今日は母の三回忌です。
台風の影響で雨が強くなったり弱くなったりする中で、お墓に行ってきました。
2年前の今頃は、母がまったく食べなくなって20日程経った頃です。その数日前には、
何らかの反応があった母が、無反応になってしまった頃でした。その約2週間後に
死去します。
なくなって2年たちます。「去る者は日日に疎し」と言いますが、その通りで、私も母のことを忘れて生活することが多くなりました。
昨日下の娘が帰省しました。彼女とのブログのやり取りから、母のことで思い出したことがあります。
それは、傷痍軍人のことです。私が多分6・7歳のころです。神社に参拝した時でした。
父と母が珍しく激しい言い合いになりました。母は父に逆らうことなどなかったので、何かひどく怖い
と思いました。
父と母の言い合いの中味は、長く忘れていましたが、ある時思いだしました。人間の脳と言うのは不思議です。
私が傷痍軍人を見て、「あれは何」「何故立っているの」と聞きました。
母が、「戦争で怪我して生活の困っていて、助けてくださいと言っているんだよ」と言いました。
私、「じゃー、お金上げよう」
母、「上げたらいいべ」
そしたら父が、「あんなの金儲けだ、やることない」と言って、そこから父と母の険しい言い合いがあったと思います。
その中味は、もはやわかりません。
しかし、論争の最後は覚えています。(正確には近頃思いだした)なぜなら私に関することだったからです。
父「そんなこと、○○(私の名前)に教えることない」
母「○○に教えなきゃ、いけない。みんな知っていなかったからひどいことになったんだ」
母はおとなしい人でした。政治的なことに関心がある人でもありませんでした。しかし、
こと戦争については、もう二度といやという意識はきわめて強かったのだと思います。
父とも母とも戦争のことで話をすることはほとんどなかったと思います。しかし、母のその時の普段と違う厳しい態度で、
戦争は怖いもの、やっちゃいけないことと言う意識が私に植え付けられたのだと思います。
母は、やはり私の中に生きています。