戦争の惨禍が9条を作ったーNスぺの感想、そしていつもの主張

録画していたNHKスペシャル 4月30日「憲法70年 平和国家はこうして生まれた」を見ました。

いろいろなことを知りました。

(1)「平和国家」というが言葉が、戦後公に使われることになったのは、昭和20年9月4日帝国議会での、昭和天皇の国会開会時の勅語「平和国家の確立が新たな国家目標」
→こんなに早く、しかも昭和天皇から平和国家建設と言い出したのは、ちとびっくりしました。もっとも、あの戦争の名目も「東洋平和」のためという文言でしたから、そうびっくりこともないですかね。

(2)この「平和国家の建設」が9月15日、文部省の新しい教育方針になったというのことには、やはりびっくりしましました。天皇もそうですが、お役人もなんと変わり身の早いことでしょう。敗戦後わずか1か月ですよ。これは、よほど彼らが戦争に懲り懲りしていたか、理念なく自己保身のみで生きていたか、どちらかでしょうね。私は、できませんね。

国民はどうでしょうか、70年経っても「平和主義」を真正面から否定する言説がありませんので、本気で受け入れたのでしょう。「他国の行う戦争」に参加を可能にする安保法制も、積極的平和主義という嘘っぱちの大風呂敷の下でしか言い出せなかったのですからね。国民は、戦争の惨禍を身をもって経験しました。日本国民は、平和主義を自分の血肉にしたのです。

(3)憲法改正は、天皇近衛文麿ラインと幣原首相の憲法問題調査会の二つがあった。→早くから天皇憲法改正に主導的に動いていたのにはびっくりしました。

(4)憲法9条は、世界大戦の惨禍という人類の経験が作ったと再認識しました

(あ)幣原喜重郎首相とマッカーサー会談(1月24日)
幣原「天皇制を維持したい、協力してくれるか」マ「平和的に占領することができたのは、天皇の存在が大である」幣原「戦争放棄をはっきり世界に声明したい。それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りじゃないか」・・・二人は大いに共鳴した→従来から言われていた通説通りと思いました。幣原「国民が子々孫々、その総意に反して戦争の渦中に引き込まれることのなきよう」という手記が心に響きます。

(い)幣原首相の憲法問題調査会で、宮沢俊義(東大教授)らは、戦争放棄・軍備廃棄を入れようとしたが、同調査会では、松本譲治委員長らの意見が強く君主主権の憲法案であった。平和主義は全く日本政府案(松本案)には入ってなかった→松本案を見れば、明治憲法とほとんど同じですので、当然平和主義はありません。

(う)2月1日毎日新聞が、この政府案をスクープ→これをGHQは分析。極めて保守的と判断し、GHQ憲法案を作成するという意思を固める。マッカーサーが急いだ理由は、
ソ連やオーストラリアという天皇制廃止を主張する国々も入っている極東委員会の発足が2月下旬に迫っていたから→通説通りと思いました。

(え)2月3日マッカーサーは、「戦争の廃止・戦力不保持・交戦権否認・自衛戦争も否定」という原則を部下に示した。この項目の責任者ケージスは、マッカーサー原則から自衛戦争も否定」という項目を削った。ケージスは、「独立国なら自国を守るのは当然。自衛戦争まで否定できない。紛争解決の手段としての武力による威嚇・武力の行使は放棄するという文言を加えた。侵略戦争はしないということを明らかにするため」と証言。→この証言で、立法者の意思では、自衛戦争が想定されていたことがわかります。その後吉田首相は、「自衛戦争も否定している」としました。日本国憲法は、自衛戦争をも否定するか自衛戦争は肯定するかという憲法解釈の問題を最初から持っていたわけです。

(お)2月13日象徴天皇制戦争放棄・人権尊重」のGHQ案が日本政府に示された。ケージスの証言:マッカーサーは言う。「連合国の圧力で私は天皇を守れないかもしれない。しかし、この案を受け入れるなら、天皇は安泰であろう。諸君が受け入れないなら、この案を国民に公表し、国民投票にかける」この脅しで政府は、GHQ草案を受け入れることとなった。→これを見れば、押し付けられたのは、当時の政府であり、日本国民ではないことが明白である。このとき、ほんとに国民投票があれば面白かったな。

(か)4月10日、史上初の20歳以上の男女による選挙が行われ、憲法改正国会が開かれた。条文審議の小委員会が始まった。しかし、この政府案には、現9条の冒頭部分がない。「平和」の文言がない。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という部分がない。それを入れたのは誰か、ここから、この番組のメインが展開する7月25日、帝国憲法改正案委員小委員会が開催され、この委員会で各党の真摯な審議で、この条項が入れられる。それは、速記録に依拠して、ドラマ仕立てで示される。主導したのは、社会党鈴木義男である。鈴木は、戦前国際連盟の創立とその崩壊を見た。この鈴木義男を通して、「新しい平和維持機構」(国連)の中に、9条を掲げて、日本も積極的に参加し、世界平和構築に力を尽くす」という現憲法の性格が示される。また、戦前の反省から、「条約や国際法の誠実に守る」ことも入る。こうして、9条冒頭が作られる。それは、この委員会の委員たちの共通の意思であった。党派を超えて平和国家日本を作ろう、世界平和に貢献しようという強い意志であった。
→ここから次のことがわかります。
(a)日本国憲法には、日本国民の意思が反映していること(そのほか、この番組では入ってませんが、芦田修正=「前項の目的を達成するため」、一院制を二院制にした等も日本国民の意思=正確には日本国民代表の政治家意思の反映)
(b)押し付けられたのは、当時の日本政府であり、日本国民ではないこと
(c)9条案を作ったのは、天皇・幣原・マッカーサー・ケージス・芦田・鈴木義男・憲法改正委員・外務省である。彼らに共通するのは、戦争の惨禍を経験し、戦争を二度とおこさないという決意である。つまりは戦争の惨禍が作ったといえる。
(d)9条の目指す安全保障は、国連の集団安全保障と国際法の支配による安全保障方式であること。


私が思ったこと。
(1)この番組を見ると、安倍首相の「占領下の押し付け憲法」論が、いかに杜撰かがよくわかります。押し付けられたのは、当時の政府であることは明白です。日本国民の代表が原案作成に大きくかかわり、かつ、この案を現在の選挙制度で選ばれた国会議員が殆ど賛成したことから憲法は日本国民が作ったといえます。当時国民投票があればよかったと思います。今でも、国民の意思をはっきりさせるために、自民党が作った憲法草案を国民投票にかければよいとも思います。ぐずぐず言わず、そうしなさいよ。自民党さん、全力で作ったんでしょ。日本国民が判断するでしょう、現憲法と貴党案の優劣を。私は、現憲法を断然支持します。

(2)現憲法は、国連の集団安全保障と国際法の支配を、自国の安全保障としました。それは、国連に集う各国の(たとえ建前としても)安全保障方式でした。国連憲章がそれを示しています。日本国は憲法でその先駆けとなるという決意を示しました。

中学一年生向けの副読本である「あたらい憲法のはなし」(文部省著作昭和22年)は、言います。「・・・今やっと戦争は終わりました。・・・戦争は人間を滅ぼすことです。世の中の良いものを壊すことです。だから今度の戦争を仕掛けた国には大きな責任があるといわなければなりません。・・・そこで今度の憲法は、二つのことを決めました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機もおよそ戦争をするためのものは一切持たないということです。これから先、日本には陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。放棄とは捨ててしまうことですしかし皆さんは決して心細く思うことはありません。日本は正しいことをほかの国より先に行ったのです。世の中に正しいことほど強いものはありません。・・・」と。
ここには、国連の集団安全保障方式と国際法の支配に対する信頼が背景にあったと思います。集団安全保障方式というのは、ご存知のように、
(1)すべての国で一つの集団を作って(その集団が、国際連盟国際連合)、
(2)ルールを作り(例えば国際紛争を解決する手段として戦争、武力による威嚇、武力の行使はしない『国連憲章前文、第一章第一条第二条、第六章等』)、
(3)このルールに違反する国家に対しては、他のすべての国で制裁する(国連憲章第七章)というやり方で、戦争防止する方式です。

これまでの、個別的自衛権(自国の軍事力増強=抑止力アップ)、集団的自衛権(同盟を結んで軍事力強化=抑止力アップ)による戦争防止とは違うやり方です。これまでの安全保障は、古今東西すべて、個別的自衛権集団的自衛権でした。集団安全保障方式は、真に人類の新しい平和安全保障方式でした。なぜ人類は、集団安全保障を思いついたか。第一次大戦(英ロ仏VS独墺伊、伊は抜けますが)と第二次大戦(米英仏ソ中VS日独伊)の原因の一つが、集団的自衛権だからです。少なくとも間違いなく、集団的自衛権が平和をもたらさなかったといえます

しかし、戦後の現実は、米ソ対立のため、それぞれの陣営が同盟関係を作って対立しました。日本も日米安保条約という同盟を結びました。その同盟の結果、日本も自衛隊という再軍備や米軍との共同行動や自衛隊の米国への協力(周辺事態法・安保法制)政策を進めました。逆戻りしたわけです。国連は、東西冷戦の結果、機能不全が多かった。

現在は、大きく情勢が変わりました。東西冷戦が終わりました。中国とは日中平和友好条約で普通の付き合いもできるようになりました。ロシアとも冷戦時代よりはるかにまともな交流ができるようになりました。安保状況は東西冷戦時代に比べて改善したのです。東西冷戦が終わった段階で、世界は、集団安全保障方式の実効性を高める努力をすべきでした。国際法の支配を高める努力をすべきでした。日本はその先頭に立つべきでした。しかし日本は、逆の方向に進みました。日米同盟の深化の方向=集団的自衛権強化の方向です。残念です。そして自衛隊は、世界有数の軍事力を持つことになりました。しかし自衛隊の増強は、これは一方では、「心細く思う」(新しい憲法の話)必要がないということです。自衛隊は、最後の(低いレベルではありますが)安心と安全を保障します。

私たちは、戦後日本の決意、「すなわち世界の先頭に立って、世界平和の構築に尽力すること」に戻りましょう。宮沢俊義氏が言う通り「原子爆弾ができた現在、戦争は無意味なのです」から。さらに現代の原水爆・生物化学兵器・ゲリラ・テロを考えれば、軍事力による解決が無理なのは明白でしょう。いかなる国もどんな軍事力も、本気の敵意には、無力でしょう。

日本は、武装中立から集団安全保障体制・国際法の支配体制の確立へ努力しましょう。
それは極めて困難な道です。でも名誉ある道です。米英仏ソ中などの戦勝国が出来なかった道です。
この道を歩むことは、世界の中心で輝くことかもしれません。いや、世界の中心で輝かなくていい。隅っこでいい。輝くか輝かないか、そんなこともどうでもいい。しかし、この道は、戦争の惨禍を味わった全人類の希望を背負った道といえると思います。

日本国憲法前文の結語
「日本国民は、国家の名誉をかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」