山本周五郎が描いた主従愛

今日も雨模様、散歩も畑もできない。梅雨だから仕方ない。誰かの歌にあったなあ。        

 

♪雨の日はしょうがない…♪

 

で、とりとめもない事を書く。思いつくまま。まとまりはない。

 

5月31日(日記で調べたので分かった)。実に久しぶりに孫が「幼稚園に歩いていこう」、と誘ってくれた。半年振りか。昨年の10月から11月には、ほぼ毎日歩いて登園してた。歩きの登園時は、じいじが専属の伴歩者。その日は、面白いものを見ながら彼女と登園した。

 

 

面白いもの、それは、桑の実を食べる怪物どもである。

その日の早朝、散歩の途中で、池のほとりの桑の実を食べた。何十年かぶりである。経緯はこうだ。歩いていくと何やら池の中で蠢くものがある。近寄ってみるとミドリガメが多数浮いている。何だと、ふと見ると彼らの頭上に桑の実が成っている。ははあ、これを食いに来たのか(勿論落ちたやつ)、あるいは桑についている虫でも食べに来たのか、と思って、黒い実を取って投げ込むと、カメなのにかまずに飲み込むのである。面白がって自分も食べながら投げていた。と、がぼっと、水が動く。何奴?・・・大きな鯉である。直径3cmくらいの口を開けて飲み込む。

 

鯉・カメと戯れながら、久しぶりに桑の実を食べた。その後、数回食べている。甘酸っぱい懐かしい味である

 

偶然にも、ブログ知人のエミータ様が、桑の実のことを記事にしてた。(6月1日)

 

その関係で、山本周五郎の「桑の木物語」を再読した。(青空文庫

 

最後がかったるいが、いい話なんである。彼のユーモア系の話(「ひやめしものがたり」「百足違い」「評釈堪忍記」「末っ子」等々、俺はこれらが好きだ)に属するが、そればかりでない。

 

主従の深い愛の物語と言っていいだろうか。かったるさは、酸っぱいばかりでない、甘さからくる。主従愛は、甘酸っぱい桑の実の味である

 

とここで、私は変なことが気になってきた。「どうして俺はこんな話に感動するんだろう。何故なら俺は、主従関係なんて大嫌いな人間のはずなんだけど」と。まして、「封建的主従関係なんてまっぴらのはず」と。はて。

 

少し考えてみようか(暇だな俺も)

 

「水戸梅譜」水戸光圀は若いころ、仕官してきた浪人の心根を理解できず、むざと死なせてしまう。その浪人の子が親の遺言どうり、光圀を影の主人として行動して、やがて、光圀に取り立てられるという話(うーん、説明が極めてつまらないな)

 

「蜜柑」。忠義一徹の主人公が、徳川頼宣紀伊藩主)の家老に叱られる。家老末期の時呼ばれてである。主人公は腐る。藩内の派閥争いの時、主人公が忠義一徹で頼宣とぶつかり、蜜柑畑の管理という閑職に追われる。最後は、頼宣に重大使命を仰せつかる。そして、死んだ家老が主人公を気遣っていることがわかる。(うーん、説明が面白くない)

 

「松風の門」。主人公は、殿様の若様時代ご学友。一番のお気に入り。しかしある時、殿様の目を傷つけてしまう。殿様はこれを二人の秘密にする。主人公は逼塞状態を選ぶ。殿様は主人公をダメな奴になったと思う。しかし主人公は、藩の存亡の危機に命を捨てて藩を救う。殿様は、ここで、主人公のほんとの気持ちをわかる。(うーん、説明が良くない)

 

これらの主従に共通するものは何か。真摯、己を捨てた生き方なんじゃないか。

 

いずれの話しでも、主人公の殿様も、お仕えする家来も、真摯なのである。殿様は、藩の政治の為一生懸命であるし、家来も命を捨てても、藩主と藩に奉仕しようとする。

 

勤め人時代の40年間(常勤37年)私は、実に多くの上司に仕えたが、「この人の為なら、己の不利益を顧みず」なんて上司は皆無であった。自分の考えと違う上司には、面従腹背もあった。

 

主従の愛というけど、愛とは違うかも。主人も自分の欲を捨てて生きいて、家来も自分の欲を捨てて、主人つまりは藩即ち全体に奉仕するという事が描かれている。その生き方で双方は共鳴していた。責任ある生き方。この人間関係は、主従ではなく愛でもなく、公人として認め合うなのかなあ。封建的主従関係とは違うな。

 

そして彼らは世評に拘泥してない。世間の評価を超越している。

 

山本は、公人として真摯に生きる、対等の人間同士の認め合いを描いたのかもしれない。藩主と家臣とは、仕事上の役割の違いと考えられる。

 

さて、現代はどうか。企業人も公務員も政治家も自分の欲でしか動いてないと思う。真摯でないんだ。政治家も大きく言えば公務員、「全体の奉仕者」であれ、と憲法は命じている。企業も株主利益、創業者利益、会社員利益のみではおそらく発展がない。全体の利益という視点を持たないと発展はないと思う。

 

私はどうであったか。上司に真摯に意見を言うこともなく、表面聞いている振りをして、ごまかしてたことが多いと思う。激しい対立も嫌だし、第一生活があるからね。決して真摯ではなかった。

 

 

だからこそ、己の世間的な欲を超越し真摯に生きる、山本周五郎の作り出した人物たちに感動するのだろう。

 

とアップしたら、関連記事で、かつて山本周五郎について同じようなことを言っていたことが判明した。うーん、ボケ始めたか。幸い昨日「認知症基本法」なるものが、全会一致で成立したとか。よし、安心してボケよう。