初めての避難所経験

昨晩とろとろと眠りに入らんとしたとき、ゴーと地鳴り。続いて強烈な揺れ。私は妻の方へ覆いかぶさった。その時タンスの上段、続いて中段が落ちてきた(多分)。かろうじてわが左肩をかすめて倒れた。ものが落ちる大音響とともに、さらに揺れ続けた。妻は「お父さん助けて」と言い続けた。

 

ようやく揺れが収まった。が、真っ暗闇である。

 

イヤーこりゃー大ごとだ。

 

子供たちと孫が心配となった。「おーい大丈夫か」娘「大丈夫」と安どの返答。

 

婿がスマホで照らしてくれて、タンスその他を乗り越えて脱出した。一階の居間も無茶苦茶。足の踏み場もないという言葉、そのままである。

 

隣近所の人たちも出てきた。アレー、東隣りの家は、電気がついている。しかし西の方面は、真っ暗である。ちょうど俺たちのとこらが境目である。くそー。

 

われらは、靴を履いて、壊れたグラスなどを片づけ始めた。が、寒い。孫は母親に抱っこして半睡状態である。

 

かたづけはきりがない。暗い、寒い。その上に寝るところがない。そこで避難所で一夜を明かすこととした。コロナの心配は一応無視だ。勿論マスク姿。車で数分の体育館である。テントが設営されており、手指消毒・体温測定ののち入場。午前1時ころだろうか。

 

石油ストーブは、ガンガン焚いているが、寒い。

何せ、なんというのか、薄っぺらなすべり止めシートと薄っぺらな毛布らしきもの一枚である。床から冷える。

 

「伏庵の曲庵の内にひた土に」(山上憶良貧窮問答歌」)という古歌があるけれど、ひた床にである。(笑)寒い。

 

まあ、二つテントをもらったので、父母から妻子まで、一家雑魚寝の奈良時代の農民よりは良い。家からも持ってきた毛布一枚をひっかぶって寝ようとするが、寒いうえに、小さな子たちが走り回り、大人の話し声も聞こえて、なかなか寝付かれない。

 

2回ほど短く寝て、起きたのが午前5時ころか。

 

若者たちが、寝てる孫を置いて、コンビニで朝食を仕入れて来た。(有難い)ついでに家に立ち寄ってみると、通電しているとのこと。

 

しめた。ご飯は家で食うことにして、早速帰宅した。

 

改めて明るい中で見ると、まあ見事に混乱・乱雑・雑然・ぐちゃぐちゃ。めちゃくちゃ。ごみ屋敷。

 

今晩寝るところだけは確保しようということで、4人で片付けに全力を尽くした。

おかげで何とか今夜は自宅で寝られることになった。

 

明日もまた片付けである。若夫婦は仕事。孫は保育園。老夫婦二人で頑張るか。

保育園は偉い。

 

東日本大震災原発事故・一昨年秋2回の洪水、そしてこの地震震度6強という。大震災の時の6弱より強烈である。

 

大震災の頃良くいわれた、日本列島は不安定な時期に入ったというのが当たっているかもねえ。

 

 

ということで今日は、くたびれて泥のように眠るだろう。なぜ泥のようになんて言うのかな。・・・まあいいや。