少女像はこぶしを振り上げていない

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cangaelさんのブログで、金時鐘氏の従軍慰安婦の少女像はこぶしを振り上げていない」という言葉を知って、思い出したことがあります。

 

「在日一世詩人・金時鐘に訊く(4)」(日韓市民サイドの関係を深める創意工夫を) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~

(引用はじめ)

あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。

ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいい

 

金時鐘 そういうことを青木さんがいろいろ書いたり、発言したりもしていらっしゃる。でも、日本の国民は気にもとめない。公文書の改竄などが起きたときもそうです。私は定住外国人ですので公に発言したことはありませんが、こんなことが続いたら、この国は確かに恥知らずの国になっていくかもしれない。本当に、絶句するしかないようなことばかりがつづいている。しかも言葉が届かないんですから。たとえば慰安婦銅像問題がありましたね。

――ソウルの日本大使館前に韓国の市民団体などが設置した少女像ですか。

金時鐘 あんな像を大使館の前に置くのはけしからん、撤去せよと日本政府もメディアも声を荒げ、日本の国民感情は昂りましたが、僕は日本に暮らす1人の市民として、実はいつもひそやかに期待していたことがあるんです。

――どういう期待ですか。

金時鐘 あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいいたとえば日本の市民の誰か1人、たった一輪の花でいいから、通りすがりに少女像の前に置いて、黙礼したらどうでしょう最近は日本人も毎年200~300万人が韓国へ観光に行ってるそうですね。そのうちの1人、反骨精神のある日本の市民が一輪の花を置き、それに何人かが続いたら、雰囲気は途端に変わりますよ。それこそ爆弾ほどの反響を呼び起こしますよ。

――そうかもしれません。

金時鐘 ですから、日本と韓国についていえば、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫はできないものかと思うんです。青木さんは知ってくださっていると思いますが、朝鮮人はとっつきにくい隣人と思われていいるようですけど、わかり合えばまたとないほど人情に厚く情にもろい人たちですよ。

(以上引用終わり)

 

この金氏の言葉で私が思い出したのは、

1988年岩波新書加藤周一編「私の昭和史」の中の酒井與郎という獣医師の「鮮烈な記憶」と題した文章です。彼は学徒出陣組でして、敗戦後、昭和20年10月初旬の中国の湖南省(?)「九江」という村での経験をかたっています。

 

(引用はじめ)

ある日の午後のことである。一人の朝鮮人従軍慰安婦が私達の将校宿舎に怒鳴り込んできた。元慰安婦の言葉はひどく乱暴であり、その態度はひどく横柄だった。そして言うのである。

「お前ら、日本の将校よ。お前らの国日本は戦争に負けて四等国だ。そして朝鮮は一等国だ。もうわしらはお前らの自由にはならんぞ」と。元慰安婦のひどく横柄な態度とひどく乱暴な言葉には、積年のうっ憤を一気に吐き出す気迫があった。だが、私たちは黙って聞いているだけで、なすすべがなかった。「おい、酒井少尉、お客さんに酒をおつぎしておくれ」と大隊副官が私に言った。・・・私は言われたとおりにした。女は、がぶがぶとうまそうに飲んでいた。そしてまた口説き始めた。

「お前らは戦争に負けたが、それでも、お前らには帰る国日本がある。それに比べて朝鮮は一等国になったというが、わしらのような女に帰れる国が一体どこにあるというのか」酒を一気飲みした女の口説きには、最初のすごみはだんだんとなくなっていった。そして酔いもだいぶ回ってきたようである。

「エエ、お前ら!わしらをこんな体にしたのは、いったい誰なんだ!こんな体でどうして祖国に帰れるかよ。エエ、お前ら!いったいこれをどうしてくれるんだ」と女はかき口説くのである。女といえば肉親以外まったく知らない私には、女の年齢など分かろうはずがない。女の皮膚はひどく荒れているし、髪の毛もぱさぱさしている。まだ年もわかいのであろうが、女には若さというものが全く感じられない

「わしはお前らの顔は全然知らん。どこの部隊や。きっと、奥地から逃げてきたんやろ!ああ、わしはどうしよう!どうしよう!」とついに女は声をあげて泣きだした。

・・・中略・・女の口数がだんだん少なくなってきた。酒の酔いが回ってきたのである。女は酔いつぶれてしまった。大隊副官が「少し休ませてやれ」といって女に毛布を懸けてやった。女の寝顔はひどく幼かった。私たちは全員そっと部屋を出た。

(引用終わり、下線はA0153)

 

この文章を読んだとき、私達日本国民は、この朝鮮人従軍慰安婦にこぶしをあげられても仕方ないと思いました。(私を含めた現在の日本人もです)こんな少女たちがいっぱいいたわけです。日本国民は、従軍慰安婦を生じさせたことに、大きな責任があります。

 

愛知トリエンナーレ・表現の不自由展の展示中止の原動力となった河村たかし名古屋市長は、中止申し入れの理由に「従軍慰安婦は、なかった可能性もある」とか、「日本国民が侮辱されている」ことをあげているそうですが、この30年前に記述された、酒井與郎氏の体験を何というのでしょうか。彼はそれでも、「従軍慰安婦はなかった可能性もある」というのでしょうか。河村市長に限りません。従軍慰安婦を否定したい人たちは、この少女が嘘をついて怒鳴り込んだとでもいうのでしょうか。彼等はこの少女に従軍慰安婦だったことを証明せよとでもいうのでしょうか。それとも酒井氏が話をねつ造しているとでもいうのでしょうか。

 

 

彼女の血を吐くような口説きに、真実は表れているでしょう。日本人が見たくない、戦前日本の悪行という真実が。

 

日本政府は、河野談話従軍慰安婦の存在を認めています。その談話では軍の関与も認めています。従軍慰安婦を否定したい安倍政権でさえも、河野談話を否定できません。何故ならそれは事実だからです。

 

私は、事実故日本国民が侮辱されているのではなく、「従軍慰安婦はなかったかも」という発言で、従軍慰安婦たちを侮辱していることになると思います。

 

河村たかし氏は、かつて「南京虐殺事件はなかった。ほんとにあったなら土下座もの」といったことがあります。

 

河村氏の国会議員時代の、南京虐殺についての質問書に対して、小泉内閣答弁書があります。その答弁書では、1937年12月南京での日本軍による非戦闘員虐殺と略奪を認めています。南京虐殺はあったのです。河村氏はおのれの言葉がほんとなら、中国に行って土下座すべきなのです。(私は土下座をするのも見るのも嫌いなので、河村氏に土下座をしてほしくはありませんが。しっかり言葉で間違いを表明してほしいです。)

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 「昭和史」の投稿に戻ります。

この投稿で酒井氏は、「経済繁栄に酔う日本人は、わずか40年前のことすら忘れている。まして朝鮮人従軍慰安婦のことなど、誰もが初めから関心がない。だが、私は違うと思う」といいます。そして従軍慰安婦の背景となった戦争について、「個人と国家の責任を問わねばならぬ」(p53)といいます。重ねて、第二次大戦の教訓と反省を忘れた世相に「我が国の将来に対し、言い知れない危機感を持つ」と結びました。

 

酒井氏の危機感から30余年たった現在、酒井氏の心配した通りの日本となっています従軍慰安婦のことを知ろうとしない日本人の多さと従軍慰安婦の存在を否定しようとする人々の存在です。政治の中枢にもいます。その結果どうなったかは、現在のこじれた日韓関係によく表れています。

 

従軍慰安婦のことを知らない日本人、知ろうとしない日本人、その存在を否定したい日本人に対し、少女像はこぶしを振り上げることなく、静かにその怠慢・欺瞞を告発しているように思います。さらに私には、植民地支配・戦争・強者支配(経済力、性差別、封建制度、家父長制)の非道さを告発してるように思います。 

 

 

従軍慰安婦南京虐殺を否定する心情は私もわかる気がします。自分の非を認めるのは嫌なものです。つらいです。しかし、非でも何でも真実をしっかり見つめることが、今後の発展の基礎のはずです。

 

中高生時代を思い出しますと、スポーツでも学業でもおのれの失敗・弱点をしっかり見つめることが、成功の第一歩だったでしょう。悪かったことをしっかり反省するのは成功のための必須のことでしょう。

 

家庭人としても職場人としても、己の良い点・悪い点をしっかり直視することが、成功の第一歩でしょう。真実を直視しなくては、成功はありません。

 

現在日本には、かつての悪行を、見たくない、知りたくない、否定したいという風潮が蔓延しています。そればかりではありません。嘘を言い募ることによって、嘘が真実になると信じている人もいます。まるで幼児です。

 

かつての悪行ばかりではありません。「現在の不都合な真実も見たくない、否定したい」という風潮も蔓延しています。

 

その典型例は、年金生活に必要な預貯金額の報告書を無視する現政権です。大臣が報告書も受け取らないとか、政権与党幹部の「報告書はなくなった」発言とか、まったく幼児です。

 

そんな現日本政府を支持している日本国民が多い(見かけ上だけですけど)のですから、情けないです。

 

国内だけなら、なあなあで済むかもしれません。しかし近代日本についての歴史認識は、他国が関係します。不都合な歴史的出来事をないことにしたいという言動は、日本国全体が「植民地支配や侵略の反省ができない」幼児的国家とみられます。国民全体に大きな不利益です。幼児的政治の大元、安倍政権を倒しましょう。

 

 

そんなこんなで(?)、スタンデイングに行ってきました。午前中は南相馬市、午後は地元相馬市です。

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上が南相馬市名、下が相馬市で4名参加でした。安保法制の成立前後に比べればずいぶん減りました。それでもSPYBOYさん言うとおり、席は設けておくべきでしょう。憲法も、権利(表現の自由)は、国民の不断の努力で保持せよと言っています。