親の心 、その他雑感

4月9日
原町のスタンデイングに行ってきました。

まるで冬に戻ったような寒い雨の降る日でした。名の参加でした。ちと寂しいかな。

まったく、安倍政治は、狂暴です。ごまかし、強弁、厚顔、無視、嘘つき。これも選挙で国民が多くの議席を与えたことが根本です。変だと思う人は、支持率調査の時、、もし聞かれたならば、不支持といってほしいものです。議席がこれほど多くとも、支持率が大きく下がれば、まったく様相が違うと思います。

銃剣は、戦闘時、銃が撃てなくなった段階で、突撃して、銃の先につけた剣で敵を刺し殺すものです。選択科目とはいえ、こんなことを中学生に教えてよいものでしょうか。相手をどうやって突きさすかを教えるものですよ。

そういうと、弓道も剣道も相手を殺すことから始まったスポーツじゃないかという声が聞こえます。

しかし、どこか違う感じがします。考えてみます。

私は、背負っている歴史が違うと思うのです。弓道や剣道は、戦争のなかった江戸時代、二百年以上、平和な中で、心身の鍛錬として発達しました。高度の深淵な理論も様々生みだされているんだろうと思います。銃剣術は、明治以降の戦争の時代、白兵戦用にヨーロッパから取り入れられた殺人術です。平和な時代の武術と戦争時代の殺人術、この違いは大きいです。

平和な時代に(江戸時代)日本で発展した武道と、戦争の時代にヨーロッパから取り入れられた戦闘術を一緒のものにするという、現政権の感覚には、きっと戦後日本国民の「戦争やだ」という気分を否定したいという思惑があるのだろう、私はそう感じます。彼らは、戦前の日本を肯定したいのだろうと思います。そう思いませんか。しかし、日本の伝統と文化の中に、銃剣道はあるのでしょうか?改正教育基本法に新しく取り入れられた「日本の伝統と文化」という文言が、政権の恣意的に使われる危うさを感じます。

私は、「西部戦線異状なし」の白兵戦を連想しました。

映画「西部戦線異状なし」では、塹壕戦で、ドイツの若者がフランスの若者を刺殺した場面があります。銃剣でしたか、短剣で刺殺したかは忘れてしまいました。しかし次の言葉はよく覚えています。若者は、言います。「銃と軍服を脱いだら、いい友達でいれたかもしれないのに」と。(2014年8月5日拙ブログ「若者よ騙されるな・西部戦線異状なし」参照。)

さらに思い出しました。朝日新聞テーマ談話室でまとめた「戦争」という証言集です。この「戦争」という投書欄は、1986年約1年間続いたもののようです。戦争を直接経験した人々の体験談が主で、それに対する若者の質問・意見もあり、論争になっている部分もあります。かつて読んで、戦争を、少しはわかった気がした本でした。巻頭言で入江徳郎さんが「居ずまいを正して読む」といいましたが、私もまた背筋を伸ばして読みました。普段、本は寝転んで読むのが、私の読書姿勢なのですが、どうも寝転んで読める内容ではありませんでした。

この「戦争」という本の中に、銃剣を使った場面の体験談があります。捕虜の処刑場面です。一つ例を挙げます。

「1945年5月、満州国熱河省キリスト教の宣教活動をしていた私は、応召して山海関の守備隊に配属された。・・・中略・・・そんなある日、農民の少年が二人とらえられてきた。何の事件もない守備隊の隊長は、自ら事件を作り功績を挙げようとした。当時私は隊の通訳を命ぜられていたので、早速尋問に当たった。しかし、二人は付近の農民の子供で、18歳と16歳の兄弟であることが分かっただけで、何ら思想的な考えもなく、まして八路軍工作員などではないことを確信したので、曹長を通じて隊長に放免するように伝えた。・・・中略(この進言は受け入れられず、夜兄が逃げ出した。)・・・
激高した隊長は翌早朝全員を集め、衆人環視の中で処刑することを命じた。八月の太陽が灼熱の陽光を投げつけている中に少年は半身を裸にされ、深く掘った穴のへりに座らせられた。突然、隊長が私に、「中国語で引導を渡してやれ」と言った。その前から私は隊列の中で彼を見つめながら、(彼は工作員ではない。純朴な農民の子供だ。釈放すべきだ)と大声で叫びたい衝動を必死にこらえていた。(お前は宣教師ではないのか、この一人の無罪の少年を救え)との強い声が呼びかけてくる。
しかし、私が声を出せば、血迷った隊長や幹部は直ちに私も通敵者として処刑するのは必然だった。私の心は惑乱し、体は震えた。隊長の声に夢遊病者のようにフラフラと彼に近づき、ひざをついた。
前日の尋問の時私は彼に「君は無罪だ。必ず釈放されるよう努力する」と約束していた。彼は私をじっと見つめた。私は彼に何というべきなのか。私は中国語で「私は無力で君を救うことは出来なかった。ただ私の神に祈る。君も君の信じている神に祈りなさい」といった。その時まで彼は「マーヤ、マーヤ(お母さん、お母さん)」と叫んでいたが、眼を閉じて黙ってしまった。
中隊で一番若い兵隊が刺殺を命ぜられたが、彼は銃剣を構えたまま動けなかった。「おれがやる」と一人の軍曹が銃の剣先を少年の胸に突き刺した。少年の顔が見る間に蒼白となり、胸から血潮が噴きだした。
私は今も深い痛恨とともにその血の鮮やかな色を忘れることは出来ない(9月25日)沼津市 二橋 正夫 72歳 保育園長

私は、こんな場面を作り出した戦前の日本を否定します。

日本の銃剣術は、弱肉強食の世界で、侵略戦争をせざるを得なかった、明治以降の日本でヨーロッパから取り入れて生まれたものです。勿論、現在の銃剣はスポーツ化されて、人殺しという意味はないのでしょう。好きな人はやればよろしい。しかし、中高生に教えていいものかどうか疑問です。教えてはならぬとした方がいいのではないかと思います。戦後の世界は、何べんも言いますが、戦争の違法性を基礎に組み立てられています。戦後日本も戦争を放棄しました。純粋な意味の自衛戦争の可否・損得・正義・不正義は別問題ですが。戦争を最大限避けようというときに、戦争で生まれた銃剣術銃剣道)を、「いいと思う学校は、あるいは指導者は、教えてもいいぞ」、というのは、まずいでしょう。私はそう思います。

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イラストには、「国家のために命をささげる教育が大事」とあります。教育勅語は、この教育の中心でした。安倍政権は、なんだかんだといって「教育勅語」を否定しません。
究極的には、自分たちの利益のため、他人の命をよこせということを言っているのだと、私には思えます。彼らは、自分の子や孫は、戦場には出ないと思っているのでしょう。

前にブログで書きましたが、教育勅語の徳目には、「祖父母や両親は子や孫を愛せ」という項目がありません。子や孫を愛するのは、自然なことでしょうけど、そのほかの徳目
(親孝行・夫婦愛・兄弟愛)も自然なものです。同じ自然な愛なのに、なぜ、子や孫を愛せとは言わないのでしょうか。それは私は、両親や祖父母から、子や孫を取り上げるのが、教育勅語だと思うからです。

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富士 (金子光晴)

重箱のように
せまっ苦しいこの日本

隅から隅までみみっちい
俺たちは数えあげられているのだ

そして失礼千万に
俺たちを招集しやがるのだ

戸籍簿よ早く焼けてしまえ
誰も。俺の息子を覚えているな

息子よこの掌の中にもみこまれていろ
帽子の裏へ一時隠れていろ

父と母とは裾野の家で
一晩中そのことを話した

裾野の枯林をぬらして
小枝をビシビシ折るような音をして
夜通し雨が降っていた

息子よ。ずぶぬれになったお前が
重たい銃を引きずりながら歩いている。
自失したように歩いている。そこはどこだ?

どこだかわからない。が、そのお前を
父と母とがあてどなく探しに出る
そんな夢ばかりのいやな一夜が
ながい、不安な夜がやっとあける

雨はやんでいる
息子のいないうつろな空に
なんだ。くそおもしろくもない
洗いざらした浴衣のような
富士
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金子光晴は、病弱な長男を徴兵のがれさせるため、息子の体をいじめます。この親の愛よ。

親や祖父母の気持ちは、こうなんです。子供の自然な気持ちは、親孝行・夫婦愛・兄弟愛・友人愛なのです。この自然な愛情の発露を妨害し、親と子を引き裂くのが教育勅語なのです。どこが「教育勅語はいいことも言っている」なのですか。この偽善者ども、大嘘つきども、このずる賢い我利我利亡者ども。

日本社会が、皆が「素晴らしい社会だ。自分も親も子も孫も友人も親戚も大切にされている」と思えるような社会でしたら、天皇にあるいは政治家にあるいは教育者に「国家に奉仕せよ」といわれなくとも、社会のために一生懸命になりますよ。国家と社会は違いますけど。また、それぞれ人は、命は簡単には捨てられませんけどね。そんな素晴らしい社会を作るのが、政治家の仕事なんじゃないですか。政治家が、国家と社会を一致したければ、政治家は、「一旦緩急あれば、自分も自分の子供も一番危険な役割に従事する」という約束をしてから、教育勅語を持ち出して下さい。

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4月10日、地元のスタンデイングに行ってきました。

昨日よりは暖かい日でした。こちらも8名の参加でした。メンバーも4名が共通なのでした。これまた寂しいですね。
今日の私のプラカードは、これです。

ちと変なものを作ってしまいました。実は、朝日新聞テーマ談話室「戦争」の一部(全部では、上下で1000ページ超)を再読してきて、国民の苦労(という言葉では表せませんが)を再読してきて、こんなプラカードを作ってしまいました。昭和20年の日本国民の気持ちはこうだったんだと、思って書きました。
もひとつは、前に作りましたこれです。
(再掲)
今、とうとう海外でも戦争に参加できる法律が作られてしまいました。願わくば、最低でも、2015年安保法制成立以前に戻らんことを!早く早く早く、朝鮮で何事か起きないうちに。トランプ・金正恩安倍晋三のトリオ、やばいと思いませんか。安倍さんの手を縛りましょう。安保法以前に戻して。さらに、安保条約を解消して、純粋な自衛戦争のみに、政府の手(武力行使・交戦権)を縛りましょう。