再掲「芭蕉布」の歌に沖縄を思う

(娘に聞きながらユーチューブを引用する練習をしていたらこれがアップされてしまいました)
芭蕉布」という歌をご存知でしょうか。私は、NHK「2010年 抒情歌大全集」という番組で知りました。小学校唱歌から「オーソレミオ」までありました。(その後NHKではこの種の番組をやってないように思います。抒情歌なんて人気ないのかな。好きな人もいると思うので、是非放送してほしいと思います


石嶺聡子 芭蕉布 修正版

その番組では、普天間かおりさんが歌っていて、一度聞いてひどく惹かれました。ネットで見ると多くの歌手がこの歌を歌っていて、いずれの歌手の歌もいいと感じました。結局歌そのものがいいのですね。(当たり前ですね)

沖縄の歌には、心惹かれる歌がいっぱいあります。「さとうきび畑」(ざわわ、ざわわ、ざわわ・・・)「」(川は流れてどこどこ行くの)「てぃんさぐぬ花」「島唄」(でいごの花が咲き・・・)「沖縄を返せ」などは昔から知ってました。いずれ劣らぬ好きな歌です。(今回「島唄」に裏歌詞があり、それが戦争を歌っていると知りびっくりしました。)


沖縄の歌には、ご当地ソングといわれる歌とどこか違うものがあります。私の大好きなご当地ソングを思い出しますと、「襟裳岬」「宗谷岬」「知床旅情」「函館の女」(北海道)「北上夜曲」(岩手)「青葉城恋歌」(仙台)、「千曲川」(長野)、「女一人」(京都)、「琵琶湖周航歌」(滋賀)、「大阪しぐれ」「王将」(大阪)、「精霊流し」(長崎)・・・。これらの歌と比べますと、沖縄の歌は、メロディーが違うだけでなく、何か沖縄の背負ったものが背景にあるように思います。ご当地ソングは、その地を舞台に、個人の恋愛や人生を歌ったものが多いと思います。原爆を歌った「長崎の鐘」(こよなく晴れた青空を)は別ですけど。





「海の青さに空の青」と歌いだす「芭蕉布」は、芭蕉をシンボルに、個人の恋愛や人生ではなく、沖縄そのものを歌っているように思いました。「紺碧の海と空、南の風、緑、常夏、首里古城の石畳、首里の王様、王様に上納(貢納)の芭蕉布」。


私はこの歌で、沖縄の歴史を思い起こします。というのは、この歌は今は昔、独立時代の沖縄を歌っていると感じるからです。


15世紀尚巴志により統一された琉球王国は、実質的な独立国として貿易で繁栄しました。17世紀初め島津氏により征服され米・砂糖・貿易で得た品々を上納させられました。その後明治政府は、沖縄の帰属をめぐって清と争い、結局1879年琉球王国を廃止し沖縄県を置きました(琉球処分)。日本国に属しましたが、沖縄は本土と対等ではありませんでした。沖縄では、大正まで衆議院選挙が行われませんでした。太平洋戦争では、本土を守る捨て石とされ、老若男女の県民が直接戦争に動員され、多くの犠牲者が出ました。日本国に守られるのではなく日本国を守る道具として捨てられたのでした。。戦後も日本国の保護を受けず、米軍の占領下、土地を収奪され米軍基地を作られました。現在でも0.6%の面積の沖縄に米軍基地の70%があります。軍事抑止力として米軍基地を有用と考えても、不平等極まりないものです。


このように、沖縄の歴史は、独立状態を失ってから現在に至るまで、日本国による長い支配と差別扱いの歴史でした。


現在沖縄では、翁長知事死去に伴う知事選挙が戦われています。翁長知事の遺志を受け継ぎ「辺野古新基地建設反対」の候補と、それへの賛否を明言しない候補の戦いです。賛否を明言しないのは、ずるいと思います。その候補を自公維新希望が応援するのですから、辺野古移設賛成は明白でしょうに。

普天間基地の危険性はどちらの候補も、そして誰もが認めるものです。その危険性の除去のためには、普天間基地辺野古に移すか、県外・国外に移すか、無条件に普天間基地を無くすかしかありません。

私は、普天間基地辺野古に移すのは、日本国による長い支配と差別の存続だと思います。日本国民の沖縄差別容認だと思います。たとえ、軍事抑止力が減少しても、同じ日本国民として、差別は解消すべきと私は思います。

ですから、辺野古基地反対の候補が勝利することを切に願いますが、決定するのは沖縄県民です。

私は、沖縄の人たちが「辺野古反対」を選んでも「辺野古基地やむなし」を選んでも、「そうですね、分かりました。」という気持ちになります。

私は、無念ながら、辺野古移設を強行する政権を結果として認めている日本国民の一人ですので、沖縄の皆さまの選択をどうのこうのいう資格はないと思います。辺野古問題は、沖縄の問題ではなく、日本国民の問題なのです。私たちの問題です。私たちがどんな政権を作っているかが根本的問題だと思うからです。ただ、「辺野古基地建設は、日本国による差別温存かつ地方自治の否定」であり、「安倍政権打倒、最低でも県外・国外移設の政権を作りたい」と私が考えていることはわかってほしいと思っています。

私の愛車です。

作詞者がどう考えて作詞したかはわかりませんが、「芭蕉布」の歌は、沖縄の歴史上では独立時代を歌っているように、私には思えます。薩摩にも大日本帝国にも日本国にも米国にも、支配も差別もされていない琉球王国時代を歌っているように思います。「今は昔、首里の王様に芭蕉布を上納した」という歌詞にそれを感じます。王様に支配されたけど、それはそれで沖縄内で完結していることです。あるいは、この王様は沖縄を守る王様故、支配権は正当と当時の沖縄の人は、考えたとも思われます。すべての歌詞の最後に歌われる「我した(私たちの)島沖縄(うちなー)」に、それを強く感じます。


今日は、安室奈美恵さんの引退の日なんだそうです。彼女と彼女の歌について私はほとんど知りません。安室さんの歌は、多くの国民に大人気のようです。私たちの世代に近いのは、私より年下の南沙織さんの「17歳」でしょうか。若々しい躍動的な、青春そのものを歌った歌でした。私も大好きな歌でした。安室さんも南さんも、沖縄出身ですが、沖縄の背負うものと無関係に、日本国民の、特に若者を魅了し、席巻した歌手たちでした。沖縄出身の人が、音楽でも文学でも芸術でも日本全体に大きな影響を与えるのは、とても良いことと思います。


けれど、昔も今も政治的には沖縄は、政権にも日本国民にも大切にされてないという事実は、忘れてはいけないと思ってます。