沖縄も独立住民投票をすべきー古処誠二「接近」を読んで

ブログ知人のEPOM様の紹介で、古処誠二という作家の小説を読んだ。お勧めの
「七月七日」から読んだ。(素晴らしい作家を紹介していただいて、EPOM様に感謝します。)

読後の感想で頭に浮かんだ言葉は、戦争文学と言う言葉であった。「文学」の言葉が適切かどうか私はわからない。文学のなんたるか、わからずこれまで深く考えたこともないが、「文学」と言う言葉を使いたい。その気持ちは、この作品には、単なるエンターテイメントじゃなく、人間や国家とは何かと言うことを考えさせる力があるからだ。日本人とは何か、と言う問いも惹起されている。
お涙ちょうだいでもないし、戦争の悲惨さだけを訴えているわけでもない。

まず、人物設定が秀逸と思う。
舞台はサイパン島。主人公は、ショーテイと言うあだ名の日系二世の語学兵である。語学兵とは、日本語を使って日本軍の情報収集や捕虜の尋問や日本兵の投降勧告を行う兵隊である。姿かたち言葉は日本人とまったく変わらないアメリカ兵である。

彼らは日系2世であるためかえって、米国に忠誠を見せねばならない。そのため日本軍と全力で戦わなければならない。その苦悩が描かれている。

場面設定も秀逸と思う。
日本兵を捕虜にし、彼を利用して万歳突撃をさせる(星章)、自主的に投降した日本軍下士官の考えと投降を勧めに行く主人公の話(黒星)、隠された日本軍の水源の発見、その場での民間人家族の射殺(南十字星)、射殺した民間人家族の姉の行動と自分を守る護衛兵が偽投降兵に殺される話(流星)、投降した日本兵と一緒の行動、彼ら二人は、民間人を連れて米軍に投降しようとする(運星、星条旗)、民間人も含めた日本軍の総攻撃、生き残った民間人を投降させようとする主人公。そして七夕の夜(天の川)

全編を通じてテーマは、戦争時の個人の、国家に対する忠誠ではないかと私は思った。主人公は、米国に対する忠誠を行動の基準に置かねばならない。同様に日本兵も民間人も日本に対する忠誠を示さねばならない。それは、生きたいという本音を圧殺する。それが自分の生死や他人の生死とギリギリ切り結ぶ。

最後の場面。七夕の飾りに小さな子どもたちは、本音を書く。「お父さんに会えますように。お母さんに会えますように。」

普段は言えない場面も多かろうが、少なくとも生死をかける場面では、本音が言える、そんなことが当たり前の、『戦後日本』に生まれて良かった。

次に読んだ古処作品は、沖縄戦を舞台にした「接近」。
11歳の男の子の目から、沖縄戦が描かれる。男の子が純粋な誠実な軍国少年故に、日本軍の醜さ、日本兵の醜さ、戦争の醜さが際立つ。
日本兵(脱走兵や戦線崩壊後の兵)が自分の生存のため民間人の洞窟奪う。食糧を奪う。そのため嘘をつく、脅す、スパイの疑いをかける等々。それは当然ありうることだ。兵と言えども自分の命は惜しいのは当然と思うからだ。

この作品には、かつて論争となった集団自決やそれについてに軍の関与の問題は提出されていない。しかし、日本軍の醜さは、十分描写される。私は、ここに描かれた戦争の実態は、沖縄戦の現実であったと思う。現実にそういうことが起きたと想像する。たとえかつての論争・裁判:軍の強制による集団自決がもしなかったとしても。

軍隊は、国を守るために存在する。では国を守るとはどういうことか?国を守ることを国民の生命・財産を守ることとするなら、沖縄戦の現実は、それを否定する。軍隊もある状況の場合、国民の生命財産を守らないことを示す。あるいは、「沖縄県民は、日本国民でないこと」を示す。

「軍隊の存在目的は国民の生命財産を守ること」がいつも妥当するわけではない。あるいは沖縄が他の日本国民と同等の価値を認められていなかったことを示す。
それは、戦場となった沖縄で、日本国や日本軍が中学生や女学生までを戦争目的に使用したことは、絶対否定できない事実故。たとえ志願制であったとしても。

その沖縄は、今でも日本国を守るため米軍基地の四分の三を提供している。沖縄県民は、あのスコットランドのように独立か日本国内に留まるか住民投票すべきだ。日本国政府は、英国政府のように住民投票を認めるべきだ。沖縄県民にそう言われても仕方ない。

そのぐらい、日本国と日本国民は、沖縄県民を虐めて来たし、虐めている。そんなことをこの作品を読んで思った。そうして、この作品の主人公の軍国少年の純真さが実に、実に痛ましい。大人は醜い。

まだ二つしか、古処作品を読んでませんが、戦争の真実をとらえていると思う。色々考えさせられる。もっと読みたい。紹介くださったEPOMさん、ありがとう。