今日(2023.3.17)の新聞記事を読んだ感想

(1)日韓関係改善

日韓両首相会談で、関係改善の方向が確認されたのは良い事だ。首脳の相互訪問の約束は非常に良いことだ。また徴用工問題から派生した貿易や安保関連の軋み解消も良いと思う。何せ韓国は、緊密な交流のある隣国であり、民主体制でも同じ国家、少子高齢化問題でも同じ課題を持つ国だからである。この良い傾向は、韓国側の妥協によって起きた。同国内には、これに反対する動きもあるので、日本政府は陰にまわって、現韓国政府を応援すべきであろう。

注意すべき点は、韓国前政権の対北融和政策である。その方が朝鮮半島には良い事かもしれぬ。さらに、それは日本にとっても良い事かもしれぬ。今後韓国政府の外交が、元に戻るかもしれぬ。その事は頭においておくべきである。日本は日韓協調は良いが、軍事に踏み込むべきでない。

(2)辺野古沖軟弱地盤工事問題で、沖縄県が敗訴

国の新規の軟弱地盤工事に対して、辺野古基地そのものに反対する沖縄県が、新規工事を止めるべく司法に訴えた訴訟で、司法は、国側勝訴(県側敗訴)とした。今後最高裁でも争われるが、国側勝訴だろう。司法は、国側の方を持つからというのではない(その傾向は大いにあるけど。笑)司法は、主として手続き上の適否の判断をしているからである。

 

問題の本質は、司法にはない。司法はかつて、安保条約の合憲・違憲の判断を国民にゆだねた。これと同様、辺野古基地問題も、司法の判断に関係なく、政府の安全保障上の政策を国民がどう考えるか、という事かかっている。

 

私は、武装中立(安保条約廃棄)から非武装中立を目指すのが、安全かつお得と思っているが、今はそれは置く。

 

安保条約(≒日米同盟)を認めるとして、米軍普天間基地の危険性除去のため、辺野古新基地を造るのがいいかどうか、という問題である。

 

私は、辺野古新基地を造らずに、普天間基をそのままなくすべきと思っている。

 

普天間基地にいるのは米国海兵隊である。海兵隊は基本、敵基地殴り込み部隊である。専守防衛の日本に合わない。次に海兵隊は機動性を持つ、戦争はすぐには始まらない。軋轢が高まった段階で、嘉手納基地に来ることにして、通常米国領土においてもいいのではないか。

 

さらに米軍基地という(必要有益だが)迷惑施設を沖縄に集中させているという事の問題である。有益必要となれば、日本全体で負担すべきでないか。維新の誰か?が言っていたように、大阪で引き取ってもいいのではない。どこかで引き取るべきではないか。沖縄の住民自治の意思は、辺野古基地反対である。それを尊重すべきではないか。

 

これに関連して、近時自衛隊の沖縄を含む南西諸島への配備強化が進んでいる。今導入しようとしている敵基地攻撃の自衛隊基地も南西諸島に配置されるのだろう。一方私は、米中や日中の「有事」は、全面戦争にはならず、有事事態は、沖縄近辺で収まる可能性が高いと思う。

 

こう考えると私は、日本国民及び日本政府は、沖縄を再び太平洋戦争時の「捨て石」にしているのではないかと感じる。それは良くない。

 

話を辺野古新基地に戻せば、民主党政府時代の「海兵隊基地は、米国または少なくとも県外に移転」にすべきと思う。それによる不都合は、全国民で引き受けるべきである。

 

(3)「海保は非軍事を明確に」

東京社会部の内橋記者の意見である。彼は、「政府の外交防衛方針の大転換は、海保と海自の連携強化を言う。また、一部国会議員の中には、海保法25条(海保またはその職員が軍隊として組織され、訓練され、軍隊の機能を含むことを禁止)の改正を言う人がいるが、これに反対」という。

彼の理由は、

①軍事と警察(海保)の領域をあいまいにすると、海警局を軍の指揮下に編入した中国に活動の拡大をする口実を与えることになる

フィリッピンベトナムが軍以外の公船を持つのは、中国との対立の「緩衝材」

としての役割を持つからだという。軍同士だと話し合いが難しい。日本の海保も同様の役割を持つ。

③法と秩序の支配する海洋秩序を言う日本は、海保は非軍事と一貫した姿勢を貫くべき

 

海保を海自の指揮下に、海保を海自と同じようにという動きがあるとは思ってなかった。この内橋記者の意見に賛成である。中国に口実を与える、緩衝材としての海保、この二つ、その通りと思う。これに関連して、私は国連のPKO活動も、自衛隊と別組織で行うべきであると思っている。

 

(4)論点「富国と強兵」

鎮目早大教授

①富国と強兵は、トレードオフの関係(二律背反)。明治政府は初め富国に努力、経済力が伸びて「日清・日露」戦争→一次大戦参戦→太平洋戦争へ。1885年~1936年軍事費は、対GDP比5%であったが、44年度は、8割。これは、「富国無き強兵」であった。そのため大衆消費社会の芽は摘まれた

 

②戦後は、強兵無き富国(国防費対GDP比1%以内)が高度成長を生んだ。戦前石橋湛山は、「海外権益を放棄して国防費を抑え、平和的通商国家」を唱え、当時空論と批判されたが、日本の戦後は、石橋が正しかったことを証明した。

 

③中国が日本を経済力軍事力で圧倒する現在、外的環境は変わった。日本のみ「強兵無き富国」は続けられない状況である。必要があって防衛費を増やしても「軍事大国にならない」宣言必要。一方で少子化・地球環境という問題も出現。国防はコストでもある。この辺どう配分するのか、政府の説明を求める。

私の感想。

①政府の説明でなく、自分の配分策を述べてほしいものだ。

②富国と強兵が二律背反なら、「強兵をやらず、富国を狙った戦後方式」を進めようとすべきだろう。つまりは、現在では中国の敵にならぬことだ。勿論米国とも敵にはならない作戦である。それは戦後の国連の理想や国際法に合致している。

石橋は植民地権益(朝鮮・台湾・南樺太南洋諸島)を捨てよ、と言った。その権益確保の為軍事費が、かかるからである。今は、植民地はない。

今の強兵政策は、米国の半植民地故の強兵である。米国の利益の為強兵が必要になっているのである。強兵のもととなる米国の半植民地をやめればよい。安保条約廃棄をすべきである。安全策として、1979年日中平和友好条約の実質的強化を目指すべきである。

 

吉田京大教授

①安全保障は、外交・政治経済・文化等総合的視野から議論されべきもの。戦後は、安全保障=軍事と考えるタカ派反戦平和に基づき議論を拒否するハト派の対立があった。しかし近頃の若い世代は、対立軸がない。安全保障に関心がある層と無い層に分かれるからだ。

②安全保障に関心を持ってもらうには、ミリタリー趣味の映画(例えば映画「風立ちぬ」・アニメ(例えば機動戦士ガンダム)・SFなどを推奨するのが良い。これらは、好戦的でも非現実的反戦でもないものが多い。

③ヒットした「海猿」の延長上に、安全保障があるという意識を育てたい。

④この1年間安全保障専門家のメデイア露出が増えたのは良い。

⓹ただし安全保障を軍事以外に広げた議論は少ない。軍事を孤立化させてはならない

感想

そうか、若者は安全保障に関心がないのか。それは良くないことだ。確かに「風立ちぬ」は、好戦的でも非現実的反戦でもなかった気がする。

 

私は小中時代ミリタリー趣味があった。軍艦の模型作りなんか好きだった。戦艦大和零戦をかっこいいと思った。戦記物を読むのも好きだった。マンガ「紫電改の鷹」なんて大好きだった。でも高校ごろから反戦・安保反対・非武装中立なんかをぼんやりと考えるようになった。

 

うーん、この先生の言う通り、安全保障に関心を持たせるためにミリタリー趣味を推奨するのがいいかもな。

 

勿論それだけではダメで、戦争の被害・加害の実相を知ることも推奨すべき(「火垂るの墓」「二十四の瞳」体験談「戦争」・「きけわだつみの声」・・・・)。

 

さらに戦争原因を考えることも推奨すべき、というか、被害・加害を知れば、どうしてこうなったかは必然的に頭に浮かぶ。

 

はだしのゲンは、教材にいいと思う。ところが何を考えたか、広島の教育委員会。「はだしのゲン」を教材から外すとのこと、それおかしいよ。ほとんど被爆の実体験だもの、知らせるべきものだ。

 

香田洋二元自衛艦隊司令官

ウクライナ戦争から学ぶべきこと二つ。「外交の限界」と「専守防衛」の限界。

A「外交の限界」の例・・・核を持つロシアは、相手国民の意思をそぐためには国際法違反の「病院への攻撃もする。

B「専守防衛の限界の例」・・・被侵略国による侵略国の本土への攻撃を禁止すれば、多くの国民の命を落とす覚悟が必要。

私の感想

Aは戦時下での国際法違反という出来事。外交と違う。外交は基本、戦争を起こさない方策を言う。

B変な議論である。ウクライナに侵略国ロシアの本土を攻撃する能力があって実行したたらどうなるか。ロシアの攻撃も激化し、もっとウクライナ国民の命を落とすことになる。

ウクライナの善戦の主因は、国民の政権に対する信頼だ。これは民主主義国にとって一番大事。その点岸田内閣の安全保障政策は納得できない。「マッハ5以上の極超音速誘導弾」「12地対艦誘導弾改良」「衛星コンステレーション」だとかは、机上の空論だ。自衛隊の身の丈以上だ。「12式・・・」は、射程を5倍にするもの。設計をはじめからしなければならない。簡単にできない。「トマホーク」も指揮管制システムをどうするか、全く説明していない。岸田内閣には国民に説明しようという気がない。今のままでGDP2%にしても、自衛隊戦力は上がらない。

感想。

「戦争では、国民の政権に対する信頼が絶対必要」、その通りと思う。また、岸田の考える軍事力が軍事力として可能かどうか、どうも机上の空論だろうなと思う。

 

さらに、敵基地攻撃能力なんて持てるのだろうか。それは抑止につながるのか。敵の日本攻撃の口実にならないか。相互不信による偶発的衝突を引き起こさないか。疑問である。

 

③外交を尽くしても実戦になれば人は死ぬ。その時民間人の死を最小限にするため自衛隊は命を盾に活動する。そのためには国民に支えられる組織でありたいと願う。真面目に国会論戦をせよ。

感想。

私が安全保障に関心を持つようになったのは、中学の先生が何かの時「日本が攻められたら、自衛隊に先に死んでもらうべ」という言葉からだった。暗ーい闇を見た瞬間だった。自分の命を他人(自衛隊員)の命で守ってもらっていいのか、という疑問。

少なくともこうは言えると思う。

「民間人の死を最小限に抑えるよう、自衛隊が命を盾に活動」しなくとも良いように、国民は国家が戦争起こさぬよう、しっかり考え行動すべき。

参考

 

a0153.hatenablog.com