年末から年始にかけて思ったこと

酒を飲める幸せ
僕が酒を飲めるのは、今、生活に余裕があるから、健康だからなのだと思う。僕の生活の余裕は40年弱真面目に働いて、無駄遣いをしなかったからである、それは自分の努力の結果だとは思う。しかし、運もある。健康であったから働けたのであるから。

年末のスーパーでは暮れと年初に食べる食材仕入れの人でごった返していた。その時豊かだなあと思うと同時に、今ここに来れない人がいるとも想像した。お金がなくて、テイシュを食べてた子供(朝日新聞の「子供の貧困」シリーズで紹介)が、今この時どこかにいるんじゃないかと想像した。周りや地域や自治体・行政が助けなければならぬ。是非そうしてほしい。

元朝参りに人が少なかったこと
数年ぶりで元朝参りをした。どうも人が少なくなった感じを受けた。思うに、現在は、海岸堤防工事・除染・阿武隈道造成に多くの働く人が来ていてにぎわいをもたらしているが、年末年始には故郷に帰るので、こうすくないのだろうと思った。つまりこれがこの地の、除染や工事などの終わった、将来の運命なのだと思った。どうしたら良いか。無理はできない。この少人数高齢化縮小社会に適応していかねばならぬのだろう。

若いご夫婦を見かけたこと
いつもと違い、公園で若い夫婦と小さい子供という家族の形を多く見た。普段は、お父さんが仕事でいないのだろう。子どもを持つ夫婦を「ワー、ブルジョワ」という人もいる社会。貧乏なのである。こういう若夫婦を応援しないといけないと思う。一方で会社の内部留保の多さ、富裕な老人層への課税軽減、それはまずい。所得税の総合課税制・累進課税の強化が必要と思う。また、相続税の累進強化も必要と思う。お年寄りのお金持ちから若者への社会的(個人的では絶対まずい)富の移転が必要。若いお父さんには、明日からは仕事が待つのだろう。健康で働いてください。

時間の流れの早さ
年末は、大掃除やら正月準備やらで忙しかった。そして、子どもじゃないが、お正月を楽しみにしてた。時間にせかされた。しかし、目標があって、一生懸命であった。
さて正月三が日は、これがまあ、あっと言う間に過ぎる。その時その時は、久しぶりの人と会い、酒を飲み、馬鹿を言って、楽しい時をすごす。・・・そしてまた日常の生活である。年末年始は、夢のような日々であった。こんな気持ちをあと何回感じるのだろう。
さて、人生の終わりの思いも同じようなものかと思う。
映画「男はつらいよ」で、笠智衆演ずる午前様は、寅次郎を評して「あいつの人生は全て夢のようなものよ」と言うが、
死ぬ時には、どの人の人生も夢のようなものかもねえ。その時「私は何を残しただろう」(花は咲くの歌詞)と思うのかもねえ。