戦争を考える歌たち

昨日の福島民報「あぶくま抄」(一面の随想、朝日の天声人語のようなもの)

に、「SMAP」の「Triangle」が今静かに広まっているという文章があった。「大国のヒーローや戦火の少女、それぞれ重さの同じ尊ぶべき命」という訴えが共感を呼び、争いが何とか収まってほしいという願いにつながる、と筆者は言っている。


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そうなんだ。命は奇跡なんだ。命はいつかは尽きるけど、銃で奪っちゃいけない。

銃口は、見ている僕たちにも突き付けられている。

 

そしてプーチンには、次の歌を贈りたい。


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プーチンよ、よく聞けよ。ロシアの若者よ、よく聞けよ。

 

俺は、ゼレンスキーにこの歌は贈らない。ロシアが悪いのであって、ウクライナは悪くないんだから。戦うのも当然だ。ただしこんな若者がいるなら、許してやれ。そして戦争にならぬように、政治家として努力して欲しい。ドンバスの東地域の自称独立地域は、ずっと前に独立させればよかったんじゃないか。勿論そこの地域でウクライナに残りたい人をしっかりと保護して。そうすれば、この戦争は起きる可能性は低かったと思う。プーチン集団的自衛権を理由に侵略する言いがかりを与えなかったはずだから。

 

 

国家とは罪深いものだ。

国家とは、多数派(見せかけも含む)がおのれの利益のため暴力を独占し、時には少数派を弾圧するものだ。いやだいやだというなら独立派の独立を認めてやれ。協議離婚ってあるだろう。その方がお互い、楽だろう。少なくとも戦争は回避できるんじゃないか。いやだ俺のところにいろ!というなら大切にしろ、少数派を。

 

世界は、少数派が我慢できないなら平和裡に独立できるルールをつくれ。

 

ジョンレノンも歌っているぞ。国家のない世界を想像してご覧、と。国や宗教のために死ぬことなんてないよ、と。


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ベトナム戦争中、「花はどこへ行った」という歌が流行った。


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いつまで人類は、殺し合いなんてするんだろう。

少し賢くなろうよ。人類よ。

とはいっても、現実に戦争は起きている。

日本の安全保障はどうやって、これを考えねばならぬ。

ある人は言う。米国が衰える故、「日米同盟」はもう頼りにならぬと。ある人は言う。

いや「日米同盟」をうまく活用するのが、絶対条件だ、と。

 

このところのウクライナ戦争で、気をせかれて、3つの本を読んだ。

いろいろ勉強になった。

分からぬところもいっぱいあった。

しかし、現状の武装同盟(自衛隊・安保条約・一部集団的自衛権行使、2015年~)から武装同盟(自衛隊・安保条約・専守防衛、1999年以前)に戻し、さらに武装中立自衛隊存続・安保条約廃棄)、そして非武装中立自衛隊なし・安保条約なし・集団安全保障体制)を目指そうという私の考えは変わらなかった。

 

「日米同盟≒安保条約」が頼りにならぬなら、憲法9条をもとに考えねばならないだろう。憲法9条は、武装同盟(専守防衛)も武装中立非武装中立も認めている。そう解釈するのが、現在の国民の多数である。だから憲法9条からは、あるべき安全保障の姿は見えぬ。

知恵を総動員して、われらの人権・生命・財産・幸福・日常生活を守っていこう。

歌の最後に沢田研二の「わが窮状」をどうぞ。


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9条を守るという事で、それぞれどういう安全保障を考えるか。ジュリーはどう考えているのか。非武装中立か、武装中立か、武装同盟か。

答えはない。多分ずっと。