いつまで続くやら/秋の様々な想い

昨日のスタンディングではちょっとしたハプニングが起こりました。

私も含めて3人で長い横幕を持ってたのですが、私の右側の人がふらふらとして、歩道から車道の方へよろけました。あわてて体を押さえました。自転車で参加している人なので、帰りが心配です。結局原町から応援に来ている人が、その人の自宅に送り届けてくれることになりました。自転車は別な人が乗って自宅に届けることになりました。

この人は、80歳くらいのおじいさんです。私の左側の人も同じくらいの年齢のおじいさんです。
私も含めて参加者8人すべてが60歳以上です。いつまで続けられますやら。


小学生たちがやってきました。横断歩道を走ってわたり、私たちの前を過ぎていきました。さすが、元気ですね。

今日の私のプラカードです。成立した安保法制で、「駆けつけ警護」と言う戦闘行為に自衛隊が踏み込みそうです。眼前の風景は昨年と変わりありませんが、安保法成立後日本国の風景は大きく変わっています。(見えませんけど)

その後、妻の実家にサトイモのトン汁を持って表敬訪問に行きました。特攻隊生き残りの義父と酒を飲んできました。いつものことです。私の地元の酒屋に行ったら珍しい酒がありましたので持って行きました。古代米酒とかで、赤い色の日本酒です。奈良時代平安時代の人々は、こんな赤い色の酒を飲んでたのでしょうか。

甘い酒でした。義父「なんだ、これは。酒、みででねーな(酒のようでないな)」、ということで、いつもの月桂冠上選となりました。
義母は、足がしびれるとかで、寝ていました。義父とは、終戦直後の話をしてきました。いつもの話です。

帰り際、義父と同居の義妹が「父も母も認知症になりかかっている。毎日振り回されている。時々来てくれ。」と言っていました。
義父89歳、義母85歳ですから無理もありません。義妹は、まだ現役の看護師(ただし昨年からパート)。辞めたいんだそうだけど人手が足りなくて、やめられないとのこと。なにしろ、原発事故で有名になった南相馬市の病院の看護師です。人手不足です。妻の実家も大変になってきました。

義父母の老化に伴い、妻の実家では、所有する田畑にアパートを作り、貸し出すことになりました。それを私は(妻もですが)不動産業者の口車に乗せられていて、危険ではないかと思っています。仲介業者は、日本で最大手の会社ですが、日本での不動産投資に不安を感じます。何せ人口減ですもの。少なくともいろんなものに分散投資した方がいいと思います。一応そうは言ったのですが、妻の相続に関係してきますので、強くは言えません。難しいものです。義父が年老いて、田畑仕事が出来がなくなったのがその誘因です。義父は、戦後農業改良普及員をしてきました。田畑を大事にする仕事です。ですから妻の実家の変化には、日本の、どうしようもない大きな経済構造の変化と農業の衰退と言う根本原因が横たわっていると思います。

今日は、畑に水やりをした後、散歩に出ました。小学校では太鼓に合わせて運動をしていました。その隣の公園では、母子が4組、温かい日差しを浴びて、遊んでいました。お母さんたちは、幸せそうに見えました。人生の至福の時です。しかし、それぞれの家庭もいろんな困難を抱えていることでしょう。

写真が悪くて、幸せそうな母子の姿が小さくて見えません。

野の道に出ますと荒廃田畑と賃貸アパートが目立ちます。30年前まで、これらは皆田畑でした。渡辺京二「逝きし世の面影」で紹介された、殆どの来日外国人が「世界で一番美しい田園風景」と言った日本の里村風景は、消えつつあります。(いや過去完了でしょう)TPPで自由貿易が進むとますます田畑はなくなるでしょう。その対抗策は、企業による大規模栽培の経営しかないでしょうか。

イオン等の巨大な資本による小売りチェーン店の集積です。
消費者に安い商品が手に入ると同時に、多くの自営小売店の衰退・閉鎖、ひいては地域社会の崩壊が起こりました。農業も同じ道を歩んでいます。やむをえないことなのでしょうか。

野の道を歩いていきますと、トンビとカラスの空中戦が行われていました。写真に撮ったつもりですが写っていませんでした。

家の近くに戻ってきますと、ごく近くの池にハクチョウが2羽飛来していました。もうすぐ冬です。