菅内閣による学問圧殺を見逃すな

全く納得のいかない菅首相の言い訳です。

今日の国会で「日本学術会議の会員選出は既得権益のようになっているので、改革の対象」と言ったそうです。

 

既得権益の保護を行動原理にしている政権や政権与党には言われたくありませんがね。

 

 

彼が拒否した6名は、既得権益を受ける人なのですか。他の99名の任命はどうしました。既得権益につながらないのですか?99名と6名の違いを既得権益から説明して下さい。できますか。できないでしょう。

 

第一、会員と連携会員には給料はなく、総会・委員会に出席の場合、日当(19000円)と交通費が支払われる(10月29日朝日新聞21面)のみだそうで、こういうのを既得権ていうのでしょうかね。

 

同記事によりますと、会議が増えると年度末までに予算が底をつく場合があって、大西元会長によると「会議に出席しても日当を辞退してもらってた。交通費節約のため、テレワークによる会議も推奨していた」とのことです。

 

こういうのって既得権というのですかね。無償奉仕という方があっているんじゃないですか。

 

さて菅首相の言い分に話を戻します。

 

彼の言い訳は、総合的・俯瞰的視点から6名除外→偏らないよう6名除外→既得権益の面から6名除外、といずれも矛盾だらけの言い訳をしています。

 

政府に批判的な言動行動をした6名を除外したことは明白です。しかし、それは言えません。日本学術会議法違反・憲法違反だからです。

 

ここで、菅内閣の6名の任命拒否を認めては絶対いけません。絶対です。

 

それは、日本学術会議自治への政権の介入だからです。学術会議という学者集団の自治への介入は、大学自治や学問の自由への介入と同種類です。政権がやってはいけないことです。

 

私は今、美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」(1973年角川文庫)を再読しています。

 

美濃部亮吉は、戦前の、政権・軍部・右翼による大学自治や学問の自由への介入の歴史を克明に記しています。

 

この本で取り上げられた事件で、圧殺された学問・主張は、次のようなものです。

(これはこの本を読んだ、私の勝手な私見です)

 

1919年(T8)森戸事件  政治的自由・経済的自由を達成するための方策研究

1933年(s8)滝川事件 犯罪の減少・絶滅のためには社会の改革の断行必要

1935年(s10)天皇機関説事件 天皇は国家の一機関として統治権行使

1937年(s12)矢内原事件 日本の植民地政策を批判的に研究

1938年(s13)「労農派」教授弾圧 マルクス経済理論による実証的研究

1938年(s13)河合栄次郎事件 マルキシズムも批判した自由主義経済学者

1940年(s15)津田左右吉事件 日本神話(記紀)は歴史的事実かどうかの研究

 

ご覧の通り、政権・軍部は、政権運営に邪魔なすべての学問を弾圧しました。

 

その手始めの多くは、大学の自治への介入でした。大学学長や教授会への圧力でした。

 

「森戸辰男をやめさせろ、滝川幸辰をやめさせろ、矢内原忠雄をやめさせろ、河合栄次郎を休職させろ。」

 

つまりは政権の大学人事への介入です。ここから学問の自由圧殺が起きています。

 

日本学術会議推薦の6名だけの拒否は、人事への介入そのものではありませんか

 

学問の自由の危機です。

 

国民の皆さん、学者の皆さん、学生の皆さん、事は極めて重大です。

 

僭越ながら言います。皆さん、も一度、戦前の学問の自由弾圧、思想弾圧の歴史を振り返ってみましょう。

 

ファッシズムはそこまで来ています。

 

(11月3日朝、朝日新聞の記事を付け加えました。)