米国による謀殺かー下山事件

NHKスペシャル「未解決事件シリーズ10・下山事件」のドラマとドギュメンタリーを見た。折角見たので、備忘の為、内容と感想を残しておく。

 

まずは、第2部のドギュメンタリー。

下山事件は、1949年7月、下山定則国鉄総裁が国鉄線路上で轢死体で発見されたが、自殺・他殺とも断定されず、犯人不明の迷宮入り事件である。

 

このドギュメンタリーは、他殺説を取り、殺害はGHQ支配下のキャノン機関あるいはCICが深く関係しているが、実行犯は不明、という調査内容を示している。

 

調査の中心は、取材班が手に入れた布施健検事を中心とする極秘の捜査資料(15年分、700頁)である。その内容は以下の如し。

〇自殺説の捜査一課と他殺説の捜査二課の考えの対立しつつ捜査していたが、警視総監

 からの指令で捜査中断

〇布施以下少数は、馬場次席検事の了解のもと、極秘に捜査続行

〇その中で、韓国人李中煥が浮上。李は、詳細な事件経過(秘密の暴露あり→真実性高

 まる)と事件へのソ連の関与(下山を消せと言う指令)を口述。李は、日本生まれ、

 モスクワ共産大で学びソ連大使館の諜報部勤務という。

〇李への捜査が朝日新聞にすっぱ抜かれ、世間の知るところとなると、李の元仲間の渡

 辺修二が出頭。彼は李の証言は全くの嘘と証言。李と米国のつながり示唆

〇捜査は、米国の諜報機関(キャノン機関)へ伸びようとしたが、上からの圧力で頓挫

 

NHKはかつて、キャノン少佐を取材。しかし彼は、下山事件や同時期の三鷹松川事件

との関係を完全否定。(1977年)

 

今回のNHK取材班の取材で分かったこと

〇キャノンの側近の部下ビクターマツイの米議会での証言

 「キャノン機関は、ソ連のスパイを米国のスパイとし(2重スパイ)、ソ連共産主義への批判の雰囲気を醸成をしてた」

 

〇米公文書館文書で、キャノン機関関係の記述を発見

あ。キャノンとビクターマツイと李の繋がり

い。「布施検事は、でっち上げと分かるまで、李のストーリーを追うだろう」

 

〇アンドロ・シャダック(96)(キャノン機関最後の生き残り)にインタビュウー。

共産主義者を2重スパイにして使っていた」これ以外語らないで死亡。

 

アーサーフジナミCIC=米陸軍対敵諜報部の主要人物)の娘の、聞き取りメモ

CICは、下山が共産主義者ではないかと尋問した。その後暗殺された。」

 

〇鑓水(読売新聞記者=下山事件追及、右翼の大物児玉源太郎接触)の息子の証言。

鑓水に対して、児玉はこう言っていた。

児玉「下山は米軍の力によって殺害された。米軍は朝鮮有事に備えて、国鉄を米軍の為自由に使いたいと思った。しかし、下山はそれに抵抗したのでやられた」

 

下山暗殺は、米軍の仕業のようだと推測できるが、如何せん、あくまでも娘・息子の伝聞証拠である。断定はできない。NHKも最後は、傍証で終わっている。

国鉄三大事件(下山・三鷹松川事件)後の国鉄10万人首切りは平穏に実施

〇1950年朝鮮戦争が起きると、米軍は自由に国鉄を使用。軍人・軍需物資を運搬

〇1951年吉田茂は、「下山事件は、一韓国人の仕業」と発言。

 

このドギュメントは、キャノンの側近マツイのインタビュー証言で終わっている。

「当時日本政府とGHQは、共闘関係であった。それが現在の日米関係につながっている。あの頃共産勢力が強くて、日本は米国と共生していなかったら大混乱であった。

日本政府は、米国から情報を得て的確に判断していた」

 

このドギュから浮かんだ、私の戦後についての感想

1949年は、ソ連の核実験成功、中華人民共和国の成立等、世界で共産主義勢力の伸張が見られ時だった。日本でも、1947年社会党連立内閣成立など、社会主義勢力の大きな伸張が見られた。

これに危機を覚えた米国は、占領政策(日本の民主化・非軍事化)を転換し、日本を反共の砦としようとした(48年米陸軍長官演説)。同年公務員の争議権停止、経済復興のため緊縮財政(デフレ政策)を実施。その結果の失業者増・労働運動激化という時代であった。

 

労働運動の中心国鉄労組(60万人)が日米両政府に狙われたのは当然であった。国鉄労働者の10万人の首切りとそれに抵抗する労組、労組に同情的な下山総裁の存在は邪魔だった。

「アメ公が下山を殺害し、それを労組・共産側に擦り付けた」(鑓水の言葉-息子の証言)のが本当だろう。それにより、労働者側の力がそがれた。また反共の意識が植え付けられた。

 

日本の戦後の路線(米側に属し反共の砦・経済発展中心)はこのようにして形成された。その犠牲になったのが、下山・労働者・社会主義共産主義者である。

 

10万の国鉄労働者の首切りと口では言うが、仕事を失った彼等と家族はどうやって食っていったのだろう。悲惨な生活が想像できる。アカとよばれることもあったに違いない。間もなく起きる朝鮮戦争の特需で息をついたか。

 

さてこの戦後路線は、経済の大発展をもたらし、1990年代、日本一国で世界のGDPの15%!!を占めるまでに至る。経済的には大成功と言える。故に私は原則として自由主義経済(市場経済)を維持し、その弱点・欠点を補強すべき(修正資本主義・福祉国家)と思う。

 

一方、アメリカがもたらした民主主義は、国民にある程度根付きつつも、自民党の為政の邪魔になる面があり、自民党によって弱体化されてきた。民主主義の主要勢力=労働組合も、この国鉄三大事件を発端に、弱体化し現在に至る。労組の再興が必要だろう。

 

また、民主主義を大切にする政党を育成することが大切。それができない場合でも、自民党を弱体化しておくことが肝要と思う。政権交代が必要。

 

また、占領政策初期のアメリカがもたらした平和主義は、戦争に懲りた国民に極めて強く支持され、長く日本の国是となった。それは前のブログで言った自民政権下の軍事大国化抑止政策に顕著である。

 

しかし、戦争に懲りた国民の退場により、平和主義もどんどん壊されてきた。現在もその動きが加速しつつある。

 

その動きは、別に言えば、米国流安全保障(武力による戦争抑止力重視)であるが、それが安全保障に役立つかどうかが根本問題である。(強大な軍事力は、戦争を抑止するか戦争を招くか)

 

米国流安全保障は、事実として多くの戦争を引き起こした。また、米国に対抗できる勢力が台頭した場合、大戦争を招く危険があると判断する。故に別な安全保障方式を探るべきと思っている。

 

私はそれを、現在の武装同盟(専守防衛逸脱)を武装同盟(専守防衛・1999以前の自民党政策)に戻し、条件を整えて、武装中立(安保条約の軍事面排除)さらに非武装中立を目指す作戦がいいと思っている。

 

またいつもの主張となった(笑)

長くなったので、ドラマの方は別に書こうと思う。