世界中で米軍支援とノーベル平和賞

今朝の朝日新聞には、どうも腑に落ちないと言ったらいいか、しっくりこない記事があった。朝日新聞のことではない。

朝日新聞一面に「日米両政府は、年内改定を目指す日米防衛指針の中間報告に、世界規模での米軍支援を明記する方針を固めた」と言う記事がある。これが近頃流行りの朝日の誤報だったらいいのだが、そうじゃないだろう。7月の政府解釈変更による集団的自衛権行使容認の流れから見て、ホントのことだろう。安倍政権の動きから当然そういうことになる。そして安倍政権は、このガイドラインに添った法律制定を目指すのだろう。

社会面には、ある民間研究機関の、今年のノーベル平和賞の受章予測のトップに「憲法9条を保持する日本国民」という記事が載っている。
この落差と言うか乖離と言うか、矛盾と言ったらいいのか、頭が変になる。目がくらむようだ。もし9条がノーベル平和賞になったらどういうことになるか。
もっとも、集団的自衛権が「ない」と解釈していた文言を「ある」と解釈できると言う安倍内閣自民党にとっては、平気の平左なんだろう。言葉を無力化する人たちだ。選挙で勝ったからって、言葉の解釈権があるわけじゃない。言葉狩りでもしようとしてるんだろうか。まあ、ノーベル平和賞は、佐藤栄作オバマももらったのだから、どおってことないか。

憲法9条は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を言っている。それは中学生でも知っている。自衛隊が合憲と言うために政府は、次のように言ってきた。
憲法が禁止しているのは、国際紛争解決の手段としての戦争→日本国にも自衛権はある→自衛のための戦争は禁止していない→自衛隊は自衛のための実力→故に合憲。高校生でも知っている論理展開だ。しかし、これだって苦しい、怪しげな論理である。
「交戦権否認」をどう考えるかや「憲法は、自衛の手段は実力以外でとか守れと命じている」とか、「自衛隊の実力は自衛以上だ」とか、有力な違憲論もある。

いろいろ議論はあるが、日本国民は、自衛隊を自国防衛のためにしか使わないということで憲法と折り合いをつけてきた。それが専守防衛自衛隊の海外派兵禁止であった。それをPKOに限ってなら(PKO協力法)、日本国周辺で後方での支援なら(1999年周辺事態法)非戦闘地域武力行使につながらないなら(2003年イラク特別措置法)と自衛隊の海外派兵を緩めてきた。もちろんその都度大きな反対もあった。違憲論もあった。

今度は、世界中で米軍支援をしたいとのことだ。これは解釈上さすがに無理でしょう。どんな法律を作っても、その法律は、憲法違反でしょう。

裁判所は、ある事態が生じてから憲法判断をする。それじゃ遅すぎる。米軍の味方は、イスラム過激派のテロの標的となる。原発や地下鉄へのテロが起こってからでは遅い。
崩壊する過程の北朝鮮からのなんらかのテロ攻撃を受けてからでは遅い。

ノーベル平和賞は、どんな日本国民を賞するんだろうか。非武装中立の日本国民か武装中立(安保廃棄・自衛隊存続・専守防衛)の日本国民か、武装同盟(安保存続・自衛隊海外派兵禁止=専守防衛)の日本国民か武装同盟(安保拡張・海外でも米軍に軍事的に協力)の国民か。
どのような政策をとるか、それは日本国民の選択にかかっている。
どのような政策をとっても、今までのところの戦後日本は、戦争で自国民・他国民を殺さなかったという点でノーベル平和賞の候補にふさわしいと思う。

安部政権は、「世界規模で米軍に協力」と言う政策も、合憲と言うだろう。だから、憲法判断・安保政策の選択は、国民の手にある。非武装中立(かつての社会党)、武装中立武装同盟(専守防衛)、武装同盟(海外派兵OK=現自民党安倍政権)
各政党は、それぞれの旗を鮮明にしてほしい。国民が判断を示しやすいように。