正月2日、門田隆将「蒼海に消ゆー祖国アメリカに特攻した海軍少尉「松藤大治」
の生涯」を読んだ。「祖国アメリカに特攻」という言葉に興味を惹かれたのである。
1993年(平成5年)特攻隊生き残りの大野木英雄(70歳)が、戦友松藤大治の最後の姿を彼の母に伝えるため、ロサンゼルスに訪問するところから話は始まる。
そして物語は、松藤大治の生涯を追っていく。米国時代、福岡県糸島中学時代、東京商科大学(現一橋大学)時代、学徒出陣、航空隊訓練時代(土浦等)、元山航空隊(少尉任官)、鹿屋基地から特攻へ、とその生涯が紹介される。
多くの証言が集められているが、松藤大治の人物像は、ほぼ共通している。
学業成績優秀、大柄な体躯、運動神経抜群(剣道部)、努力家、柔和、面倒見がいい、控えめ、穏やかなどである。
糸島中剣道部での大将、東京商科大に4年終了(通常は5年で中学卒業)で合格、東京商科大で1年時から剣道のレギュラー、飛行学生約2千名の中での成績序列第13位、元山航空隊での学生長等々の実績を見ると、この通りの人なのだろうと思う。
文武に秀でた好青年と言っていいだろう。こんな好青年が祖国アメリカへの特攻攻撃で死ぬ、なんて大いに興味をひかれ、一気に読んだ。
以下に感想を思いつくままかく。
(1)米国籍を持つ青年が、自らなぜ特攻を志願し死んだか、それを知りたいと思って読んだが、分かったようでもあり、謎であるとも思った。それは彼自身の思いを残したもの、例えば遺書とか日記とかがなく、手紙も少ないからである。
(2)このノンフィクションは、主人公の周りで生きた人々(家族・親戚・知人・友人・学友・戦友)の証言を中心に、戦史研究書、各種の戦友会出版物、中学・大学の同窓会関係出版物、本人の書いた小説等々、あらゆる手掛かりを求めて、主人公に迫っている。ごく一部、作者が主人公の気持ちになって書いたと思われるところが見受けられるが、ノンフィクションの範疇からはみ出ているものではない。事実を丹念に追っている。
(3)私は、小説が好きである。ドラマも好きである。あまり見ないが劇映画も好きである。感動もする。しかし、これらは、ノンフィクションの重さにはかなわないのではないか、と思う。事実の重さ。
ノンフィクションよりもっと重いのは、生きた人たちの手記・日記・遺書・手紙類であろうと思う。
(4)このノンフィクションで、多くの事実を知った。あるいは確認した。順不同。
〇戦前米国の日本人街(ジャパンタウン)の様子。一世たちの労苦。日本人同士の助け合い。米国へ溶け込んではいない様子。
〇米国籍を理由に、徴兵に応じなかった人がいたこと。
〇操縦術の優秀な人から特攻に選ばれること
〇特攻が決まった後の熾烈な猛訓練
〇特攻機出撃の滑走時点で、戦友が翼に乗って別れを惜しんだこと
〇鹿児島県鹿屋飛行場(特攻基地)が米軍爆撃により穴ぼこだったこと
〇最後の晩餐が鶏飯と沢庵、夜は酒飲みと雑魚寝。特攻の昼は、いなりずし、朝は不明
〇1994年(平成6年)平成天皇が、ロスアンゼルスの日系一世の敬老引退者ホームを訪問し、松藤大治の母(90歳)と握手したこと。
(5)一番印象深かったのは、学徒出陣(昭和19年10月21日、神宮外苑)の前夜、津田塾大の寮の女子学生10余名が10時の門限後、こっそり抜け出し、近くの東京商科大の寮付近にまで行き讃美歌を歌ったこと。(普段は没交渉)そして商科大寮の学生たちも出てきて、女子学生たちを囲み、皆で「海行かば」を歌ったこと。
こんなことがあったんだ。若い青春は、戦前も戦中も戦後も変わらない、と思った。
松藤大治の生涯、と言ってもたった23年。
日米の懸け橋となる外交官を目指していたという彼。
国家は、道を誤っちゃだめだ。