「私がいて良かった」

お盆や仕事の関係でだいぶブログを書いていませんでした。今まで4人でやっていた仕事が、一人辞めて3人になったので急にきつくなりました。この間も本は読んでいたので、備忘のため、雑感をまとめておきます。

白石一郎「横浜異人街事件帖」・・
幕末の横浜を舞台とした短編連作集。あまり印象は残っていない。自分にとって、白石氏の著書としては面白くなかったのだと思う。

○葉室 麟「潮鳴り」・・
かつての俊英が仕事上の失敗で落ちぶれた立場から立ち上がる話。まあおもしろい。藩内の政治対立や陰謀が絡む。しかし、葉室特有の凜とした感じをそれ程うけなかった。

城山三郎「そうか、もう君はいないのか」・・
城山の自分の妻への思い出と愛を描いたもの。城山の率直な文章が印象的。特に結婚するまでの描写が素晴らしい。妖精という表現がみずみずしい。結婚後は、どのような女性であったかが、いまいち不鮮明な気がした。ただし、良く夫を支えた人であるという印象はもった。
死に望んでの彼女は、すごい人と思う。がんを医師から告知された時の「ガン、ガン、ガンちゃん、ガンたらららー」と歌う彼女の行動や、外国勤務の息子との永遠の別れにベットから滑り落ちて「挙手の礼」をするなど常人には出来ない。天衣無縫と言う感じの人でなかったか。
まさしく妖精のような人だったのだと思う。
これを書いた城山三郎も今はない。
人は出会って、愛し合って支え合って生き、そして死んでいく。城山は多くの作品を残した。彼の奥様も、彼のこの作品で残ったのだと思う。合掌。

山崎豊子「約束の海」・・・
海上自衛隊「なだしお」と釣り船の衝突事件を扱ったもの。潜水艦の艦内の様子や機能や勤務態様など詳しくわかって面白い。自衛隊員の誠実さ、悩み等描いていて、自衛隊員を理解できた。普通の会社員と同じであると思った。しかし命をかけるという点では同じか違うかと言う疑問をもった。警察官や消防官とはどうかとも少々考えた。も少し考えていこうと思った。

私は、軍事抑止力を否定する考えを持っているものであるが、
主人公の「ぼくたちは、密かに警戒監視にあたっているのですが、外国から見て、潜水艦が盛んに活動しているようだから下手な手だしをすると痛い目に合いそうだ、と思わせるのが、理想なんです」という言葉に、なるほど潜水艦による抑止力もあるかなと思った。
ただしこの抑止力も反面では、衝突誘発剤になる可能性もあることを忘れてはならないと思う。また、軍事抑止力よりもっと大きな抑止力があるという自分の確信に揺るぎはない。軍事抑止力は、抑止力か誘発剤か?多分どちらでもあるんだろうな。

主人公の自衛隊員とヒロインの音楽家の恋愛がどうもしっくりこない。ヒロインがどうして主人公を好きになるのかが、どうも腑に落ちない。もちろん主人公は、魅力的自衛隊員ではあるのだが。人は人を何故好きになるかなんて説明出来ないことか。する必要もないか。いいや違うなあ、多分描写の視点の問題なんだな。

この本は、3部作の一部である。作者の死去により未完となった。著述の目的は明確である。「戦争には絶対反対であるが、守るだけの力も持ってはいけないという考えには同調できません。『戦争をしないための軍隊』と言う存在を追求してみたくなりました」これが山崎氏のこの本のテーマである。
「戦争をしないための軍隊」、興味ぶかいテーマである。是非完成させてほしかった小説である。

角田光代「ひそやかな花園」・・・
一番面白く読んだ。前半は少しミステリー仕立てで興味をひかれた。
読んでる途中で、人工授精の話かなと想像した。想像どおりであった。自分はミステリーを推理しないでただ読むだけの人間なので、推理させられたのは珍しい。作者がうまいんだろうな。
ただし、数名以上の主人公の話を同時進行させるという手法を、自分は苦手とするので困った。誰の話だかわからなくなるので、困った。

テーマは、夫に生殖能力がないケースの人工授精で生まれた男女数名の、小さいころから30歳ころまでのアイデンテイテイ確立の話である。なんて、簡単にやっつけていいのかな。よくないな、彼や彼女らの苦悩が生々しいゆえ。
しかし、疑問も残った。他人精子の人工授精誕生の子どもたちにも、苦悩が生じない場合もあるのじゃないか?苦悩は、この子たちの両親のあり方から生じるのじゃないかと言うこと。
またこういう子どもたちの年一度の夏キャンプと言うのは、少し不自然かなと思った。

遺伝的にいい子を得るための精子の選択と言うのは、どうも嫌な気がする。出生前診断と同じだな。選択するからこそ、夫の劣等感が生じ、それが夫婦仲に響き、夫婦仲が子どもの苦しみになることもある。

生物学的父親が不明な子どもの心、それを私は推し量ることが出来ない。生物学的父親不明でも子どもを持とうと思った母親を持つ子どもの心。それを私は推し量ることが出来ない。自分は何者か?生まれてきてよかったのか?なんて考えも持つんだろうな。作者はそれを推し量って書いている。小説家とはすごいものだ。

「もし私がいなければ、あの美しい歌も、素敵な式も、聴けなかったし見られなかった。私がいなければ存在しなかったことになります。だから私、私がいて良かったって初めて思った」
これは、主人公の一人の言葉である。自分の出生の秘密から、親の態度から、自分を否定しつづけてきた女性の言葉である。ここに角田氏の人間回復の思いが示されている。