首相は、靖国神社に供物も出すな。国会議員は、集団での靖国参拝をやめよ。

私の意見のうち、「靖国神社は顕彰施設」という考えは、ちくま新書靖国問題」(高橋哲哉著)に拠っている。

本日、超党派の国会議員149名が靖国神社に参拝した。それは、①憲法違反であり、②国益に反し、③平和主義否定・軍国主義推進の方向であり、④道徳的退廃である故、やるべきでない。

憲法違反の点。=政教分離違反

首相が供物を出すこと及び国会議員が、集団で参拝すること並びに閣僚が靖国神社に参拝することは、私人と言う資格で参拝しても、私費で出しても憲法の定める政教分離違反である。

政教分離原則は、政治権力が特定宗教を応援することを禁止するということである。

ア)首相や閣僚や国会議員は、政治権力である。マスコミが見ている中、注目される中、賛否両論があるなかで行動することは、それは私人であり得ない。彼らが私人でありうるのは、家庭内あるいはマスコミに注視されないところ、子や孫などの運動会・コンサート等非政治的集会での行動である。靖国神社という、政治上で対立する考えのある存在に関係するのは、公人とみなされる。

イ)靖国神社は、特定宗教である。鳥居があり、様式化した参拝の方法があり、玉ぐし料を出す・供物を出すという点で特定宗教である。靖国神社が特定宗教ということは、司法の上で確定している。(愛媛玉ぐし料訴訟等)

以上から憲法違反である。
尚、政治家にも信教の自由があるという意見は、成り立たない。上述のように靖国での行動は公人とみなされる故。彼らは憲法に、憲法擁護義務が明示されている公人である。
自民党憲法改正案(2012年)では、靖国を習俗として宗教から外そうという意図が見える。

国益に反する。(国益とは、国民の多数の利益と私は考えている。)

ア)中国・韓国(政府・国民)の反発=いつもその反応がある。
反発があっても正義があれば、それをすべきであるが、正義があると簡単に言えない。正義かどうかを別にしても、少なくとも中国・韓国政府・国民を説得出来ていない段階でやるのは、反発を招く。それは国民の利益=国家の利益=国益とならない。


イ)現在の日本の、世界における位置及び価値を侵害する。それは国民の利益に反する。

靖国神社には、A級戦犯が合祀されている。彼らは、侵略戦争を起こした責任者と国際的に考えられて処刑された。東京裁判に様々な瑕疵があるとしても、国際的に侵略戦争を起こした責任者と考えられている。

それを「顕彰」(上述の高橋氏の考え。皆に認められる意義ある行動!とたたえる)するのは、日本国が国際法違反を認める国だと考えられてしまう。侵略は、随分前から国際法違反と考えられている。それは、日本国の品格・日本国民の戦後の努力を否定する。日本の平和ブランド力を毀損する。


③平和主義否定・軍国主義推進の方向である

高橋氏が「靖国問題」で言うとおり、靖国神社は、「国家のために戦争で命を捨てるのは尊い」ということを宣伝する装置である。それは、小泉さんも、参拝する閣僚も「お国のために尊い命を捨てた・・・・」という文脈で言うことから明白である。


戦後日本は、憲法の平和主義(手段としても、平和的手段で平和維持)に反して軍事力で平和維持という方向を強めてきた。
すなわち、自衛隊で日本が侵略された場合、武力で日本国内で抵抗(自衛隊創設)→日本国内及び米軍基地を攻撃された場合、日米共同で武力抵抗(安保条約)→日本が攻撃されてなくとも、公海上自衛隊・民間が後方で米軍支援(周辺事態法)→日本が攻撃されてなくとも、米軍を自衛隊が武力支援(集団的自衛権)と軍事力で対応する方向を加速している。


その戦闘で、戦死者が出た場合、それを顕彰するのが靖国神社である。「安心しろ、戦って死んでも靖国で祀られることで、皆に感謝されるぞ」。




④首相や閣僚や議員は戦争に出ない。出るのは自衛隊員である。命の危険にさらされるのは自衛隊員や民間人である。あるいは戦争になった場合、原水爆・生物化学兵器・テロの対象となり真っ先かけて犠牲になるのは、無防備な国民である。

一番戦禍から遠いものたち(首相等)が、「お国のために死ぬのはみんなに認められる素晴らしい行為」と言っているのである。何と不道徳なことか。靖国に参拝する公人は、戦争になったら真っ先に戦場に行くと約束した上で、靖国に参拝すべきである。



戦後日本は、日本政府の行為による戦争等で、自国民が一人も死なないように、他国民・民族も一人も殺さないようにと生きてきた。今のところそれは出来ていると思う。


政府要人・国会議員の靖国参拝は、戦争への道の一里塚である。