コロナ異変
1日恒例の相馬駅のキオスクに新聞を買いに行った。ところが休みである(⁉)。えー、今までこんなことなかったのに。そういえば常磐線はいつもガラガラ。駅利用者も少ないのだろう。竹駒神社(宮城県岩沼市)への初もうで客も少ないことを見越しての休みなのだろう。コロナ禍迫る。
毎年来ている静岡の次女一家が今年は来ていない。5歳になった静岡の外孫と2歳の内孫の人間関係、どうなるか興味があったが、それは次に持ち越し。もともと喪に服した正月であるが、さらに、寂しいお正月とになった。
9日、偶然NHKでウイーンフィルのニューイヤーコンサートの再放送を見た。最後の「美しく青きドナウ」と「ラデイツキー行進曲」の2曲である。なんと無観客である。あの芸術の都ウイーンの豪華絢爛たる音楽の殿堂(名前がわからないので、無意味なごまかしをしている)に鳴り響く名演奏を聞く観客がいない!こんなことはめったにない珍事だろう。
11日、インターネット接続が不安定なのでNTT東日本の出張修理を受けた。それはいいんだけれど、朝、電話で相手する側(つまり私と家族)の体調を聞かれた。マスク着用も要請された。換気も要請された。コロナ禍が身近に迫ってきた感じ。やっぱ、やな感じだ。
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新春雑感
株式異変
株式相場はおかしいなあ。世界でコロナ禍によって経済成長が鈍化しているのに、日本では、強盗何とかストップして、再びの緊急事態宣言なのに、株はほぼ上昇し続けている。経済が悪ければ株は下がるはず。おかしいなあ。
世界各国政府と中央銀行が、借金を増やしてまで、コロナ対策で金をじゃぶじゃぶ社会に出しているからだという。余った金が株式に回っているという。
これで利益を得、資産を増やす人もいるだろう。そこからは、徴税で、お金を大いにいただくべきだ。
経済が良くなれば、政府と中央銀行がお金を絞る。そうすると株は下がる。
ふーん。経済が悪いと、株が上がり、経済が良くなると株が下がる。へえー、おかしいな。いやいや、くるっているなあ。
そのうち、大暴落でもするんだろう。
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元旦の読売社説が、例年と違って、政権べったりという感じがしなかった。さすがの読売もよいしょばかりじゃダメ思ったのか。
この社説が国の借金残高1000兆円越え、企業の内部留保475兆円、個人金融資産1901兆円という事実と成長鈍化を指摘するのはいいが、その対策に、成長戦略と社会保障制度改革の断行をあげている。成長戦略って何?社会保障制度改革って、社会保障の切り捨てかい。
読売は、国の借金残高漸増と企業内部留保漸増と個人金融資産漸増という3つが、関連して、成長の鈍化になっていると考えないのかな。これまでのやり方じゃダメと思わないのかな。
漸増する内部留保・個人金融資産を使って、借金を抑え、成長しようと考えるのが当たり前思うけどな。これまでの政策じゃダメと考えるのが普通と思うけど。
やっぱり政権べったりだな。
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強権発動しやすい国の方が、自由・人権重視の国よりコロナ禍を抑え込めるという意見がある。中国(強権)の成功と欧米(自由・人権)の失敗がその例という。これは単純に比較すべきでない。まずアジアと欧米で患者数大きく違うからである。
コロナ抑えに成功した同じアジアの、中国と台湾の比較なら意味があるかもしれない。
台湾もコロナ禍に対しては、厳しい国境封鎖や重い罰金等強権的に見えるところがある。一方台湾政権は、国民への徹底した情報開示・国民の理解協力を求めるという民主的手法でコロナを抑えた。
政権による、完全な情報開示と国民の理解への努力があれば、厳しい措置も国民に受け入れられる。つまりは、自由・人権を重視する国でも、政権の努力と国民の信頼があれば、コロナを抑え込めるということだ。
翻ってわが日本。情報開示どころか情報隠蔽・ねつ造のオンパレードだ。国民の理解を求める姿勢は全くない。
自粛せよ、自粛せよの一点張りだ。科学的知恵も国民への思いも何もない。
12月まで、旅行に行け・大いに飲み食いしろと言っていて、1月は行くな、飲食するなである。信頼なんて出来っこない。
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経済成長でも、強権国家の方が自由・民主国家より成長しやすいのでは、という考えももある。勿論、欧米日より中国の経済成長が大きいことを念頭に言っているわけだ。中国政府は、政権批判を弾圧する一方、市場での自由な利潤追求を認めているように見える。
どこの国でも、経済政策も政権が決定する、だからこの問題は、独裁的経済政策(中国)が、いろんな議論の末の経済政策(欧米日)より、高い経済成長をもたらすかどうか、という問題になる。
「意見が分かれた時、どうしますか。・・・一人の意見で決めますか、二人の意見で決めますか、それともおおぜいの意見で決めますか。一人の意見が正しくすぐれていることもあります。しかし、そうでないことの方が多いでしょう。・・・おおぜいの意見で決めるのが良いのです。これを民主主義と言います」(「新しい憲法の話し」昭和22年文部省著作)
この理念を信奉している私は、独裁的経済政策が、経済成長するのに有利と思っていない。中国の国家独占資本主義(大笑)は、やがて経済成長ができなくなると思う。しかし、私にこの証明は出来ない。
もっと重要なこと。
国家独占資本主義は、資本が国家権力を使って(中国の場合、資本と権力が一緒=共産党関係者、という図式が当てはまるんじゃないか)、どこかから、誰かから、何かから、収奪するシステム故、収奪されるどこかの、誰か、の何か、があるということ。
もっともっと重要なこと。経済成長優先より、自由・人権優先の方が幸せということ
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「いまなら発達障害と診断される人が、昭和の時代にはあちこちで当たり前に暮らしていた」(朝日新聞1月8日・耕論・「ほどよい距離って」 精神科医 熊代亨)
これを読んで、瞬時に思いだしたことがある。60年前のこと。母の実家(宮城県伊具郡丸森町大内部落)に行くと、「アババ」としか言わない(言えない)障碍者(大人)がいつも顔を出した。
彼は、見たことない人や小さい子に興味を持つという。小さい私は、初め怖かったが、だんだん慣れてきたことを覚えている。
彼は、健常者の家族の中で生活し、健常者の部落で普通に暮らしていたのだ。
今は、こんな人は隔離して教育することが多いんだと思う。家族はこんな家族を隠す。あるいは病院暮らしを強いる。
60年前とひどく違う。果たしてどちらが彼にとって幸せか。いや、どちらが健全な社会か。
障碍者施設誘致に対する反対運動とか、幼稚園・保育園・小学校がうるさいからいやだとか。
これって、自己中かつ異質なものを排除かつ不寛容そのもの、どうも不健全な感じがする社会である。
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早くコロナ禍がおわってほしいなあ。昨年なんて、日帰り旅行にも行かなかったぞ。
外食も4,5回だけだ。静岡の孫は、一回夏来たきりだ。
密を避ける、ソーシャルなんとか、マスク生活、ステイホーム、新しい日常?そんなの嫌だ。もうあきた。
見ろよ。CM。誰もマスクなんてしてないよ。密になって踊っているよ。大声で気兼ねなくしゃべっているよ。
見ろよ。昔のドラマや映画。集まって飲んでるよ。食べてるよ。議論してるよ。喧嘩しているよ。
これが普通の人間生活なんだ。あー、早く元に戻りたい。まあ、在勤はおおいにいいと思うけどね。できる人はね。
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ということで(どーゆーこと?)今年もよろしく。