「老猫」と「木下闇」

久しぶりに荻原浩作品を読んだ。短編集である。「押入れのちよ」と言う短編集である。

この中で一番おもしろかったのが、「老猫」であった。
おじから遺産としてもらった古い家に老いた雌猫が居ついていた。新しい環境に主人公家族がなじんでいくが、実はこの猫に家族が支配されていくという怖い話である。

猫は、人に飼われながら人になじまないところがある。俺は、子どもの頃猫を飼っていた。とても可愛がっていた。その猫が俺を信じていないということがある時判然とした。彼女を抱っこして、窓際に行った時のことだ。彼女は必死で俺の腕から逃れようとする。つまり彼女は「窓から落とされるのでは」と、愛している俺を信頼していないのだ。

現実には年老いた猫は、毛並みが落ち、皮膚病にかかり、尻の始末が悪くなると思う。これ小説の老猫と同じ。違うのは、現実の猫は、ただぼーとしているだけ。ただ眠ってだけで、意思など発揮しない。しかし、小説は、あり得ないが、ありそうな気がする。それも猫だからこそだ。犬やネズミではこうはならない。

この小説集でもも一つ面白かったのは、「木下闇」だ。いなくなった妹は、いたずらされて殺されて巨大な木の樹上に捨てられていた。それを姉がずいぶん後に発見するいう話である。その犯人は年上のいとこという設定だ。巨樹と言うのは良く見ると不気味だ。植物の不気味さと人間の不気味さが相乗効果をあげていると感じた。

「殺意のレシピ」「予期せぬ訪問者」は、この作者のおふざけの面白さがよくあらわれた作品だ。ブラックユーモアと言ってもいいのかもね。標題になった「押入れのちよ」は、ユーモアの中に人間の温かさを感じる作品だった。ちよの言葉遣い、食べ物、性への関心等可愛くて面白い。もちろん彼女の悲惨な境遇に同情するが。幽霊の可愛さでは、「ぽっぽや」を思い出した。

「介護の鬼」は、ありそうもないはなしなので感心しなかった。