小学校以来の友人(同級生)は、今日75歳の誕生日を迎えました。妻子はありません(結婚しなかった)、昔から一人暮らしです。
お祝いに「わが妻と三人で少し豪華な所でお食事会」と提案したんですが、「いやだ」と言うので、2人が昔良く行った「10割蕎麦屋」へ行きました。ところが休み。「あれ、水曜日が定休日」と思ってたのにな。そこでファミレス「マルマツ」へ行って、寿司そばセットと相なりました。
彼は、今は足取りがおぼつかなく、物忘れがひどく、日常生活がやや困難となっています。毎日午前と午後、30分~1時間ヘルパーさんが来て食事の用意や部屋の片付け、週2回のシャワー浴びの世話をしてくれます。リハパン生活で、要介護3の認定です。
定年直前の58歳の時、脳梗塞を2回経験し、相馬に帰ってきました。帰ってきたころは勿論自立生活で、日帰り旅行・地元の登山(400m級)卓球等をやってました。しかし、テンカン発作を3回経験して、要介護3になってしまいました。
彼は1949年生まれ。戦後(多分日本史上)最多の人間が生まれた年です。269万人。
小学校・中学校・高校時代は、日本の高度成長時代。そのころ毎年GNPが対前年比10%前後増加というんだからどこの国の話?。
日本がGNP世界2位に躍り出た1968年に彼は高校を卒業しました。神奈川県藤沢市のねじ製造会社に就職。以後40年間同社に勤務し、2008年病を得て退社、相馬に帰ってきました。
1973年石油ショックで高度成長は終わりましたが、日本は、減量経営・コンピューター導入等で回復し、実質5%の安定成長を達成しました。5%だよ。1980年代も円高不況なんてありましたが、バブルにもわきました。元気のある時代でした。彼はその日本の経済成長を末端で支えた膨大な労働者の一人です。安価で質の良い大量の労働力の一員です。
要介護者を、福祉の世話になっている厄介者なんていう人がいるらしいですが、今の一応の豊かな生活を築いた礎だぞ。日本の最後の砦=個人金融資産2000兆円にいくらかでも貢献してきたんですぞ。
厄介者なんて言うやつ、ぶっ飛ばしてやる。
それでは元気な時代を思い出して。
どうです、この軽快な曲。バックの演奏なんて時速200㌔です。しかし、バックの男たち、服装が超地味で、もっとぶっ飛んでたらいいのになあ。時代なんでしょうか。
この曲、彼が就職した年です。俺は浪人していましたが夢がありました。
ところがこの失われた30年。あーあ、ちんけだなあ。
同級生もいよいよ後期高齢者の仲間入りです。別な友人に聞くと、敬老会に参加すると紅白饅頭をもらえるんだとか。私が50のころは、70か75になると金一封(5000円)と座布団をもらえたのですがね。こう高齢者が多くなると、出席者のみ紅白饅頭、やむなしですね。
今年の出生総数の予想は77万とか。産む産まないは各人の自由。しかし、全体の結果は残ります。
衰え行く日本。
でもねえ、我らより若い人たちよ。
年寄りの持つ2000兆円を、少ない数の君たちがいただくのだぞ。年寄りは早晩死ぬ。君たち、恵まれているぞ。
何「自分は貧乏な家、資産なんてない(😢)」
なーに、ある所から合法的に頂けばよい。
所得税の総合課税制とか、そして税率をあげるとか。
安い生活必需品無税かつ消費税20%
ベーシックインカム付き消費税30%とか
そんな政党ない?作ればよい。
「兎亀一緒(ときいっしょ)」党
「よーいドン」党
「児孫美田×」党
「この世の儲けはこの世に返せ」党