「戦艦武蔵」(吉村昭)と「戦艦大和(の最期)」(吉田満)の重さ

前々回のブログで、入院中の読書について書いた。入院中読んだ本で、圧倒的に私に迫ってきたのは、表題の二つであった。戦艦大和」は、「戦艦大和の最期」をメインとする、他に5つの論述等を含めた文庫本の名前である。

 

どちらも感銘深いのであるが、現在まとまった感想を言えない。というか、まとめて言う視点を持てない。けれど、いま思うことは述べておく。私もいつ死ぬかあるいは書けなくなるか、分からないからである。

 

この二つが、どちらも再読にもかかわらず、なぜ私を圧倒するのかを、まず考えた。

 

それは、小説や評論にはない、事実の重さなんだろうと思う。

 

戦艦大和の最期」は、吉田満という士官(少尉)の、大和の出撃から撃沈、さらに吉田の漂流そして救助の体験を克明に記したものである。実に克明に、緊迫した文語体で述べている。

 

彼は、艦橋に勤務していて全体の戦闘を比較的把握できる位置にいた。そのため、戦闘の推移も把握できた。記述の中には、あとから見知ったこともあるが、殆どは現場の実体験そのものである。

 

 

読んで思う事のは、まことにありふれた感想ながら、戦闘の過酷さ・悲惨さである。

私は、読んでて、米軍機の来襲に「もういいだろう、戦う力がなくなったのになぜさらに攻撃するのか」と言いたいと思った。しかし、米軍パイロットは、「まだ沈まないのか、よーしもっと攻撃してやる」と思って攻撃したと思う。最後の方では楽しみだったと想像する。これが戦争なんだと思う。

 

さらに思うのは、実にこれまた当たり前だが、乗組員皆一生懸命戦った。そして悩み苦しみ、生きた、死んだという事である。

戦果の全く見込めぬ特攻の意義(無駄死に?)についての、兵学校出身と学徒兵の論争・乱闘もそうだ。ここには生死をかけた真剣な姿がある。

兵学校出身者「国のため、君のため死ぬ。それでいいじゃないか。それ以上に何が必要か。以て瞑すべきじゃないか」

学徒出身者「君国のために散る、それはわかる。だが一体それは、どういうこととつながっているのだ。俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それをさらに一般的な、普遍的な、何かの価値に結び付けたいのだ。これらの一切は、何のためにあるのだ」

兵学校出身者「それは理屈だ。無用な、むしろ有害な屁理屈だ。貴様は特攻隊の菊水のマークを身に着けて、天皇陛下万歳と死ねて、それでうれしくないのか」

学徒出身者「それだけじゃいやだ。もっと何かが必要なのだ」

白淵大尉「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めるのが最上の道だ。日本は進歩という事を軽んじ過ぎた。・・敗れて目覚める、それ以外どうして日本が救われるか、いま目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先導となるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」

 

吉田満は、親しくなった上官・部下・戦友たちの死を生々しく描く。その一場面を紹介する

「・・・・左方の西少尉、見れば唐突に起き上がり、左ひざを折り唇すでに色を失う。右大腿部を縛らんとするか、ほとばしる鮮血に、手ぬぐい真紅に膨れ上がる。たちまち顔に血の気なし。・・・何ものかを仰ぐ如くしてかすかに笑みを浮かべ意識を失う。・・・彼常に一葉の写真を肌身離さず。それを見得たるのは数人の心友に限られたるが、口をそろえて「清楚、むしろ悲しげなる」美人なりという。森少尉と並び、天下の果報者として、羨望の的となりたるは言うまでもなし。・・・我らが生還後、陸上司令部に彼を待ちわびたる手紙の束、(ことごとくその人よりのものなり)および身上調書よりはからずも真実を知る。妹なりき。父母もなく他に兄弟もなければ、天地に二人の兄妹なりき・・・・」

 

こんな描写が、あまた続く。私達は、戦闘の過酷さ、戦争の惨禍を知るべきである。そして彼らが、実に一生懸命生きたことを知るべきである。

 

一方「戦艦武蔵」は、その建造と撃沈のほぼすべてを即物的に描写したという感じを受ける。

読んで印象に残るのは、建造への、異常とも思えるような熱心さとエネルギーがある。

海軍省が大蔵省・国会・国民をだましてまで獲得する予算。

わざわざ主砲(世界最大の口径46㎝3連装砲)を運ぶために樫野という運搬船の造成。その船が10360tというから、武蔵の巨大さがうかがえる。

それを作る人たちのすさまじい努力。朝8時から夜9時~11時までの労働が、毎日続く。

何よりも興味を惹かれるのは、「武蔵」を他国のスパイのみならず、日本国民からも隠すための努力だ。異常としか言いようがない。

九州全域から集める棕櫚(しゅろ)は、目隠しのためのもの。

設計図一枚が紛失した際の関係者への拷問。3名の心神喪失者。

外国人から隠すため、ハリス邸やグラバー邸の買収。

英米領事館から隠すため巨大な物置(高さ14M長さ100M)の設置。

進水時の時の警戒陣1800名。港に面した家庭へは一人ずつ警官等を配置。勿論海を見せないためだ。進水時の外国人家庭への警官の一斉家庭訪問(笑)

 

こんな膨大な努力も、わずか数時間の米航空機の攻撃ですべてが消える。足かけ5年の建造努力が数時間で消える。その結果を知っているので、この建造のエネルギーが実にむなしい。吉村昭は、この本のあとがきで、戦争の本質を「エネルギーの巨大な浪費」と言っている。見事にそれを描写しえた本だと思う。

 

この2冊、戦争の一つの実相を描いている。戦争は、膨大な人間の一生懸命を、その膨大な総量を、一瞬で空(くう)にするものと言ったらいいか。