お役人の皆さま、「面従腹背」をお願いします

近頃新文科省事務次官が就任あいさつで、「議論は保障する故、決定事項に従うべきである。従腹背はするな」といったそうである。勿論前川事務次官の「面従腹背座右の銘」への反撃である。


「議論は保障する」というけれど、文科省内で議論が徹底して行われるか、極めて疑わしい。例えば多数決で決めているか?多分そうではないだろう。万歩譲って決定機関では民主主義的決定ができるとしても、下部組織は、その上層の決定機関に従うほかないのである。下部組織の人間には議論に参加するチャンスはない。結局この新事務次官の挨拶は、「面従腹背」の反対=「絶服従」を要求するものである。


トップあるいは上部の判断が常に正しければ絶対服従でもまあ問題はない。しかしそれはあり得ない。アジア太平洋戦争を見よ。ベトナム戦争を見よ。イラク戦争を見よ。福島原発事故を見よ。トップの判断が正しいとは限らない


絶対服従の場合、下部(現場)の人間は間違いを冒す場合がある。アジア太平洋戦争でのBC級戦犯ベトナム戦争でのソンミ事件、イラク戦争での民間人殺害、東電トップによる責任逃れから生ずる、一部東電社員の無責任さ・尊大さ。ナチスユダヤ人大量虐殺の現場の唯々諾々とした実行−それは犯罪である。


現代では、トップの判断に従っていても現場での人権侵害は犯罪として処罰の対象となる
それだけ下部組織の一人一人の判断を尊重するのが現代なのである。一方ではそれは責任も持たせられているのである。


これを考えると、「絶対服従は間違いといえる。勿論トップが「面従腹背」じゃ困るというのもわかる。立場上そういうほかない。それはそういう立場だからである。現場の公務員はまた別な立場がある。


公務員は、「全体の奉仕者」である。また人権は最も大事にすべきものである。組織の命令が国民全体の利益に反する場合、あるいは個人の人権を侵害する場合、組織の命令を遂行する下部の公務員は、組織の命令に逆らうのが正しいのである。その場合面従腹背」が正しいのである


故に公務員の皆さまには、「面従腹背」をお願いする。昔から言う。「お役人さま、お目こぼしを」と。お目こぼしが国民全体の利益にかなう場合、人権を守ることになる場合、お目こぼしをするのが正しいのである。自信をもって「面従腹背」をしてほしい。

公務員は、権力を持つ。権力の末端組織である。権力は国民全体の利益に反することもある。人権を侵害する可能性は高い。公務員は、そこを自覚すべきである。公務員は、採用されるとき、憲法に従うと誓ったはずだ。憲法は、公務員を全体の奉仕者と規定している。憲法は人権は最大の尊重の対象と言っている。そんな場合自信をもって「面従腹背」してほしい

まあ「面従腹背」は自分の不利益にもなるので、できない場合は仕方がありません。ましてや悩んで病気になるとか自死なんてことにはならないでください。
悪いのは、トップやその間違った決定をした上の組織なんですから。できる範囲で「面従腹背」をお願いします。尚一般庶民の正当な要求に「面従腹背」はしないでくださいね

映画「火垂るの墓」で、畑荒らしをした兄を、農家が警察に突き出し、警官に罰を望んだ時のことを思い出す。年老いた警官は、畑荒らしの処罰ではなく、「まあ、水でも飲んでいきなさい」と兄にいう。これが公務員のあるべき姿と思う。これは「面従腹背」である。自信をもって「面従腹背」してほしい。

ということで(どういうこと?笑)、相馬スタンデイングに行ってきた。

5名参加。久しぶりに新しいメッセージが登場。「オリンピックで原発隠すつもり?」
私の新しいメッセージはこれ。

資産課税というのは「固定資産」とか「金融資産」とかいうように簡単ではない。株の配当や株売買利益なども資産課税に入る。資産課税は厳密の言うべきであるが、プラカードでは無理である。現在「軽減税率」論議に見られるように、消費税導入を前提にしての議論ばかりが目立つ。それに意義を申し立てるつもりでこのプラカードを作った。

消費税は、税制全体の中で議論すべきものである。国民も野党も自公の議論誘導に乗ってはいけない。自公の土俵に上がってはいけない。自公の土俵は自公の利益のための土俵である。それは国民全体の利益には反する。勿論国民全体とは、国民全員ではありえない。国家は、相対的に資産のない人が有利になるように税徴収と税支出を考えるべきである。なぜなら国家のこの作用がなければ、資産を持つ者の優位さが募って、国民のまとまりがなくなると思うからである。