被害者意識と加害者意識

本日の新聞に「天皇生前退位」問題に関する有識者会議の「論点整理」(全文)が掲載されており、それを読んだ。その感想は以下のとおり。
(1)論点整理といいながら、肝心の論点が整理されていない。交通整理程度である。ポイントの、恒久的退位制度がいいのか、今の天皇に限っての退位だけ認めるのかについて、有識者の各人の意見を載せているだけであり、突っ込んだ議論になっていない。ここからどうして、一代限りの退位を推奨朝日新聞)となるのかわからない。まさか、賛否の数の多少で決めてるのじゃあるまい。正しいことは、多数決じゃ決まらない。それぞれの根拠を論議してこそ決まるのである。そのうえで多数決で決める。そう小学校で習ったでしょ。どうも初めから一代限りの退位にしようという意思を感じる。私はもちろん、恒久的退位制度に賛成である。(1月11日ブログ
(2)有識者といいながら、大したことは言ってないなあ、という感じを受けた。それぞれの思いを述べてるだけだ。繰り返すが、突っ込んだ議論をすべきだったのだ。そうすれば、おのずと本当の問題点が見えてくるはずだ。甲論乙駁をしていない。そうすべきであったのだ。
(3)国会議員は、この「論点整理」から、もっと突っ込んで各政党で意見を集約して、論戦をしてほしい。それが国会議員の仕事のはずだ。正しいことにつながるはずだ。安倍首相の「政争の具にするな」という言葉に騙されるな天皇陛下から問題提起されているのであるから、激しい議論をしても、失礼でない。
天皇は、人間としての声を上げ、人間と認めてほしいといっているのだ。高齢者がもう仕事ができないといっているのだ。「しょうがない。あなただけ認める」というのが「一代限り」なのだ。高齢者がもう仕事ができないやめさせてほしいというのは、当たり前なのだ。当たり前なのだから、制度として作るのが当たり前なのだ。天皇は、一生懸命考えてほしいといっているのだ。論争をしないというのは、その声を無視することなのだ。
あえてもっという。現天皇は、父天皇時代日本国民を戦争の惨禍にさらしたことに責任を感じ、父天皇の責任を父天皇に代わって引き受けているのだと感じる。他国への加害責任をも感じているのだと思う。戦地巡礼や「世界の平和を祈ります」という言葉に、私はそれを感じる。もしそうなら、それは、ものすごく重い思いである。くたびれるのは当たり前だ。(そうか、分かった。天皇に戦地訪問なんてしてほしくないやつらがいるんだ。)

閑話休題
前から気にかかっていることについて。
cangaelさんの1月16日のブログに「大島渚監督が木下恵介監督映画「二十四の瞳」を被害者意識で作られていると批判した」という記事があった。「二十四の瞳」の大ファンとしては、聞き捨てならないので、canngaelさんのブログにコメントを書いた。その後気になって、久しぶりにまた二十四の瞳を見た。その感想とそれに付随した感想を述べる。

(1)この映画は、戦前の日本を忠実に描いていると思った。男の子たちの軍人志望については、かつて自分のブログに書いた。今回は、女の子たちの運命について書いてみる。もと庄屋の家の娘フジ子は、家が破産して一家で逃亡。一番成績の良かった琴恵は、女中奉公に出て病を得て帰島し死亡。貧乏な家の娘松江は、学業途中で飲食店に奉公。小料理屋の娘は、歌の勉強が希望であったが親に反対され、何回も家出。これらは、戦前では特異な出来事ではない。特異な出来事であったら、ヒットするはずがない。「そうだったよね」と共感を得たからこそ、この映画を多くの人が見たのである。不況・貧困・女性の地位の低さが如実に描写される。学校の中の様子も、戦前そのままを如実に表現してるだろう。ある先生が「あか」と疑われて警察にしょっ引かれる、生活に即した綴り方が危険視される、この綴り方を使った大石先生が校長に叱責される。ある先生が「おっかないおっかない、忠君愛国で行こう」という。こんな戦前の教育の現場の風景も、当たり前の風景だったのだろう。だからこそ、大石先生の教え子たちは、口々に軍人になる希望を言う。大石先生の子供自身も、母親である大石先生を「弱虫」と批判する。これもまた、戦前のありようを忠実に描いていると思う。
近頃みた、「この世界の片隅にも、戦前・戦中・戦後の庶民の生活を如実に描写していた。その点ではよく似ている。しかしどこか大きく違うところも感じる。それは何だろう。視点の違いか?(「すず中心」と「先生と子供の群像劇」の違いか?)も一度、こんな観点から、「この世界・・・」を見てみたい。閑話休題

(2)大島渚監督は、この映画を被害者意識で作っているとして批判する。しかし、この映画は、小豆島という農村の小学生と先生の映画である。昭和3年(1928年)小学校入学の子供は、被害者であって加害者ではない。満州事変(1931年)日中戦争(1937年〜1945年)「大東亜戦争」(1941年〜45年)と日本国は、侵略戦争を行った。日本国民は、中国と東アジアの国民への加害者である。しかし、この子たちには、日本国の進路を決める力はない。加害者にはなりえない。この男の子たちは、成人して出征し、中国で一般中国人を虐殺したかもしれない。そうであれば、それは加害者=戦争犯罪人である。優しく気まじめな竹下竹一(映画に出てくる子供たちの一人)が華北で、捕虜の中国人を殺害したかもしれない。それを映画にすることもできる。しかしそれは、竹下竹一を主人公とする別な映画になる。「二十四の瞳」は、小学生たちの運命を描く映画である。ゆえに被害者意識で作ってもよいのである。
大石先生は、どうか。軍人志望の生徒に「軍人より米屋が好き」という先生である。自分の子供に「命を大切にするただの人になってほしい」という先生である。そんな大石先生は、学校をやめる。大石先生は、当時の国民として侵略戦争に責任はあるか?大人であるが女性である。女性に参政権はない。となれば侵略をした日本国家の進路を動かす力は、ごくごく少ない。ゆえに加害者とはいえず、被害者といえるだろう。だから、この映画は被害者意識で作ってよいのである。日本国民をひっくるめて加害者か、被害者かと判定することは出来ない。

(3)しかし、こうも考える。木下恵介は、戦前、大人の男であった。国家の行き方に携われた。侵略戦争に責任があった。彼には、自分の戦前の行動がどうであったかという反省はないのか、という問いも成り立つ。それは、この映画のみでなく、彼の、ほかの映画や言動や行動で判断しなければならない。日本国民は、全体として加害責任があるが、その年齢・性別・政治的影響力の大小により加害責任の重さが違う。子供には全くない。
戦前の大人には、侵略戦争の加害者という、他国への加害者という面と別の加害者の面がある。私は、大石先生の末っ子の死を思う。末っ子八津は、戦後腹が減って、青い柿を取ろうとして木から落ちて死ぬ。八津の墓の前で、大石先生は、「子供だもの、腹が減れば木に登って柿を取ろうとするのも無理はない。お前はちっとも悪くない」という。じゃー、誰が悪いか。この問いが大石先生にも、この映画を見てる人にも強烈に迫ってくる。この子の死の原因は、誰が悪いのか、という重い問いである。その答えは勿論、戦争を起こした大人である。大人は、子供への加害者という面を持つ。坪井栄の原作では、末子の死はどうであったか。小説はなくなり、覚えてもいない。しかし、私が一番泣けるのは、この末っ子の死である。この映画は、それを意識して作っているとも思う。だから、この映画を作った木下恵介も、子供の死に責任を感じてたのではないのか、子供への加害者という意識があったのではないか、と想像する。

(4)アパホテルの会長が、自分のホテルに「南京大虐殺を否定する」という主張の自著を置いたそうだ。それが中国政府なのか、中国国民からなのかは知らないが、だいぶ批判されたようだ。河村名古屋市長は、「南京事件はなかったのでは。あったら南京に行って土下座しなければならぬ」と発言したそうだ。
南京大虐殺南京虐殺南京事件、言い方はどうであれ、人数はどうであれ、当時の中国首都南京を陥落させた際、日本軍が、捕虜兵士の殺害、民間人殺傷という戦争犯罪を犯した事実はある。そういう事実を無視してはいけない。専門家でもない私が南京大虐殺があったと思う根拠は、日本政府の公式見解と、もう一つは、一つの高校教科書の記述にある。その教科書とは、昨年私が靖国神社で買った、明成社「最新日本史」である。著者は、渡辺昇一、櫻井よしこ中西輝政など、現代日本の代表的右派論客である。
この教科書は、この出来事に対して脚注でこう説明している。「(南京陥落の際)、日本軍によって現地の軍民に多くの死傷者が出た(南京事件)。なお被害者数とその実態については、今日でも様々な論議がある」彼ら右派論客は、戦前の日本を肯定し、戦争を肯定し、日本の戦争にまつわる悪行を否定したい人たちである。その人たちでさえ、南京での日本軍による中国軍民の殺傷を認めているのである。だから、南京大虐殺南京事件=日本軍による中国軍民殺傷事件=戦時国際法違反、刑法犯罪は、あったのである。まあ、普通に考えよう。他国の領土に1931年から1945年まで軍隊を派遣し、自分の言い分を通そうとしているのだから、日本国は悪事を働いたのだ。1928年の不戦条約違反である。その軍隊の中に、捕虜虐殺、民間人殺害、強姦、物資強奪などの犯罪がなかったとは想像できまい。

河村氏の言いぐさは、おかしい。彼の言い分はこういっているようにも見える。「土下座することは大変だから、南京事件はなかったのだろう」。南京事件の真偽をまるで、自分たちの都合で決めるかのようだ。確かに皆で土下座するのは大変だ。南京事件はあったのだから、土下座しなければと思う河村氏は、土下座すればよいのである。私は、土下座は大嫌いである。相手に土下座されるのも大嫌いである。もし私が南京に行くなら、「わが先祖が、悪いことをしました。ごめん。今後このようなことがないよう、努力する」と、心で言って謝罪する。安倍首相は、真珠湾に行ったが、(中国に対しては、はるかに加害責任があるのだから)、中国には絶対行くべきである。(私は、米国との戦争は、中国への侵略戦争と違うと思っている)安倍首相は、中国の柳条湖や盧溝橋や南京に行って、「わが先祖が国際法違反、戦時国際法違反、刑法犯罪、人道上の罪を犯しました。すみません。今後こんなことのないよう努力します」と言葉で、中国国民に通じるよう言うべきなのである。土下座の必要はない。それが日本の生きる道なのである。安倍首相は、自分の代で謝罪は終わらせたいと強く思っているようであるが、先祖の失敗を後に伝えることが大事だと思う。悪いことは悪いと認め謝罪する姿勢を見せ続けていくべきだと思う。それが新たな失敗を後輩にさせないことにつながると思う。

アパホテル会長が自著を自分のホテルに置くのは自由である。自分の不明を天下にさらすだけである。私は、先祖が加害者だったと認識し、日本国民が二度と侵略戦争を起こさないよう努力する一環として、アパホテルは、今後二度と使わないし、友人にもそういう。少なくとも日本が専守防衛に徹するよう(私の目指すのは、武装中立、究極目標は非武装中立・世界政府樹立)、できるだけ努力をする。そのために簡単にできることの一つとして、「安保法制廃棄」のプラカードを持って、街頭に立つ。

(4)それにしても1954年(昭和29年)は、面白い。上記canngaelさんのブログで知ったのだが、初代「君の名は」というのもこの年なのだそうだ。初代「君の名は」と去年はやった「君の名は」、1954年の初代「ゴジラ」と去年はやった「シンゴジラ」、1954年の「二十四の瞳」と去年はやった「この世界の片隅に」など比べてみるのも面白いかもしれない。キネマ旬報邦画部門一位は、1954年は「二十四の瞳」で、2016年は「この世界の片隅で」である。これも面白い。
尚自分のブログに書いたが、1954年には、米国の水爆実験による被爆死事件(第五福竜丸事件)があり、それをきっかけに原水爆禁止署名運動が盛り上がり、空前絶後3000万以上の署名を集めた。それが翌年の原水爆禁止世界大会へとつながった。その国民が、「ゴジラ」を見たり「二十四の瞳」を見たりしたわけである。この署名には、「我々の苦しみを他国の人や次の世代の人に味合わせてはならない」という強烈な意思が働いていたのではないかと想像する。「二十四の瞳」は、日本国民の被害を描いたものである。被害を見つめることは、新たな被害を産まないための基本である。また、「二十四の瞳」は、大人の子供への加害を描いたものともいえる。加害をつぶさに見ることも、あらたな被害を産まないための基本である。原作も映画も「二十四の瞳」は、戦前の社会の貧しさ・不況・女性の地位の低さ、学校教育の全体主義軍国主義を見つめた。戦争の被害・加害(他国への加害面はないけど)を見つめたものである。私に反戦平和という思いを持たせた映画である。(長文と論の錯綜、乞容赦)