朝5時起床。俺にしては目覚めが遅い。昨晩 中公新書「物語 中国の歴史」を10時過ぎまで読んだせいだ。
降圧剤をヨーグルトで飲んで散歩にでる。今日は1週間ぶりに西の方、田んぼ方面に。
雨がずっと降っておらず、3連休の田植えがどうなるか心配だ。俺は田んぼは作っていないけど、気になる。
1週間前は乾いてた田んぼに、今、水が張られ始めている。ただし、まだ3分の1くらいか。乾いてた用水路に水が流れている。水の流れや水を張った田んぼを見ると、心がうきうきする。
すごいと思う。用水路から水を引いて4反の田にまんべんなく水を張る、その傾斜の妙。次々と田に水を満たしていく用水技術。
しかし、見渡すと、4分の1か5分の1は、草ぼうぼうである。俺が散歩を始めた30余年前は、全面田んぼであった。作れるのに作らない、あるいは作れない。
これ、どこかおかしい。弥生時代以来2千数百年こんなことはなかったはずだ。いいのか悪いのか、分からん。
相馬盆歌にこうある。♪♪・・はあーあーああーあああいよ、と、ことしゃは豊年だよ、あ、こりゃこりゃ、穂にいい穂が咲いてよ・・・はああー・・・・道のこぐさにも、やれさ、えー、コメがなるよ‥♪♪
豊作の喜び、あるいは豊作祈願の歌である。
かつては、米がとれるか取れぬかは、最大のかつ、死活問題だった。
今は米がとれなくたって、パンがラーメンがうどんが・・・。しかしねえ、昔この辺でも作っていた小麦は今は作っていない。小麦は、どこかから輸入している。輸入が途絶えたらどうする?
ところでこの用水路の水どこから来るのか、近くに小川はないし、ため池もない。
散歩途中のおばあさんに聞いてみた。分からぬという。そして今年は水の量が少ないという。やはりねえ。水稲というけど、水が少なくて大丈夫か。
田んぼには、ソチこちに軽トラがいる。見渡すと7台いる。そうか、今日は祝日だ。田植えの準備をしているのだな。
そういえば、今日は「昭和の日」だ。昔は、天皇誕生日であった。明治の天皇の誕生日は、11月3日。今は文化の日として残っている。大正の天皇の記念日はない。平成の天皇の記念日もない。
元号なんて面倒な限りだ。天皇の在位に本質的意味があるか、勿論ない。平成30年が令和元年に代わって、えー、大きく変わったなあ、なんてなかった。
第一、天皇一世につき一元号なんて、明治以降の作りもの。その時の為政者の何かの思惑の結果でしかない。大衆操作さ。
元号なんてやめた方がいい。面倒だ。
とうとう、運転免許証が変わった。前のは「平成35年4月24日まで有効」。今のは「2026年(令和08年4月24日)まで有効」と変わった。このように西暦で示すのが便利である。
平成の天皇の記念日がないのは、まだ生きてるからか?ご逝去あそばされたら、何かの記念日になるのか?
それは法律で決めるから、国会の多数を占める奴らの思惑で決まるわけだ。安倍晋三の国葬が、国会で多数派を占める奴らの思惑で決まったのと同じ。
では、昭和天皇の誕生日を残したのはなぜか。昭和を思い出せってか。
確かにねえ。昭和は激動だなあ。何せ、有史以来、他国にコテンパンに負け、「ごめん、勘弁して、いうこと聞くから」と言って降伏し、何年も占領され、国のあり方まで変えられたのは、昭和天皇の時しかない。
こりゃ、思い出した方がいいなあ。
その後、1960年代の終わりころから、約40年間、国民総生産(GDP)で世界2位なんてことがあったのも昭和。
これも思い出した方がいいなあ。
なんていうと、「またえばりやがって。お前らのせいで、バブル崩壊・長期低落だ。今後どうしてくれるんだ。早く消えろ」なんて言われそうだ。「ふん、お前らだって。あとを見てみろ、どんどん人が減っていくじゃないか。お前らのせいだろ」
おっとっと、世代間対立は止そうぜ。俺たちの世代も君たちの世代も、大金持ちと貧乏人がいる。そっちの方に目を向けようぜ。
うーん、元号には反対だけど、昭和の日はあった方がいい(笑)第一、新緑の季節のお休みは、多い方がいい(笑)。
なんてとりとめのないことを、ぼんやり考えながら散歩から帰ってきた。
早速チラシを見る。おお、久しぶりに卵の特売日である。一パック198円である。一人一パックのみとある。
我が家は5人家族で、俺を除いて皆卵好き。俺も料理にはいっぱい使う。卵の安売りは大きい。俺も買い出しに参加することにする。第一、俺は買い出し主任である。
早くいかねば、卵はなくなる。9時半。隣町のスタンデイングは10時。
今日はスタンデイングはさぼる。(ごめん、結論までこんなに引っ張って・・・ブログを読まれた皆様へ)