「この世界の片隅に」と「君の名は」を見てきました。

ブログ知人たちの紹介で興味を持った「この世界の片隅に」を観に、仙台の映画館へ行ってきました。仙台に出るのは、なかなか大変なので(電車で約1時間強)出たついでに、良く売れているという「君の名は」も見ようと言う事になり、二つ見てきました。

電車の都合で、映画館には1時間10分前につきました。「この世界の片隅で」は、仙台駅東口のチネ・ラビータと言う小さな映画館でした。自由席と言うことでした。出歩くのも面倒ということで、約1時間前から席について待ってました。30分前までは、私達二人しかいません。月曜日の一番はじめなので私たちだけかなあと、少し心配になりました。しかし、上映前になると続々とやってきまして、妻の話によると結局29名だそうです。思ったことを書いておきます。

(1)この映画の最後に、映画の製作にお金を出した人々の名前が流れている時、8年前の「日本の青空」を思い出しました。あの映画も同じように協力金を集めて作った映画でした。第一次安倍政権に危機感を持った人たちで作った映画でした。現憲法が日本人学者達の意見を大きくとりいれられたものと言う主張の映画でした。主人公の鈴木安蔵が私の高校の先輩なので、私も、映画の製作と上映に協力したものでした。あのころに比べて、安倍政権への反対の声の弱体化と安倍政権の強力さに愕然とします。

(2)この映画の最後に、右手がバイバイしているのはうまいエンディングだなと思いました。主人公すずの右手は、家事をし、絵を描かいた手です。この手は最後に、義理の姉の娘と手をつないでいました。不発弾の爆発で、その娘と一緒に飛ばされた手でした。

(3)この映画は、戦前と戦時下の日常を実に丁寧に描いています。衣食住・町の様子・人々の生活の仕方を微細に正確に描いていきます。戦争は、日常に忍び込み、次第に存在を大きくし、やがて日常を破壊する怪物になります。それでも生き残った人々は、日常に適応し、日常を作りだして行きます。

(4)この映画は、日常の生活者の目で戦争を描いています。戦争下の日常をよく知っている人達が、戦後の日本を作りました。こんな人々がいなくなって、現在の戦争に鈍感な安倍政権が出来たのだと思います。

(5)空爆される恐ろしさを再確認しました。勝っている時の日本の戦争遂行勢力や国民には、あるいは米国兵士や米国戦争指導者には、戦争の高揚感や喜びがあるでしょう。しかし、私たちは、空爆される恐ろしさを知るべきでしょう。それが戦争をホントに知ることです。

(6)すずは、幼馴染を好きだったのでしょう。幼馴染もすずを好きだったのだとおもいます。すずの夫は、あの夜すずの不倫を認めるような態度でした。夫も、すずを愛していたのだと思います。幼馴染は、あの夜出て行きました。すずを愛しているからでしょう。こんな微妙な愛も、戦争下の日常にはありました。

(7)いかなる時代の、いかなる世界にも、その片隅に日常を生きる生活人がいます。

そんなことを思わせた映画でした。

続いて名取のイオンモールで「君の名は」を見ました。観客は、約30名だと思います。その感想も書きます。

(1)映画の直前に、映画を盗むなと言う禁止事項を流していましたが、これからの映画の宣伝が10分もあり、それだって禁止事項にしろ、金払って映画の宣伝なんて見たくないと、思いました。チネ・ラビータは、宣伝が少なかった。

(2)恥ずかしながら、この映画は、良くわかりませんでした。分からないのは、男と女が入れ替わって、この場面は男が男を生きているのか、女が男を生きているのか分からないことがありました。また、話が3年前なのか今なのかが、頻繁に変わり、頭が混乱しました。分からないので、分かるためリピーターが増えたのが、観客動員に役立っているのかと(皮肉って)思いました。

(3)恥ずかしながら、何故主人公達やあの村の人たちが生き残ったのか分かりませんでした。

(4)恥ずかしながら、この男の子とこの女の子が何故惹かれあうのか分かりませんでした。いやホントに恥ずかしい。映画が分からなかったからです。年寄りの脳味噌には難しい。いや俺の脳みそが弱っているのだと思った。

(5)この映画は、映像がきれいだとは思いました。「この世界の片隅に」に比べて断然違いました。お金が違うのでしょうね。

(6)穴ぼこ=湖が二つになった村を見て、村上春樹の「1Q84」の、二つの月を思い出しました。

(7)この映画が大人気であると言うことが、私にはいまいち分かりませんでした。うーん、多くの日本人は俺より賢い。いや、俺は年老いた、とそう思ったことでした。いや、若い俺もわからなかったのじゃないかと想像する。

8時台、仙台へ向かう電車は、かなり込み合いました。仙台の巨大な集人力、経済力を思いました。あー、生産性のある現場は、大変だと思いました。私達は、平日にこれから映画を見に行くんだと思いました。悪いなあとも思い、幸せだなあとも思いました。私は年とったんだとも、これはしみじみそう思いました。

この日一番思ったことは、これでした。