天気予報は曇りだったのに、朝から霧雨が降っている。野菜の世話はしなきゃならないし、草むしりはしなきゃならないし、池の草刈りもしたい。
しかし、雨の日はしょうがない。
でまた、駄文を連ねるか。
今、図書館から文藝春秋編「巻頭随筆 百年の百選」という本を借りている。月刊誌「文藝春秋」(創立百周年なのだそうだ)の巻頭言7000の中から選び抜かれた100編で出来た本だそうである。今年発売の本である。(2023年1月第一刷発行)
私でも知っている有名人が多い。
かといって、「名文は時を超えていく」と帯にあるほどの名文という感じは受けない。
尤も名文の何たるかを私は知らないけど。
名文というと、私は、
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」とか「行く川の流れは絶えずして」とか「月日は百代の過客にして」とか「まだあげそめし前髪の」とか「国破れて山河在り」とか、そんな古典を思い出すのだから、文芸春秋巻頭言に名文を感じないのは当然かもしれない。
では、面白くないかというと、面白いものが結構ある。すべて読んだわけではないけど。
初めて知ってびっくりしたこと
松岡筆子「お札と縁がなかった漱石」
夏目漱石って一生借家住まいで、割と貧乏だったこと
松浦寿輝「心底驚いたこと」
見知らぬフランス語教授(松浦氏)に、フランス製避妊具の説明書の翻訳を頼んだ東大生がいたこと
なるほどと思ったこと
「アメリカ人は銃で人を殺すことを是が非でも絶対に善としなければならないのである。何故なら、アメリカという国は銃で人を殺すことで成り立ったからである」
徳岡孝夫「別れが消えた」
「さっき別れた人とでも、ちょっと親指を使えば、その人にメールを送ることができる。・・・・駅まで出向いて泣いたり手を握ったりするのはあほらしい」
笑ったのは、大野晋「語源の眼界」の冒頭。
「急に質問を受けました。「デブの語源は何ですか」。さてそんなこと知っているわけはありません。大きな辞書を見ても書いてない。デブとは何だろう。」
強烈だけれど、いやだなと思った文章は、渡邉恒雄「氏家斉一郎君と私の人生」
いやだなと思ったのは、この文章だけだ。さすが、渡邉氏。
出世欲というか権力欲というか自慢話のオンパレードに見えた。こんな爺にはなりたくない。勿論権力とは無縁なので、なれるはずもないけど。