殺さないため盗むー池澤夏樹「カデナ」を読んで

1960年代末のベトナム反戦運動を描いた小説である。舞台は沖縄。反戦運動と言ってもただの運動ではない。アメリカの北爆情報(どこをいつ爆撃するか)を北ベトナム側に伝えると言うスパイ行為と米軍人の脱走を勧誘し援助すると言う二つの反軍・反国家行為である。

スパイ行為は、女性米軍人のフリーダ=ジェイン→沖縄人でドラマー青年タカ→沖縄人嘉手苅朝栄(かでかるちょうえい)と言うルートで行われる。そのルートの背後にベトナム人安南(あなん)がいる。米軍人脱走の方は、タカ→沖縄の支援組織→日本国内の支援組織→国外脱出というルートで行われる。

描写は、フリーダ=ジェイン、嘉手苅朝栄、タカの3人の視点から行われる。

以下に読んで思ったことを述べる。

(1)登場人物それぞれが生き生きと描かれており、ほんとにこんな人達がいそうな感じを受けた。池澤夏樹の力量を感じた。

(2)返還直前の沖縄の風俗・生活が細やかに描かれていて当時の沖縄にいるようだ。米国施政下の沖縄で、嘉手納基地からB52がベトナムを爆撃している時代である。そして登場人物全てに、二つの戦争=アジア・太平洋戦争ベトナム戦争の影響が色濃く反映されている。
 
(3)実際に戦う兵士の心情がリアルに描かれている。ベトナム戦争では、多数の米兵が精神的後遺症を受けたという。この小説では、空軍兵士の恐怖が描かれる。一番印象的だったのは、脱走米兵マークの述懐である。彼は、B52の射撃手だ。

マークは言う。「今、何が嬉しいかというと、もうBUFF(B52)に乗らなくていいことだ。あれの最後尾のあの狭いガラスの玉子の中でまっすぐこちらに向かってくるミサイルやミグに怯えなくていい。・・・待って、怯えて、待って、それだけ。・・・」

我々も想像しなければならない。兵士の恐怖を。一人ぽっちで、ミサイルや敵機が襲ってくる恐怖に耐える長い時間を想像しなければならない。自衛隊に安全を守ってもらおうと考えている人は、自衛隊員の戦争時の恐怖を想像しなければならない。殺される恐怖を。そんなことを思った。

別な恐怖も描かれる。フリーダ=ジェインの恋人パトリックの恐怖。彼は、B52のパイロットだ。無差別爆撃で非戦闘員を殺傷することへの心理的抵抗をなくすため、ヒロシマの写真を見せられる。そのためパトリックは、都市部への爆撃を恐がるようになる。性的不能にもなる。自衛隊に安全を守ってもらおうと考えている人は、自衛隊員の「人を殺す恐怖」を想像しなければならない。普通の人が、敵とはいえ同じ人間を殺す恐怖を。そんなことを思った。自衛隊員は特別か?東日本大震災の時、自衛隊員を真近に見た。普通の好ましい青年達だった。

いつかTVで、軍人に対して殺人を平気で行えるようにする米国内での訓練を見た。普通の人は、そのままでは殺人を犯せない。訓練されて兵士となる。自衛隊も本気で戦うならそんな訓練が必要だろう。いや、今やってるのかもしれない。

何と馬鹿げたことか!日本国も米国も中国もロシア国も、それぞれが、普通の自国民を、殺人を平気で行える兵士に仕立てることに、
そんな不道徳なことに、莫大なお金とエネルギーを使っている。何と馬鹿げたことか!そんなことをして得る利益はなんだ。今の日本なら尖閣か。なんて矮小な利益か。日本国の名誉なんて言う人もいるかもしれない。普通の人を「殺人平気人間」に仕立てて名誉なんてあるか?
消えてなくなれ、国家なんぞ!おっと、憲法通り(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)の日本国は存続してよろしい。この日本国をまねるなら、全ての国家も存続してよろしい。
そんなことを思った。

(4)主人公達がどうして、反軍・反国家的行動をするか。主人公たちに共通するのは、アジア・太平洋戦争の苛烈な経験だ。戦争を忌避する心情が共通している。
北爆情報を盗む女性兵士フリーダ=ジェインは、フィリッピン人と米国軍人のハーフである。母親は、自分を捨てた米国に恨みを持つ。彼女の反軍的行為には、母の影響もある。しかし、そればかりではない。
彼女が盗む情報は、恋人パトリックの仕事(北爆)の妨害だ。彼への裏切りである。彼女の盗みと言うのは、自分の仕事(米国軍人)への裏切りでもある。国家利益を損なう行為で、もちろん処罰の対象である。それでも彼女は北爆情報を盗み、爆撃される敵方に渡す。何故か。それは、彼女の戦争体験による。昭和19年マニラでの日米の激戦。母と4歳の彼女は逃げ惑う。多くの死を見る。
彼女は言う。

<市街戦に巻き込まれて、どっちから砲弾が飛んでくるか、どの空から爆弾が降ってくるか、それもわからないまま逃げ惑う自分が、
・・・今のハノイの誰かと重なってしまう。パトリックの運ぶ爆弾がその子の頭の上に落ちないよう、あたしはちょっとしたインチキをする。抜き打ちの検査で冷や汗をかいて、おしっこちびるほど怯えたって、次の機会にはまたメモを持ち出す。
ハノイの4歳の少女のために。>

(5)フリーダ=ジェインは、軍人なのに軍事機密を盗む。それは犯罪である。一方ハノイの少女を爆撃で殺すことも犯罪である。
彼女は悩む。悩んだ彼女は、信頼する神父に尋ねる。神父は答える。「私は殺す罪は盗む罪より重いと思いますよ」
情報を盗む行為をした後、ジェインは言う。
アメリカ大統領は認めないけれどもイエス様は認めてくださる>

自分が、フリーダ=ジェインの立場に立ったなら、どうだろうか。国家に反逆しハノイの4歳の少女を助けることができるだろうか。国家の犯罪を防止できるだろうか。自信がない。今までの自分を顧みると多分出来ないだろう。そう言う立場に立ちたくない。故に私は「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」の
日本国憲法を強く支持する。解釈でも明文でも憲法を変えようとする人々に反対する。


(6)特定秘密保護法は、「厳罰化、民間人も処罰」と言う性格を持ち、それは人道的に人類的に価値あること(この小説でいえば、「ハノイの少女を殺したくない」)を国民にさせない効果をもたらす。人道を否定する悪法である。同法を廃棄すべきである。
集団的自衛権は、米国と一緒に戦うことである。米国は、かつて沖縄嘉手納基地からベトナムへB52を飛ばした国家である。多くの民間人を殺傷した犯罪をおかす国家である。安保理決議もなしに、大量破壊兵器もないのに、イラク政権を倒した侵略する国家である。集団的自衛権を行使するとは、犯罪をおかす国家、侵略をする国家と一緒に戦うことである。集団的自衛権を行使すべきでない。


自衛隊で日本を守ると考える人は、自衛隊員の殺される恐怖、殺す恐怖、それに慣らされる苦痛を想像するべきである。「日本を守るとは自分の命・家族の命を守ること」と考える人は、自分の命のため自衛隊員の命を危険にさらして良いかということを自分に問わねばならない。「日本を守るとは、自分の命・家族の命を守る以上のある何かを守ること」と考える人は、その何かについて答えなければならない。それは自衛隊の軍事力で守れるものかどうかを考えなければならない。自国が侵略された場合、自衛隊に守ってもらおうと考える人は、全力で侵略されないよう、他国人を殺させないよう努力すべきである。自衛隊員の命を自分のため使おうとしているのだから。

(7)1960年代末日本にも反戦平和の気分があった。それは反体制的気分でもあった。それは「人を殺すなという」一番大事な道徳
に基づくものであった。今はそんな気分がなくなりつつある。
我々は、戦争を、戦後を生きた人々のことをよく知らねばならない。彼らの心を自分の心の一部にして生きていかねばならない。


この本を読んでそんなことを考えた。