見あきない映像ー「東京物語」−、家族愛、自民党憲法草案

近頃は政治や経済のことばかり考えていて、せっかくこの4月から完全退職したのに、どうも人生を狭くしている気がして、一番評価が高い日本映画「東京物語」を見た。(どうしてこういう発想になるの?)一番というのは、外国での評価らしく、まったくの未確認情報である。例によって妻がTV放映を録画していたものである。

もう何回目だろうか。少なくとも過去に3回は見ているなあ。いつも思うのだけれど、この「東京物語」、どこがいい映画か、一体どこに多くの人が感動するのか、私には、良くわからぬ映画である。感動ということで考えるのが間違っているのかもしれない。「二十四の瞳」「鉄道員」「ライムライト」「男はつらいよ」の数作、「禁じられた遊び」と、自分が感動した映画を思い出しても、「東京物語」は、いまいちわからない。ただ、自分が感動した映画と共通することがある。それは、何べんも見たくなるということだ。それが名画の証拠なのだろう。この「東京物語」は、ある場面をいつまでも見ていたい、という気持ちを起こさせる不思議な映画である。
私は、特に、夫婦の会話が好きである。お互いを思いあい、子どもを思う気持ち。笠智衆、名演技だな。いつかどなたかブログ知人に聞かれて「好きな俳優いない」ッて云ったけど、訂正します。笠智衆、好きだ。

いつまでも見ていたいものー私にとっては、あまり派手でない花、里山・里村・澄んだ川の流れ、穏やかな海、青空に浮かぶ雲
、そんなものかな。自然なもの、悪意がないもの、作為を感じないもの、穏やかなもの、懐かしいもの、そんなものだろうか。

東京物語」には、花は出てこない、風景は少ない。熱海の風景は、主人公たちの背景でしかない。ただ尾道の風景だけである。

東京物語」は、夫婦・親子・兄弟姉妹の会話の風景が殆どすべてである。夫婦・親子・兄弟姉妹の心の動き・通い合いに、自然な感じがあり、悪意がなく、作為を感じない、穏やかな懐かしいものなのである。

町医者の長男やパーマ屋の長女は、初めて上京した両親の面倒を見なきゃと思いながらも、自分の仕事を優先にする。ある意味では、親を邪魔にする。しかし、それもやむを得ないことである。自然なことである。両親の方は、邪魔にならないようにという心遣いをする。そのため、夫婦は、別行動になる。良く面倒を見たのは、8年前に戦争で死んだ次男坊の未亡人である。両親は、この未亡人に感謝しつつ、「気を使わないで再婚したら」という。未亡人の方も、義理の両親に心遣いをする。そして、あたらしい生活を望む心境を吐露する。それを義父は、応援する。・・・全て、全て、全て自然な心の動きなのである。

妻を失った父親は、末っ子の娘と2人暮らしになる。この娘が嫁に行ったら、独り暮らしになる。この末っ子は、兄や姉を非難するが、義姉は「それぞれの生活があるのだから」と弁護する。全て自然な心の動きなんである。末っ子は、やがては、嫁に行くか父親の面倒をみるか悩む時が来るかもしれない。・・・・


まったく突然であるが、
自民党憲法改正草案第24条第一項を思いだした。憲法にない、あたらしい規定である。それには、こうある。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない

何という上から目線であるか。ばかやろう。余計な口出しである。不遜な言い方である。お前達、何様の気しているんだ。えばるんじゃない。不自然なんだ!自民党のお偉いさん達(憲法制定委員会=安倍・麻生・森・石破、自民党有名人ほとんど)、一体何様のつもりなんだ。道徳を言える程偉いのか。

俺たちをほっておけ。馬鹿。俺たちは、自然な気持ちで家族を作り、悩みながら、限界も感じながら、それでも家族を作ろうとしたり、助け合ったり、憎んだり、悲しんだりしているんだ。余計なことである、馬鹿。道徳に口出しするな。個人の生き方に口出しするな

まずは自分たちが、道徳的に行動しろ。マスゾエみたいなやついないか。甘利はどうした。うちわはどうなった。観劇代どうのこうのなんてどうなった。嘘つくな。誤魔化すな。自分の利益だけで動くな。高いかねもらっているんだろ。

家族は助け合わねばならない?だって。そんなのいわれなくたって知っている。やっている。馬鹿。非正規低賃金労働で、家族を作れない若者はどうすんだ。老親の介護でくたびれて心中する人だっているんだぞ。馬鹿。

若者が結婚できるような環境づくり、老親が子どもに迷惑かけなくたって生きていける環境づくり、それがお前らの仕事だろう。ばかやろ。何をえばっているんだ。ちゃんとした仕事もしないで、えばるんじゃない。
「健康で文化的な最低限度の生活(現憲法26条)を全員に保障してから、憲法改正いい出せ、馬鹿。テイシュ食ってた子いるんだぞ。15で売春してこれで上履き買える言ってた子がいたそうだ。介護に疲れ、両親と川に入って心中を図った中年女性がいるんだぞ。憲法の規定通りに、皆生きられるよう努力しろ、馬鹿。憲法改正なんて、それから言い出せ。

映画の町医者の長男やパーマ屋の長女に、「仕事優先でなく、両親の面倒を見ろよ」、と言うのか?「尾道に帰って両親の面倒を見よ」、とでもいうのか。両親に、「憲法の規定上お前たち、田舎に帰って俺たちの面倒を見ろ」と言え、とでもいうのか。憲法=社会全体の意思で、末の娘に、「親の面倒見るため、結婚は諦めろ」とでもいうのか。・・・。

そりゃー、言っちゃいけないことだよ。家族同士が言うのはいいさ。当り前さ。大いに話し合えばいい。親戚が気を使いながら言うのもいい。しかし、国家や社会全体や多数派は絶対言っちゃいけないことだ。

こんなことを言い出す、自民党憲法改正草案を作ったやつら、いったい何さまの気しているのか。こんな自民党を支持しちゃいけない。

ひとり者や子のない人は、やがて「憲法に書いてあるので、結婚せよ、子どもを作れ」、といわれるかもよ。憲法に書いてあるからということで、都会で働く人は、老親の面倒をみるため、田舎に帰れと言われるかもよ。

「家族は助け合わねばならない」だと、そんなの当然だ。しかし、憲法=社会全体=世間様に、言われる筋合いはない。そうだろ、みんな。

東京物語」は、実は深刻な物語なのかもしれないね。

東京物語」は、自然な家族愛を美しく表現している。自然な家族愛に、国家や社会が口出すと、極めて醜悪になるのだ。口出しするな。

家族愛は、自然なもの、里山・里村・澄み切った川の流れ、そんなものだと思う。憲法=社会全体のやるべきことは、個人の、個々の家族の自然な愛情の発露の邪魔を取り除く、それだけでいい。それしかできない。いや、それしかやっちゃいけない。