早朝南相馬市鹿島区の真野川沿いを歩いてきた。土手には、左右両岸あわせて100本近い桜の木がある。
蕾の先端が濃いピンク色である。開花寸前。
昨年の桜の頃には、2歳の孫と相馬の自宅からお城跡を散策した。わが人生の中で最も幸せな時の一つだろう。
今年は離れて暮らしているのでそのチャンスはない。来年は同居再開のため、チャンスがあるかもしれない。その時は、4歳か。2歳とはずいぶん違うだろうなあ。頼り切った子と自立し始めた子。あれは二度とない貴重な一瞬だったのだ。
小雨が降っている。「春雨じゃ、濡れて参ろう」という気分にはならない。
妻の実家に仮住まい中であるが、先日の地震で屋根が壊され、雨漏りが心配である。
まだブルーシートで応急処置中である。
地震数日後の雨では、3部屋で雨漏りがあった。3部屋20数か所ともなると、バケツ、ごみ箱、たらい、だけでは足りず、鍋など総動員である。
その夜は、寝床のそばの雨だれを聞きながら寝た。
ショパンの「雨だれ」のような大きな変化はなく、単調な曲想だったので、眠れた。
この音楽を聴いても、現在の私は、ウクライナのことを連想する。
穏やかだった日々。それを壊すいくさ。侵略軍。不穏な音。募る不安。
しかし、やがて再び平穏が戻る。一つの高音。
穏やかだった日々の底では、実は戦争の種がまかれ、育っていたのだ。
世界の人々の、平和維持への無関心・忘却を土壌に、NATOの不用意さを肥料に、プーチンの妄想という種は、育っていた。水をくれたのはロシア国民か。
どんな平穏がいつ戻るのか。この瞬間にもウクライナでは、貴重な人生を断ち切られている人がいる。