「相馬野馬追」・原発・民進党選挙

戻り梅雨である。
梅雨なんてあったか、この2か月、畑に小川で汲んだ水撒きばかりしてた気がする。

それはそうと、29日・30日・31日は、当地方の最大の行事「相馬野馬追」である。この3日間いろんな行事があるが、有名なのは、神旗争奪戦(30日・南相馬市原町区)である。騎馬武者たちの、空から降ってくる旗の奪い合いである。元々は、野馬を捕まえることを中心とした相馬藩の軍事訓練だった。その名残が見られるのが31日、南相馬市小高区で行われる野馬懸けである。これは、神社に馬を追い上げ、捕まえるという行事である。相馬野馬追1千年の歴史といわれるが、「相馬野馬追の源流は、平将門の軍事訓練」(相馬氏の遠祖は平将門)という説からである。

総大将をお迎えに来た武者達と観客。

総大将相馬行胤氏。勿論相馬藩主の子孫である。昨晩元家老の屋敷に泊まり、今朝家来たちが迎えに来て、20数キロ先のメイン会場(雲雀が原)のある南相馬市に向かうのである。途中で家来が合流する。

総大将をお守りして相馬の城下町を行く武者行列。

旧相馬藩あげての大行事ではあるが、現在、浪江・双葉・大熊・飯館からは、参加してないだろう。この町村は、近年ある意味で相馬野馬追以上に有名になった。悲しいかな東電福島第一原発事故で有名になったのである。

高度経済成長初期、都会に労働力が吸収される一方、田舎では工場誘致が盛んにおこなわれた。この地は、農業しか産業がなく工業誘致も難しかった。出稼ぎで食っていたこの地に、原発という新産業ができるという、それに飛びついた人々を、私は非難できない。勿論危険であるという点で、地元でも反対運動が強くあった。誘致賛成派は、反対派の意見を聞くべきであったとはいえる。しかし、日本国政府と全国の電力会社の「原発は安全である、地元には金が入る、雇用を生み出す」という宣伝に抗しえなかったのは、やむを得ないと思う。
小中学校時代、私は、原発に希望を持っていた。その後原発に関心はなかった。考えたことがなかったのである。少し関心を持ったのは、1979年のスリーマイル島事故からであろうか。考え直さないとと思ったのは、1986年のチェルノブイリ事故後である。それでも、国と電気事業連合会の「日本の原発は、安全である」。「原発は安い、自前のエネルギー、二酸化炭素を出さないクリーンなもの」という宣伝を、半信半疑で聞いていた。私は、「原発は、放射性廃棄物の処理ができてないから駄目」という判断し、労働組合を通してだが、反対運動には消極的に参加していた。東電の事故・事故隠しは知っていたが、せいぜい事故は、原子力発電所内だろうと思っていた。ある意味、安全神話を信じてた。不勉強であった。

私は今、原発訴訟「生業を返せ」裁判に参加して、国・東電の責任とまっとうな賠償を求めている。

われらの原告団長は言う。「各地の訴訟団、特に、主に浪江・双葉・大熊からの強制避難者の中には、肩身の狭い思いをしながら訴訟に参加している人もいる。隣近所に知られると『賠償金貰っているんでしょ』といわれるからだ」と。意図しない職業・故郷の喪失や家族の分断、友人・地域のつながりの喪失、自分の出身地を言えない苦しさそんなことお金で解決できないだろう。今年路上で同級生にあった。女性である。彼女曰く「近くの新築の家、豪壮な住宅で、外車も二つ持っている。あれきっと、原発賠償金で建てたんだ」と。このどす黒い分断。

福島の原発事故で、世界では脱原発の動きが起きている。それなのに火元の日本では、自公政府と電力会社は原発再稼働に躍起となっている。もう「原発は安くなく、クリーンでもなく、安全でもない」ことは明白である。放射性廃棄物の処理ができないのはもともと明白であった。原発燃料リサイクルなんて夢だった。それなのに再稼働に躍起なのは、目先の利益につながるからだアベノミクスと同じだ。今がよければなんだ。もうわれらの世代は、国の借金・自然と人間の共生の破壊等、放射性廃棄物等、のちの世代に負担をかけすぎている。これ以上負担をかけるのはやめよう。

蓮舫氏の辞任によって民進党の代表選挙が行われる。蓮舫氏の能力ついては知らない。しかし、大した気して、蓮舫代表の足を引っ張る民進党の国会議員の連中は大馬鹿と思う。安倍政治の馬脚が表れている今、内紛をしているのは、超ど級にあほと思う。

今朝の朝日によると、民進党の次期代表選挙は、枝野と前原の一騎打ちという。前者がリベラルで後者が保守という。対立点の第一が憲法改正と、朝日新聞は言うようだ。憲法改正問題なんぞで争う(国民に争いを見せる)のは大ばかである。なんとなれば、安倍政権も集団的自衛権だって合憲といっているのだから。安倍政権にも9条についての憲法改正なんて説得力がないのである。合憲なのに改正する必要はないのだから。その他の憲法改正も国民の多数は要求を感じてない。故に憲法改正問題に乗るというのは自民党の策略に乗せられたばかな争いである。

朝日新聞で第二の論点は、野党共闘についてのスタンスの違いという。これを争点にするのは損である。「野党共闘か独自路線」なんて争いは、所詮3分の1以下の中での争いである。コップの中で争ったって世の中を動かせるはずがない。前原は、共産党との共闘を否定しているけれど、それは自民党の一部とか公明党に期待しての考えだろうけれど、与党を維持できる限り自民党が分裂するはずがない。公明党も、自民党にくっついて政権与党になってる方が(理念より)得と考えているのだから、前原の考えは大甘だと思う。野党共闘しかないのである。自民党は、すり寄る勢力に困っちゃいない。まあ、前原が勝ったら、民進党は解党すればいい

以下は私の提案である。
勿論、民進党が何を目指す政党かをはっきり見せるチャンスとするためである。注目を集めるため、争点を自分たちで作るのである。内部でどちらが勝つかの権力争いをやっててはダメだ。

争点の第一は、原発をどうするかにしたら良い。2030年原発ゼロという方針で争えばいい。これは、民進党労働貴族=連合の政党か、一般労働者の政党かという争いである。もし原発ゼロ派が勝てば、一般労働者の支持を得よう。再稼働派が勝てば、民進党は解党すればいい。自公政権と同じなのだから、存在価値はない。

争点の第二は、税制にすべきである。消費税増税か、富裕層増税所得税累進課税強化、贈与税相続税強化)か、で争えばいい。もし富裕層増税派が勝てば、一般の人たちや労働者層をひきつけうる。消費税増税派が勝てば、民進党は解党すればいい。自公政権と同じだから。ただし、かつての民主党主導で消費税の安定的増税を言ったのであるから、これは間違ってたと言えばいい。間違いを認めるのはとても大事なことだ。大事なことだ。


コンクリートから人へ」ということは対立点にならないだろうから、これは共通政策として打ち出せばよい。自公政権が、人よりコンクリートというのは明白である。巨大防波堤と東京オリンピックがその象徴である。それに批判的な人も結構いるだろう。オリンピック撤回はもう無理だけれど、傷を少なくやろうという姿勢を見せるべきだ。

上の解党論と矛盾するが、代表選が済んだ後は、新執行部に協力することは極めて大事だ。

見よ。改憲を旗印にした自民党が、それを棚上げにして長い間政権を担当してきたのだ。少しは自民党の爪の垢でも煎じて飲みたまえ。

少なくとも何を争点として代表選をパフォーマンスするかは、よく考えると良い。所詮はパフォーマンスなのである。自分たちの争いにどれだけ耳目をひきつけるかが大事だと思うなあ。

できるだけ多く街頭で二人で意見を言い合えばいい。ここまで同じ、ここは違うという風に。国民に自公と違こと分かればいい。それが役立つと思ってもらえばいい。そうだなあ、司会を付けて短時間で答えるとかできないかなあ。自分たちの宣伝だと思えばいい。・・・誰も聞いてないかもなあ。それでも、それが今の自分たちと思って我慢してやるんだなあ。

マスコミも自公政権のスキャンダルばかりでなく、自公政権と違う考えを紹介するという姿勢で、民進党代表選を多く報道してもらいたいな。それくらいの編集権は、まだあるんだろう。あるうちだよ。政権が文句をつけてきたら、文句をつけてきたと報道すればいい。

以上、よく咀嚼できないまま、思うことを言いました。