このところ、高田郁と柚月裕子を読み続けています。どちらも面白い。現代は、平安時代以来の女性作家大活躍の時代、そんな思いを持ちました。PC故障中、この二人の小説10数冊読みました。
いずれも面白かったのですが、一番心に残ったのは、高田郁「みおつくし料理帖第六巻 心星一つ」でした。
この巻は、帯で言っている通り、「みおつくし料理帖」シリーズの「もっとも大きな転機となる」巻でした。尤も私は、第4巻から第8巻しか読んでませんけれど、私もシリーズ全体の中心になる巻だと思います。
大きな望みを持つ料理人の澪(主人公)に、その望みを達成できる手がかりとなるチャンスが来ます。江戸料理界の有力者二人から別々にです。それは、大きな料理屋で腕を振るうという誘いです。
しかし、悩みぬいた末に、澪はそのどちらも断ります。その理由は、目の前のお客に喜んでもらえる料理を作りたいという気持ちでした。名誉よりお金より友人を助けられるチャンスよりも、目の前のお客に喜んでもらう、その喜びを選んだのでした。
澪の料理に対するこんな気持ちはとうとう、彼女がずーと思い続けた、最愛の、しかも実は相愛であった想い人を、諦めさせてしまいます。
愛も名誉も地位もお金も、友人を助けるチャンスも捨てさせる、強い想い。
澪の働く料理屋「つる屋」で、一人の貧乏な客が言います。(「心星ひとつ」の章)
「ふた月に一遍かそこら、懐を気にしながらもここで旨い料理を口にすると。、それだけで俺ぁ息がつけるんだ。まだ大丈夫だ、生きていける、ってな。大げさでも何でもない、、ほんとうにそうおもうのさ」
悩みに悩んだ澪を導いたのは、「きっと自身の中にはゆるぎないものが潜んでいるはずです。これだけは譲れないというものが。それこそが、その人の生きる標(しるべ)となる心星でしょう」という医師の言葉でした。実はこの医師は、澪が好きです。でも澪は全く気づきません。何せ別にずーと思い続ける人がいるわけですから。
澪の、この二つの選択は、小説だからこその話しでしょう。それでも作者は、その主人公の選択が納得できるような場面設定を周到に作っています。私は、彼女の選択を「なるほどあり得る」と納得させられました。作者の力量はすごいですね。
この小説を読んで、私の「心星」って何だろうと思いました。私は、ヒロインのような人生の大きな選択の場に立ったことがありません。でもきっと、人生の些細な場面場面で、私も「心星」に従って生きてきたのだろうと思います。誰でも皆そうなんだろうと思います。誰でも持つ「譲れないもの」。
「心星」の中には、美しくないものもありそうです。佐川宣寿氏の「心星」は、なんでしょうか。「首相を守るためには嘘もつく、公文書偽造もする」という人の「心星」は、出世でしょうか。上への忠誠でしょうか。安倍晋三首相の「心星」は、権力欲でしょうか。「自分の仲間のために」なのでしょうか。佐川氏も安倍氏も私人ならいざ知らず、公人なのですから、上への忠誠や権力や仲間第一では困ります。
夜空の星を美しいと思ったドイツの大哲学者は、自分の心の中にも、星々と同じ美しさがあると考えました。「いつでもどこでも誰にでも通用する生き方に、自分の意思で自分を従わせ生きていくこと」を美しいと考えました。盲目的忠誠心や私的欲望のための権力欲が、誰にでも薦められる生き方とは言えないと思います。美しいとは思えません。
出来れば、美しい「心星」を持ちたいものです。