類をお助け下さい。