心に残った人ー塩野七生の地中海三部作からー

捨てる本を選ぶ過程で、塩野七生コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」「レパントの海戦」を再読しました。相変わらず面白かった。

 

この3部作は、興隆するトルコ帝国とキリスト教国側の戦争を描いています。特にキリスト教国側では、ヴェネツィア共和国を中心に描いていると思われます。(残っている史料がヴェネツィア共和国のものが正確でかつ多いからです。作者塩野はこれを中心に三部作を書いたと思われます)

 

第一作「コンスタンティノープルの陥落」は、ローマ帝国の後裔である東ローマ帝国ビザンチン帝国)の、最後に残った首都コンスタンティノープルが、勢力を拡大するトルコ帝国に滅ぼされるという歴史的大事件を活写しています。(1453年)

 

第二作「ロードス島攻防記」は、さらに勢力を増したトルコ帝国が、聖ヨハネ騎士団

根拠地ロードス島を攻撃し、降伏かつ退去させた歴史を扱っています。(1522年)

 

第三作「レパントの海戦」は、無敵を誇ったトルコ帝国がキリスト教国の連合軍に敗れた歴史上有名な海戦を描写しています。(1571年)

 

描き方は、戦記物の多くがそうであるように、人物中心です。第一作は、トルコ側は、スルタン・マホメット2世、ビザンチン帝国側は皇帝コンスタンヌス11世、第二作は、トルコ側スレイマン大帝、聖ヨハネ騎士団側は、騎士団長リラダン及び騎士団員、第三作は、ヴェネツィア共和国の軍人たち、特に艦隊副司令官バルバリーゴを中心に描いています。

 

勿論これ以外に歴史を動かし、あるいは歴史を彩る多くの人々を、塩野は、実に生き生きと描いています。

 

 

それでは、本題です。

 

 

私の印象に残った人、ベスト3を紹介します。

 

1位 第2作「ロードス島攻防記」のトルコ帝国スレイマン大帝

wikiによりますと、彼はオスマントルコ全盛期を現出し、彼の頃トルコは、東はイラク、西はハンガリーまで領有したようです。地中海の制海権もほぼ手に入れています。

その地中海を支配する過程で、ロードス島での攻防が起こります。

 

私が感心したのは、攻防6か月後、聖ヨハネ騎士団が降伏し島を退去する時の、スレイマンの降伏条件です。主なものを上げます。(P206)

〇騎士団は、武装したまま、持って行きたいものをすべて持ち去ることができる

〇これらの運搬のため必要ならばトルコ船を提供する

〇退去期間は12日間で、この間トルコ軍は、1マイル後退する

ロードス島住民は、向こう3年間自由に島を退去できる。残るものにはキリスト教の信仰の自由を保障し、向こう5年間年貢金支払いを免除する

なんと寛大な処置でしょうか。

レイマンは、騎士団長らとの会談で最後にこういう。

「私は勝った。だがそれなのに、あなたとあなたの配下のような勇敢で義に厚い人々をその住処から追い出さなくてはならなくなった事態に、心から悲しみを感じなではいられない」(P218)

一方、騎士団長も第2回目の会談後、こう言う。団長は、スレイマンを評して「彼こそ、まことの騎士である」と言った。(P221)

このようなスレイマンだからこそ、大領土を確保し、それを保ち得たのだと思いました。

2位 第1作「コンスタンティノープルの陥落」の皇帝コンスタンティヌス11世

wikiの最初に、彼を紹介して「東ローマ帝国最後の皇帝、すなわちローマ帝国最後の皇帝」とあります。

 

彼の最後を、塩野はこんな風に描写します。

「皇帝は、打つ手が尽きたのを悟るしかなかった。その彼に続いたのはわずか3騎、ギリシャの騎士一人とダマルチア生まれの男に、スペイン貴族の3人だった。4人は馬を捨てた。下馬しても戦い続けようとしたのである。だが周囲の混乱は、彼らに戦う事すら諦めさせた。皇帝のいとこでもあったギリシャの騎士は、とらわれるよりは死を選ぶと叫び、敵味方入り混じる中に斬り込んでいった。

皇帝も紅の大マントを捨てた。帝位を示す服の飾りもはぎ取って捨てた。そして「私の胸に剣を突き立ててくれる一人のキリスト教徒もいないのか」とつぶやいたのを誰かが耳にしたという。東ローマ帝国最後の皇帝は、剣を抜き、雪崩打って迫ってくる敵兵の真っただ中に姿を消した。他の二人の騎士もそれに続いた。」(p205)

 

wikiの紹介する皇帝の最後の言葉は、少し違います。wikiは、中央公論新社「世界の歴史」を出典としています。塩野は、原史料を使っていると思われるので、塩野の方が真実に近いのかな、と思っています。いずれにしても皇帝の人柄・思想・行動に違いはなく、最後の言葉の違いは大したことではないと判断します。

 

 

 

皇帝は、トルコに対するキリスト教国の援助を得るため全力を尽くします。特にギリシャ正教ローマカトリック教会の融合を目指します。しかし、東西教会融合も戦術上の手段もすべて失敗します。

 

 

トルコ帝国のスルタンからは、「賠償金支払いと皇帝の退去」という降伏条件が示されます。重臣にも降伏を勧めるものがいます。しかし彼は感謝しつつも、降伏を拒否します。

 

「私にこの民を見捨てていくなどという事がどうしてできるだろうか。いや、皆さん、私にはできません。彼等とともにこの都とともに、死ぬ方を選びます」(P174)

 

彼には、地中海世界のみならずヨーロッパから西アジアまで支配したあの大ローマ帝国の皇帝という誇りがあったのだと思いました。

 

いや違うな。ローマ帝国の栄華は、1000年以上前の事です。ローマの1000年間の衰退に次ぐ衰退を皇帝は知っています。ですから、誇りというよりも、彼の国民への責任感が、彼にこう言う最期を選ばせたのだと思います。

 

支配者・指導者はかくあるべきです。

 

翻って現代日本国の指導者たち!・・・いやよしましょう。

 

この人を一位にすべきだったかな。

 

3位 第3作「レパントの海戦」のヴェネツィア共和国の外交官バルバロ

彼は外交官として、レパントの海戦にいたる前も、レパントの海戦後も、全身全霊を尽くして、祖国ヴェネツィア共和国のために、トルコ帝国と渡り合います。外交は、武器を使わない、まさに頭脳と度胸の戦争だという事を実感させます。

 

こんな外交官、いや外相いや首相、現代日本にいるのでしょうか。

 

ヴェネツィア共和国は、レパントの勝利後、「これが勝者のえたものかと唖然とするほどヴェネチアにとっては厳しい」(P251)条件の条約をトルコと結びます。

 

この交渉に当たったバルバロの帰国後の報告演説は、「並みいる政府首脳や元老院議員たちが顔色を変えたほど」(P257)痛烈に本国政府を批判したものでした。

 

こんな気概を持った外交官が欲しいなあ。

 

ヴェネツィア共和国の外交については、(まとまればですけど)別項目でまとめてみたいと思ってます。まとまるかなあ。

 

番外 第2作「ロードス島攻防記」の無名の女性

この女性は、騎士団の中でも異色なオルシーニの愛人です。オルシーニは、騎士団の規則に縛られない独立不羈の存在です。しかも勇敢かつ緻密な思考ができるイタリアの名門出身の騎士です。

 

この女について、塩野は、オルシーニの友人アントニオ(イタリアの名門出身、晩年は僧となり、トルコ支配下キリスト教徒救済に尽力、彼の僧院時代の記録がこの小説の原史料)の目を通して、こう描写します。

 

>女は、黒く波打つ豊かな髪をうなじのところでまとめ、ハッキリした顔立ちはイタリアの女と違って、やさしさよりも強さが感じられた。だが壺から銀の杯に飲み物をつぐ際に見せたほっそりした身体の傾かせようは、はっとするほど典雅だった<(P106)

 

ロードス島の全体が降伏に傾く中で、オルシーニは戦死します。友人アントニオは、オルシーニの遺体から女持ちの、ルビーのはまった小さな十字架をとって、オルシーニの愛人に送り届けます。女は、涙も見せず、黙って十字架を受け取り、扉をしめます。

 

その翌日の出来事です。この日の夜、騎士団長が降伏を決断します。塩野七生は、この出来事を次のように描写します。

 

>激闘の3時間が過ぎようとしているころ砦を守っている騎士たちは、砦の下から外壁に通じている通路に、騎士が一人立ちふさがり、群がる敵兵対しているのが目に入った。無謀な、とだれもが思った。だが、呼び戻す手段はなかった。・・・槍を使う騎士の周りを、トルコ兵が囲むのに時間を要しなかった。・・・トルコ兵の塊が解け後に、騎士の甲冑姿が動かなかった。・・・・トルコ兵の姿が遠ざかるのを待ちかねる思いで

倒れた騎士に向かって駈け寄った。アントニオともう一人の騎士が、両側から抱えようとしたとき、死んだ騎士の兜が脱げて下に落ちた。アントニオも・・・騎士たちも

鋼鉄の兜の下からあらわれた顔を見たとたんに、視線が動かなくなった、豊かな黒髪をまとめているものの、それは、まぎれもない女の顔だったからである。・・・脱がそうとした重い甲冑の胸元から、小さなルビーの十字架が零れ落ちた<(P212~213)

 

この女を一位にしてもいいなあ。いやこの女を一位にする。