7年前私は、軽トラックで人身事故を起こし、他人に骨折のけがを負わせた。信号なしの交差点で右折する時、直進しつつあった50CCバイクにぶつけたのである。確認が不十分であった。警察で事情を聴かれ、福島の検察庁で事情を聴かれ、検察官から公訴された。
その起訴状の公訴事実にこうある
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「被告人(私)は、・・・・(日時、場所、経緯の詳細)・・・・自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、右方道路からの車両の有無及びその安全確認不十分のまま発進して、漫然時速5キロメートルで同交差点に進入した過失により・・(以下被害の様子)
。」
罪名及び罰条
自動車運転過失傷害 刑法211条2項
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後日、裁判所からの判決(略式命令)が来た。
主文
被告人を罰金15万円に処する。(以下略)
罪となるべき事実(略)
適用した法令
起訴状の罰条の他、刑法18条、刑事訴訟法348条
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私は15万円の罰金を支払った。他に、民事上の賠償を支払い(保険で)、行政上の処分(一日免許停止、講習即日交付)を受けた。自分の不注意が原因なので、私はこの処分に不満はない。
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翻って、どうにも腹に据えかねるのは、原発事故当時の経営責任者への、刑事裁判上での無罪判決である。
私は法学部出身でもなく、法律を専門に勉強したこともない、一般国民である。しかし法律や裁判は、一般国民の常識に沿ったものでなければならない。そうでなけりゃ、秩序を保てないからである。
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私の常識では、東電幹部は刑法上の罰を受けるべきと思う。それは、上の私への判決文で言えば、
東電経営者は、「原発運転上の注意義務があるのにこれを怠り、・・・・漫然原発を運転していた過失」があると思うからである。
原発事故数年前に、防潮堤を超える津波の可能性が指摘されていたのである。万一に備えるのが注意義務というものだろう。原発を止めてでも、津波対策をやるべきだった。
実際は、原発を止めなくとも、予備の非常用ディーゼル発電装置を高台に作っておくことは出来たはずだ。水密化だって原発を止めずにできたはずだ。
東京地裁の裁判官は、被告が対策を取らなかった事情について、いろいろ言っているが(巨大な会社、政府の指導がなかった等)、それは、情状酌量部分でしかないと思う。彼等は漫然と原発を運転していたのである。注意義務を怠ったのである。無罪はおかしい。
私は以上のように考えるが、これは、一般国民の考え方と思う。すべての国民もこの事故で、電気料への上乗せと税金で余計な金を支払っている。
勿論私個人の自動車運転と東電の原発運転の経営者個々人では、刑法上の扱いが違うだろうとは想像できる。
しかしながら、漫然原発を運転していた会社の責任者を処罰できない法令なら、その法令が悪いのである。もし法令上、漫然原発を運転していた会社の経営者を処罰できないなら、原発の運転は、初めからそして今後も、すべきでないのは、当然のことではないか。
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安倍・菅・荻生田が牙をむいた。その牙でかみ砕こうとしているのは、思想良心の自由・表現の自由である。
荻生田文科相の発表によれば、「あいちトリエンナーレ」芸術祭への、出すと決めていた補助金を、全額交付しないとのことである。その芸術祭の中の、「表現の不自由展・その後」が、中止になったことに関しての、手続き上の不備が補助金停止の理由とのことである。
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もし、「表現の不自由展・その後」が静かに開催されていれば、当然補助金は出ていたはずだ。
なぜ「表現の不自由展・その後」が中止になったか。周知のとおり、この展示内容への攻撃や脅迫が、中止となった原因である。
思想良心の自由・表現の自由を大事に考えるならば、展示内容にかかわらず、この展示を脅迫等から守ることこそが、行政の仕事のはずである。
なのに行政は、補助金を出さず、お金の面でこの展示を締め上げようとしている。結局この展示をやめさせようとしているのである。
「表現の不自由展・その後」の展示内容は、「守るべき価値あるものではない」と、行政が言っているのである。行政が補助金を出さないとはそういうことである。
これは、行政の判断が、表現の自由を制限できるということである。恐ろしいことだ。
行政が思想良心の自由や表現の自由に、それはいいとかそれは悪いとか判断を下すのは極めておかしい。
たかが行政の判断なんぞに、思想良心の自由・表現の自由が侵されてはならない。これは、憲法違反の無効な 行政行為である。
さすがに彼等も、内容を問題としてはいないと言っている。手続きがまずいと言っている。しかーし、である。もし手続きがおかしいなら、その手続きをきちんとせよと言えばよいだけである。補助金カットをする必要はない。
手続き上の不備は、口先だけの理由である。行政は、本当は展示内容を問題にしているのである。
行政とは?直接には文化庁らしい。文化庁の役人は前例がないと認めている。前例がないことをしたのは誰か。文化庁を管轄する文科大臣荻生田その人である。また彼を文科省に送り込んだ安倍官邸である。
つまり、
この補助金カットは、安倍・菅・荻生田が、己に気に食わない表現を抹殺しようとして放った毒矢である。表現の自由を毒殺する毒矢である。これを認めたら表現の自由はしびれる。萎縮する。
大村知事は補助金カットはおかしいとして、裁判に訴えるとしている。頑張れ、大村。頑張れ裁判官。ことは、表現の自由ひいては思想良心の自由の問題だぞ。日本を北朝鮮や中国にするな。
前例がないと文化庁の役人が言っている。つまりは、ここにも、加計問題で見られた、あの、「官邸による役人への圧力」がある。
私たち国民は、日本を中国や北朝鮮にしないため、今度の総選挙でダメな野党に仕方なく投票しましょう。与党に投票して中国や北朝鮮になるよりいい。