選挙で安倍政治を掃き棄てよう/キリンの子

今日は選挙前最後の原町スタンディング。あいにくの雨模様であるが、皆元気に参集。18名参加。

今日は4ツ角全てに立ちました


着物姿の女性も参加


戦争いやなら選挙へ行こう、いいねえ


失った命を生かす私の一票、なおいいねえ

最高傑作はこれだ。

最初気がつかなかったけれど、なるほどほうきで安保法と安倍政治を一掃か。いい
ほうきならぬ選挙で安倍政治を一掃したいものだ

明日は選挙。あまり関心は盛り上がっていないとのこと。マスコミ各社の情勢分析は、自民党公明党が強く、改憲勢力が2/3をうかがうという。

アベノミクスの恩恵を受けてる人なんて一握りの人たちだろうに、アベノミクスで借金を激増させているのにね。この膨大な借金で、あなたは生活が良くなりましたか?後で誰かが返さなきゃいけない借金、1000兆円。

自公が勝つということは、あの安保法とそれを成立させた手法(安倍政治)を認めると言うこと。安倍政治の手法とは、国民を熱狂のない静かなるファッシズムにからめとること、そんな風に見える。

からめ捕られた姿は、あなた任せの思考停止の姿に見える。

個々人を、誰かの考える「人」に変え、誰かの押し付ける「日本人」に変える、それがファッシズムなのだ。
(日本人なら贅沢はできないはずだ)

森元総理「国歌を歌えない選手は日本人選手と認めがたい」、これがファッシズムなのだ。

日本国憲法:「自由及び権利は、・・・(国民は)常に公共の福祉のために利用する責任を負う」
自民党憲法改正草案:「自由及び権利は、・・・(国民は)常に公益及び公の秩序に反してはならない」


日本国憲法:全て国民は個人として尊重される
自民党憲法改正草案:全て国民は、人として尊重される


話は大きく変わる。

昨晩私は、鳥居「キリンの子 鳥居歌集」を読んだ。前にブログ知人が「非正規労働者めぐろくみこのブログ」で紹介していたもので、昨日図書館に行ったら偶然見つけて、借りて読んだ。衝撃的な歌の数々である。印象に残った歌を少し紹介する。

ペンネーム鳥居さんは、歌集の帯によると、「両親が離婚し、母親が目の前で自殺。その後養護施設で虐待、ホームレス生活を体験した女性歌人とある。」

母・母の死
副作用に侵されながら米を研ぎ、研ぎつつ呻くあの人は母
夕飯を一人で片づける母の味方は誰ひとりいない家
くちあけてごはんいれてものみこまず死を知らぬ子は死にゆく人に
灰色の死体の母の枕にはまだ鮮やかな血の跡がある

孤児院・いじめ
全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
剥き出しの生肉のまま這う我を蛇のようだと笑う者おり


自殺未遂
助けられぼんやりと見る灯台は一人で冬の夜に立ちおり
入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で

目の前で友人が自殺
友達の破片が線路に落ちていて私と同じ紺の制服
散りぢりに友乾きゆく踏切に供える花も二年で途絶え

彼女の歌の数々は、まことに悲惨な体験を歌っている。その悲惨な体験をしている自分を、他の自分が冷静に見ている歌である。
その自分を客観視する姿勢が彼女の生きる力になっているのだと思う。
そして、彼女は、今この境遇を乗り越えていると思う。

海越えてくるかがやきのひと粒の光源として春のみつばち
一杯の空の反射を運びつつ君の待つ窓際の席まで

も一つ、彼女の生きる力となっているのは、母に愛されたと言う経験だと思った。

大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた

愛された記憶が、生きる力となる。愛すると言うことは、自然な感情の発露であって、権力により強制されるものじゃない。