雪の思い出/暗い藤沢短編小説 /スタンディングに反応多し

昨日午後3時、相馬でも雪が降ってきました。

相馬市玉野のメガソーラーに反対の有志が、今後どうするかで、どうどう巡りの議論をしていた時でした。玉野は、標高500m弱、すでに雪景色でしょう。慌てて話し合いを中断し、解散しました。玉野の人たち、気を付けて帰ってー。

玉野の南隣の村、懐かしい飯館村に通勤していた、若いころのことです。
大雪の朝7時、自宅を出発して30分、八木沢峠(南相馬市から飯館村への峠道)の頂上付近で、車が動かなくなりました。チェーンをかけても、車の底が雪につかえて動きません。やっとのこと、車の向きを変えて家に戻ろうとしましたが、もはやダメでした。

結局峠に閉ざされて、家に帰ったのが午後10時でした。その間の過酷な体験は、・・・省略します。簡単には言えません。母は、職場に電話しても、警察に電話してもどちらも私の所在は、「分からない」という返答で、私の死も考えたそうです。携帯電話などは、影も形ない、昔の話です。

今回関東・東北に雪を降らせたのと同じ、南岸低気圧の仕業でした。その日相馬の海では、漁師数名が海難死しました。福島県の内陸(中通り)でも雪のための数名の遭難死が報じられました。もう、37年前のことです。

1月23日今朝の雪景色です。

我が家の西側の池にいつもいるシロサギとゴイサギです。この池にはこの2羽しかいません。仲いいです。違う種類ですとお互い縄張り争いなんかしないのでしょうか。それともサギには、縄張りというものがないのでしょうか。知識がないのでわかりません。

わかるでしょうか、左上が今朝のゴイサギの様子です。雪の中、身をすくめています。

今朝は、2時間ほど妻と一緒に雪かきをしました。汗びっしょり。重労働です。二人とも腰が痛くなりました。しかし、この程度の雪で「大変だー」、なんて言ったら、雪国の人に笑われますね。


40数年前私は、年間雪国生活をしました。そのうちの年間は、豪雪地帯での下宿生活でした。そこでは、・・・。12月から2月は、ほぼ毎日雪が降ります。そんな朝は、「がんじき」を履いて、下宿から国道へ出る道を踏みしめます。そうしないと歩けないのです。激しく降る時は、振り向くと、踏みしめて来た跡が見えなくなるぐらい降りました。2月下旬の天気の良い休日は、屋根に上り、皆で雪下ろしです。皆で一緒に働くのは、楽しかったです。通勤の朝には、何回か、ダイヤモンドダストを見ました。奇麗だったなあ。キラキラキラキラ。・・・。片思いもありました。苦い失恋も、今となっては、キラキラですね。

若き日の思い出は、楽しいもの、美しいものばかりが残っています。これは、年齢による浄化作用なのでしょうね。ほんとは、つらく苦しく見苦しいものが多かったのだと思います。

人生そんなに甘くない!

どうしようもない人生の暗闇を表現している小説に、藤沢周平短編集「時雨みち」があります。
帰還せず・・・本藩に潜入していた公儀隠密が、愛を得て隠密をやめようとする支藩の同僚を殺害する話
飛べ、佐五郎・・敵持ちの佐五郎が、敵が病死したことによって新しい人生を生きようとした時、彼を愛した女によって殺される話
盗み食い・・肺結核の同僚に同情した主人公が、その同僚にいいなずけを取られる話
この三つは、人生の劇的暗転を示しています。
滴る汗・任務がばれそうになった公儀隠密の宇兵衛が、自分の間違いで、どんどん窮地に陥る話。冷や汗がしたたる。
亭主の仲間・・亭主が連れてきた男が、正体不明の悪人で、何をされるかわからない恐怖を妻の視点から描いたもの
この二つは、逃れられないその後の過酷な人生を暗示していて、読んでる方も絶望的な気分になります。
幼い声・・・犯罪を犯した幼いころの女友達への同情心は、その人に無視される。人は変わり、人生は取り戻せない。
時雨みち・・・若いとき利己心から恋人を裏切った主人公。彼は、苦界に落ちた元恋人をすくおうとするが、恋人に拒否される。犯した罪業は、永遠に消えない。
この二つは、人生は、取り返しのつかない、絶望的なものということを表現しています。

いずれも暗い小説です。絶望的になります。こんな話になぜ引き込まれるのか、やはり人生の一面の真実を表しているからでしょう。藤沢周平の初期のものは、暗い絶望的な人生の闇を描いたようなものが多いと思います。

こんな短編集の中で、異色なのが「山桜」です。二度の不幸な結婚をしたヒロインは、ある男にずっと愛されていたことに気づきます。しかし、その人は、正義の行為をしたが故に、現在処罰を待つ身です。それでも、何か明るい話です。ちょうど枯野に一本の山桜が咲いているように

なぜ明るいか。男がもし処刑されても、彼女は、素晴らしい男に愛されたという事実を糧に生きてゆけます。処刑前には、自分の愛を伝えることも可能なはずです。愛し愛された思いは、その片方がこの世から消滅しても、残った人の、生きる力となります。

どうやら人の幸不幸は、貧富や名誉・権力の有無ではなく、生死でもなく、愛し愛されることにあるのではないかな、そんな風にも思います。

私は、こんな明るさのある話の方が好きですね。
それで思い出すのは、「用心棒日月抄」シリーズです。藤沢作品では、私の最も好きなものです。青江又八郎と佐知は、いいなあ。・・・私は、彼らの不倫を「やむなし」あるいは「必然」と肯定します。

昨日、寒さが募る中で相馬スタンでイングに行ってきました。

実はこれ、先週の写真です。先週はブログアップしてないし、昨日は、写真を撮りませんでした。
昨日のスタンディングは、良いスタンデイングでした。というのは、数名、車から手を振ってくれる人がいたからです。さらに終わりごろ、歩いてきた男の人が、「俺も立つかな」なんて言ったことでした。どうやら、スタンデイング仲間の知り合いのようでした。来週からほんとに立つかどうかは、怪しいですがねー。それでもうれしかったです。