本「天皇家の戦い」と憲法の認める自衛権について

加瀬英明著「天皇家の戦い」を読みました。

なかなか面白い本でした。この本は、昭和20年から昭和21年日本が敗戦・新国家建設と言う未曽有の変化をした歴史の舞台での、昭和天皇や皇族の生きざまを描いたものです。

この本は、高松宮ご夫妻、入江侍従長など天皇家に関係する多くの人々のインタビューと参考文献をもとにしたドギュメンタリー風の読み物です。

ドギュメンタリー風読み物というのは、この本は、著者が再構成したもので、真実かどうかは証明できないからです。そして、誰のどんな発言からこういう描写になったかはっきりしない部分が多くあるからです。
しかし、読んだ感じでは、真実が多いんだろうなあと思われました。それは、描写の細部が生々しくホントらしく思えるからです。

敗戦直前の皇室の様子、終戦の聖断とその後の軍部の動き、敗戦後のマッカーサーとの関係、人間宣言の頃の昭和天皇の対応、まったく面白い。

ただし、筆者の考えが突然出てくることがあります。それは一応ドギュメンタリー風読み物らしいこの本に全く合いません。

>後の平和憲法などを見ると、この時期に幣原のように現実離れした人物が日本の首相になったことは、不幸なことであったかもしれない<

マッカーサーは去っても何百万と言うマッカーサーを後に残していったのであった。
今日の社会党護憲派、いわゆる「平和主義者」達は、現代のマッカーサーたちである<

何故、>幣原→平和憲法→不幸<と言えるのか、何故、>護憲派は、マッカーサーたちなのか<、説明が全くありません。

筆者は、現憲法が嫌いらしい。嫌いなのはいいが、何故そう言えるかを説明しないでは、単なる独断でしかありません。

>とにかく、ケーデイスをはじめ、(現憲法の基になったGHQ草案は、)田舎の民事の弁護士が作ったものであったから、英語も表現も、まったく混乱していた。<

ここには、筆者の現憲法をおとしめたい気持ちが表れています。

そこで、かつて読んだ鈴木明憲著「日本国憲法を生んだ密室の9日間」を再読しましたた。
同書は、加瀬の上述本と比べて、誰の発言か明示しており、かつ出典も明示してます。自分の意見は殆ど出ていません。その点で、ドギュメンタリーと言っていいと思います。

そしてこの本で、現憲法下で自衛隊が存在できるようになった根拠を再確認しました。

マッカーサーメモ
「日本は紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争も放棄する」

ケージス大佐の変更
「自己の安全を保持するための手段としての戦争」と言う部分をカットした。国家の自衛権を否定するのはまずいと判断したため(本人の証言)

芦田修正
第二項に「前項の目的を達成するため」を挿入
→これは事前にケージスに了解をもらっている。ホイットニー民政局長も了解。

つまり憲法案を作成したGHQ側も日本が自衛のための軍隊を持つことを承認していました。

しかし、憲法制定国会での吉田首相の有名な答弁は、「自衛のための戦争も放棄」としています。

日本が自衛のための戦争が出来るかできないかは、初めから両論があったのは明白で、その後も激しい論争・対立がありました。

しかし、日本は、自衛のための戦争が出来るかできないかと言うのがその対立点であり、アメリカのために日本が戦うなんて論外でした。

憲法改正をしないと集団的自衛権は、行使できません。