命についての映画とドラマを見ました

妻が飲み会で外出、娘が孫と部屋で寝ているので久しぶりに一人です。なので居間でテレビのビデオを見て過ごしました。

一つは、「私を離さないで」という映画です。娘が撮っててくれてました。見るのは二度目です。小説は私にとってトップクラスに衝撃的でしたが、映画の方は(後半の半分くらいしかありません)、それほどでもないなと思いました。


今晩再度見て思ったのは、映画は映画で力があるなということです。ヘッドライトに照らされる中で、トミーが吼える、それをキャシーが抱きとめる、そして泣き崩れていく。他の命に提供される命の絶叫!そんな理不尽なことがあるか。どんな命も、命は同価値、平等に貴いはずと思い知らされました。提供される側の命だって必ず「終了」(映画で使っていた言葉)する。ある命は、他の命を使って終了を伸ばすほどの価値があるのかとも思いました。





次に見たのは、NHKドラマ「透明なゆりかご」最終回です。こちらは妻が撮っていました。初めて見るものです。

誰もいないことを幸いに、声を出さずに号泣してしまいました。

心臓に欠陥があり、生まれる間もなく命がなくなると想像される胎児をどうするかという深刻な話です。主人公夫婦は、堕胎をするか産むかという厳しい選択を迫られ、さらに誕生後は延命治療をするか、しないで見守るかというこれまた厳しい選択を迫られます。実に厳しい選択です。深刻です。

どちらの場面でも、どちらの選択もありでしょう。どちらが正しいとか、どちらがより良い選択とか、そんなことはないでしょう。そしてどちらを選んでも悔いが残ると思います。また外部がどうのこうのいうことの出来ないことです。

彼等は産んで治療をせず見守るという選択をしました。

私は、母親の腕に抱かれて静かに亡くなっていく乳児を思って泣きました。父親が言うように「もっと幸せになってほしかった」と泣きました。また私は、死にゆくわが子を抱いている母親の気持ちを思って泣きました。

我が家には「あかり」という乳児(2か月)がいます。私もよく抱っこします。そのためでしょう、抱っこする母親の気持ちが少しは想像できて涙が止まりませんでした。

それでもこの子は幸せだったんじゃないかなと思います。子供が一番望むことは、実習中の看護婦(ドラマ全体の主人公)の言う通り「母親に抱っこされること」でしょうから。母親に抱かれて亡くなるわけですから、幸せだったのでしょう。母親に抱かれて死ぬなんて幸せなんじゃないかなとも思いました。


いかなる人もみんなみんな、誰かの愛を受けていきてきたとも思いました。いま生きてるということがその証明です。