まだこんなことやっているのか?

2年前93才でなくなった母は、政治には関心がない人でした。と言うより、貧乏な我が家で、日雇いの土方で稼ぎ、畑も作り、家事もやった人でしたので、世の大きな動きに関心を持てなかったのも当然と思います。

その母が、ある時言った言葉が「まだこんなことやってんのか?」と言う言葉でした。私が中学1年の頃でしょうか。テレビで、自衛隊が演習している様子を見ていった言葉でした。母は大正7年(1918年)生まれ、満州事変時13歳、敗戦時27歳でした。彼女の若い時代はアジア・太平洋戦争と重なり合います。

「そこで今度の憲法では日本の国がけして二度と戦争をしないように、二つのことを決めました。その一つは兵隊も軍艦も飛行機もおよそ戦争をするためのものはいさい持たないということです。これからさき日本には陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄と言います。放棄とはすててしまうことです。しかしみなさんはけして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことをほかの国よりさきに行ったのです。世の中に正しいことぐらい強いものはありません。
も一つはよその国と争いごとがおこったとき、けして戦争によって相手をまかしてじぶんのいいぶんをとおすことをしないということを決めたのです。おだやかにそうだんして決まりをつけようというのです。なぜならいくさをしかけることは、けっきょく自分の国をほろぼすようなはめになるからです。また戦争とゆかずとも、国の力で相手をおどすようなことはいっさいしないと決めたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよそのくにとなかよくして、世界中の国がよいともだちになってくれるようにすれば日本の国はさかえていけるのです」(原旧漢字)

長々と引用したのは、昭和22年文部省著作「あたらしい憲法のはなし」の平和主義の部分です。この教科書は、日本政府が、当時の一年生に出来たての日本国憲法を教えるため作った教科書です。

これが戦後の出発点でした。

わが母は、この憲法感覚(戦力放棄・戦争放棄)で自衛隊の演習をみて「まだこんなことやってんのか」と言ったのだと思います。

その後日本は、自国を侵略されるのは、「国際紛争ではない」(9条)、「日本も自衛権を持つ」、「自衛権の中には実力で守ることも含まれる」という解釈改憲で、法律で自衛隊を置きました。自衛隊法=自衛隊が合憲か違憲かは戦後の大論争でした。最高裁は未だ最終的判断を示していません。

集団的自衛権は、自国が侵略されてない場合でも、自国の同盟国が攻撃されるのを自国への攻撃とみて、自衛隊で同盟国を守るものです。
だから、自国を侵略された場合にのみ存在しうる自衛隊は、集団的自衛権を行使できると解釈すれば、その時点で憲法違反の存在となります。
戦う同盟国を助けるとは、国際紛争を解決する?(解決するかどうか、良い解決かどうかは別問題です)ことです。同盟国の戦いとは明らかに国際紛争だからです。助けるとは戦うこととなります。攻撃されている国を手助けすれば相手国の敵国となります。戦争をしないとは中立宣言をすることです。この意味でも(国際紛争を解決する手段としての戦力は保持しない、戦争はしないと言う憲法の規定)集団的自衛権行使は、憲法違反です。

解釈で集団的自衛権行使と言うのは、無理なことと思います。