「核の傘」より「法の下」で暮らしましょう。

昨夜、良いニュースで且つ残念なニュースがありました。

国連の軍縮委員会が、「核兵器禁止条約」について来年から交渉を始めると言うことを、123か国の賛成多数で決めたそうです。良いニュースです。一方日本国政府は、これに反対の票(38か国)を投じたそうです。残念なニュースです。

一方日本政府も米国と共同で、核廃絶決議を提案し、167か国の賛成で採択されました。

この二つの決議は、結局核廃絶へのアプローチ違いです。

日本の核廃絶決議は、核拡散防止条約(NPT)を中心に核廃絶を目指そうと言うものです。毎年出されているもので、特に変わったことがあるわけではありません。

NPTは、米露英仏中に核兵器保有を認め、他国には、核兵器保有を認めないと言う不平等条約です。その不平等を緩和するため、核兵器保有国どうしの軍縮推進の義務と核兵器を持たない国々の平和利用に協力義務と言うことが決めてあります。

しかし現実はどうでしょうか。NPT発効(1970年)以来40余年、核軍縮は、遅々として進んでいません。一方でインド・パキスタン北朝鮮イスラエルと核保有国が増加しました。つまりは、NPTのやり方では、核保有国が増えこそすれ、核廃絶は難しいということです。

どうして、核兵器保有国が増えるのでしょう。

米英露仏中が核兵器を持つ根拠は、「自国の安全保障のため核での抑止が有効」と言う核抑止論です。つまり「攻撃されたら核と言う強力な武器で反撃するので、敵に攻撃されない」と言う安全保障政策です。しかし、この理屈でいけば、他の国の核兵器保有も否定できません。北朝鮮だって、「米国に攻撃されないように核武装するのは当然」と言う理屈が立ちます。NPTは、そもそも矛盾を持つ条約です。

NPTは、米露英仏中の核兵器独占を維持しようと言う身勝手な理屈で出来たものです。自分達だけ核兵器を持とう、他の国には持たせないようにしようと言う条約です。つまりは、5大国の核による発言権保持のための条約という意味があります。だからこそ、対立する米露が、「核兵器禁止条約推進」に反対で歩調を合わせるわけです。つまりは、「NPTでは、核廃絶は無理」と言うことだと思います。

NPTが不平等でも、安保政策上有効であれば、存在する理由もあるでしょう。

安保政策上有効かどうかは、断言できません。しかし、危険があると言うことは良くわかります。「相手が狂ったらやられる。だから、やられる前にやっちまおう」とか「圧倒的に強ければ、反撃されないで世界を支配できる。そのためには秘密に強力な核兵器を」とか考える危険性があります。とても危険です。

NPTが、不平等で、危険と隣り合わせ、且つ核廃絶が無理となれば、これはもう別な道しかありません。

それは、もう一方の「核兵器禁止条約」と言う方式です。その条約の根拠は、核が民間人も殺傷すると言う非人道的な違法な兵器であること(2006年国際司法裁判所が違法と言う方向で判断している)、人類絶滅にいたる可能性のある兵器であることです。これに反論は難しいでしょう。

日本は、他国に攻撃されたら「米国の核兵器で反撃するぞ」と言う核の傘の中にあります。しかし上に述べたように、核抑止論は、危うい傘です。それよりも、核兵器は、非人道的違法な兵器である故、使ってはならない、持ってはならないと言う法の支配の方向に日本は、舵を切るべきです。
法の支配を外交や安全保障の中心にする政府を作りましょう。それは、世界の多数の国が支持するでしょう。

昨日の国連軍縮委員会では、日本等堤案の核廃絶決議にも、核兵器禁止条約推進にも賛成した国が圧倒的に多いわけです。世界の多くの国は、NPTも認めて、法の支配(核兵器は違法)も認めています。日本は、この両方に賛成した圧倒的多数の側に立つべきでした。両方に賛成すべきでした。米国や5大国側につくべきではありませんでした。日本は、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約推進の先頭に立つべきでした。日本の行動はすごく大きいインパクトを与えたはずです。米国は、日本に「強く反対しろ」と言えないはずです。弱みがあります。米国は、唯一「普通の人の頭上に原爆投下」を行った国だからです。

日本が「核兵器禁止条約推進側」に立ったとて、NPTから脱退するわけではありません圧倒的多数の国側に立つということです。

残念なことでした。