読書のことで実感する。
エミータ様へのコメント返しにも書いたけど、近頃読書の途中挫折が多い。
平野啓一郎「高瀬川」「ドーン」、中村文則「教団X」「A」、青葉悠「幾千年の声を聞く」、次々である。結構興味深いことを言っているように思うが、理解できないという事で挫折。
それでは島田雅彦でという事で「カオスの娘」。これは、理解できないわけではないが、面白くないという事で挫折だ。
仕方がないから、時代物へ。青山文平「白樫の木の下で」。理解もできるし、まあ面白いが、どうも聞いたような話だなあ。・・・劇的な盛り上がりの、最後になって、あれ、読んでた!!しかもブログに、ごく短い感想も書いていた。
あーあ。
そんな中で読み通したのが2冊。
中村文則「掏摸」・・・緊迫した文章でほぼ一気に読まされた。何がいいたいか、はよ
くわからぬが、ある何かに絶対的に支配される人生、というのが印象に残った。我らだって大きく見れば、何かに絶対的に支配されているのではないか?と思った。
中公新書「物語 中国の歴史」(寺田隆信、1997年)かつて「物語 アメリカの歴史」が面白かったので、現代から近未来の米中2大国という事で、中国を読んだ。
新書版なんだが、手に余った。王朝の興亡と為政者の業績が中心。それがまあ、変遷を追うだけでもきつい。頭に入らない。現役・浪人の受験生時代の苦戦を思い出した。
感想は、中国は巨大すぎるという事。歴史の長さと土地の広さ。事績・思想の多さ。
全く、昭和前期の日本は余計なことをしてくれた。中国侵略。これはまずい。ひどくまずい。こんな強大かつ広大無辺な中国に、やりやがったな!と復讐されたら、日本なんぞひとたまりもない。いや悪いのは昭和の日本ではない。明治以降の日本だ。何が「坂の上の雲」だ。
私は、今後中国とどう付き合うかという問題意識でこの本を読んだが、筆者は、辛亥革命(清朝の滅亡)で著述を終えている。
私の関心は、その後だけど、専門が違うのだろう。
しかし共産党独裁下の資本主義という不思議な現代中国を、王朝の変遷史という視点からどう見えるか、という事への言及が欲しかった。
最後に印象に残った言葉を紹介する。あとがきの言葉である。
「中国は自前の文明を持ち続けたのであり・・やがて古い価値を継承しつつ、自ら新しい価値を生みだし、それに依拠する自己主張を持って、あらためて世界に挑戦するに相違ない」
共産党独裁の資本主義??。欧米民主主義に対して中国式民主主義?一帯一路。米中2大覇権構想。発展途上国リーダー。古代文明国フォーラム。TTPにまざる・・・。
この本から20数年後、確かに筆者の言う通りになっていると思う。恐ろしや。
さてと、もうすぐ連休で静岡の孫たちが来る。8人家族になる。数日間大家族だ。小2の孫は、何ができるようになったか。4歳の孫は日々いろいろ吸収し、試行錯誤をして、発達している。孫たちよ、対話式AIなんぞに負けるでない。能率悪い人間の脳を持つ孫たちよ、AIなんぞに負けるな じいじここにあり(笑)