スタンディングに春の風/若者たちよ、気を付けて

今日、妻と一緒にスタンディングに参加してきました。原町からの応援も含めて名でした。今日は春休みですので、いつも通る小学生たちに会うことは出来ませんでした。

安保法制反対のスタンディングなのですが、原発訴訟の話も出ました。
「いやー前橋の裁判、国・東電は上告したなあ」
「大した金額でないのになあ」(15億の要求に対して数千万しか認めなかった)
「国や東電の責任認めているから、我慢できないんだべ」
「今度は、東京高裁だから勝てないかもな」
「俺らも、勝っても負けても仙台高裁まではいくべ」
最高裁まで行ったら、絶対勝てないな」
「裁判所も自分の出世のために忖度すんだべ」
「んだなあ。今年の流行語大賞は、忖度だな」
いやはや、裁判所も信用がありません。困ったものです。裁判官の皆さん、自分の存在価値を自分で否定しませんように。公務員が、上の意向を忖度して違法・常識外れ・ひいきしたら、それも、自分の存在意義を自らなくしていることですよ

さて家に帰ってみると、教育勅語を道徳の教材に使うことを排除せずと文科大臣発言のニュースがネットに流れておりました。先日の政府答弁書でも、「憲法教育基本法に違反しない形で教育勅語を教材として用いることまでは、否定できない」といっていました。(この答弁は、教えるときは、教育勅語を批判的に教えるべきということをいっていることになる。なぜなら、教育勅語は、憲法教育基本法違反なのでね。戦後、国会でも排除決議が出されている。)

この政府答弁書や文科大臣の意図が、籠池さんのように、安倍夫人のように、稲田大臣のように、鴻池議員のように、「教育勅語は素晴らしい。この中身を生徒に教えるべきだ」とか、籠池学園のような、教育勅語を正しいと教える学校があってもよい、そんな教育があってもよいという意味なら(きっとそういう意味なのでしょう)、大問題です。

これは、俗にいう「籠池事件」の本筋=国有地格安払下げ事件と並ぶ、いやそれ以上に大事な問題です。将来を考えれば、最も危険な考え方です。安倍政権の本質が表れたのです。これが、安倍政権です。それは、教育は、将来の国家と国民を左右するものだからです。安倍夫妻、稲田朋美大臣、菅官房長官などは、教育勅語が大好きな人たちなのです。だからこそ、籠池夫妻は、彼らが応援してくれていたのに、「梯子を外された、トカゲのしっぽを切られた」として、小さな牙を巨象(政権)に向けたのです。これで辻褄が合います。

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お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならない時が来ました。
親思うこころにまさる親心 今日のおとずれなんときくらむ
この歌がしみじみ思われます。・・・晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのはうれしいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。かあちゃんが、私をたのみと必死に育ててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでいくのがつらいです。・・・でも私は、技量抜群として選ばれるのですから、喜んでください。
私は、お母さんに祈って突っ込みます」(「きけわだつみの声」より)

これは、昭和20年4月12日特攻隊員として沖縄に出撃し、戦死した林市造少尉(京大経済学部)の遺書の一部です。

若者の皆さんは、この遺書を見てどのような感想を持たれるでしょうか。
「かっこいいなあ」「えらいなあ」なんて思う人もいるかも知れません。「戦争だから仕方ないんじゃない」「時代が違うよ、人種が違うよ」「変な人」と思う人もいるでしょう。「これからは、そんなことなんて起きないから関係ないさ」「恋人とのベットタイムは譲れない」(dどこかで読んだセリフ)と思う人は、多いと思うのです。

この特攻隊員は、当時特殊な人ではありません。勿論大学出ということでは、少数の超エリートですが、「お国のためには、家族も捨てて死ぬ」という点では、当たり前の人でした。私の義父(現在90歳)も「震洋」という特攻隊員でした。モーターボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりする特攻隊です。出撃寸前に戦争が終わり、生き延びました。当時17歳でした。彼に聞きますと、「お国のために死ぬのは当然」「親や家のために役だつのでよいこと」「特攻隊は、待遇がよくていい」と思ってたそうです。若いせいか、死ぬのは怖くなかったといってます。

実は、日本国民も、初めからこうではなかったのです
明治6年(1873年)に徴兵令(20歳以上男子全員3年間兵役が原則、一方官吏・学生・長男など免除される規定もあり)が出されますと、徴兵反対一揆がおきます。それを政府が鎮圧します。すると今度国民は、免疫規定を使っての徴兵逃れをやります。徴兵逃れの手段を教えた本がベストセラーになります。そこで政府は、明治16年(1883年)徴兵免除規定を原則的になくします。それでも、明治22年(1889年)の逃亡失踪者は、35667名(全対象者の10%)に上ります(以上は、和歌森太郎・高橋シン(?)一「日本歴史故事物語」P192より)
明治 22年(1889年)は、明治憲法大日本帝国憲法)発布の年でした。その時でも、日本国民には、兵隊にとられるのなんて嫌だと祖父母も親も子も思っていたのです。

こんな日本国民が、昭和20年(1945年)には、お国のために、必死の特攻攻撃の隊員に志願することになるのです。該当年齢の国民の1割が、法律違反の徴兵逃れをした1889年から1945年まで、およそ50年〜60年です。50年〜60年過ぎるとこのように国民は変わるわけです。いや、正確に言いましょう。政府は、国民をこのように変えることができるわけです。

どのようにして変えることができたのでしょうか。その根本は、教育の力なのだと思います。その教育の根本が、1890年発布の「教育勅語」でした。勅語とは、天皇の命令です。天皇が、教育とはこうすべきだ、というのが教育勅語です。教育の根本がこうだということですから、つまりは、「人はこう生きるべきだ」という天皇の命令ということになります。

「お前は、こう生きるべきだ」などとあなたは、天皇陛下に命令されたいですか。先生に命令されたいですか。他人に命令されたいですか。政府に命令されたいですか。安倍さんに籠池さんに稲田さんに麻生さんに言われたいですか。私は嫌だなあ。・・・「そんなこと、余計なお世話だ。バーカ。俺の生き方は俺が決める。」といいたいです。

教育勅語では、天皇が、「親孝行せよ、兄弟や夫婦は仲良く、友人を信じよ、慎み深く行動せよ、他人にやさしい心を持て、勉強や仕事を一生懸命せよ、公共を思う精神を養い、順法精神で生きよ」などと命令しています。これらは、ほとんど正しい、いいことを言ってると思いますが、余計なお世話です。天皇や政府や他人に言われる筋合いでは、ありません。私たち国民は、大抵、そんな風に努力しています。不十分ですけどね。

まあ、これだけなら、「余計なお世話」でも済ませられるかもしれません。しかし、教育勅語には、この後「国家が危険な状態になったら、自分の命を捨てても、天皇中心の日本を守れ」とあるのです。これが、教育勅語を発布した目的です。なぜなら親孝行などの道徳は、普通の道徳なのです。親孝行などだけなら、教育勅語は不必要なわけです。なぜ「教育勅語」か、それは、「国家のために命も差し出せ」ということなのです教育勅語とは、「そういう人間を作れ、そういう人間になれ」ということなのです。

教育勅語に肯定的な人は、「勅語には国家のために命も差し出せ」なんてどこにも書いてないというでしょう。

けれどどうですか、教育勅語が出される前の年、それは明治憲法発布の年でしたが、法令を犯しても、徴兵忌避したものが10%もいた国民を、その50〜60年後、母への愛に悩みながら、命を捨てて国家を守るため戦死した特攻隊員(林市造)や何の疑問も持たず当たり前に国家のため命を捨てよう考える(私の義父)国民にした事実が、教育勅語は、「国家のため命を差し出せ」という命令だという証明になります。そして教育勅語は、有効に働いたということの証明でもあります。

林市造青年は、遺書にある通り、親孝行な青年です。教育勅語の言う通りなんです。でも、これまた教育勅語の言う通り、親孝行より国家を優先し命を捨てました。これが、教育勅語なのです。「親孝行や兄弟仲良くや夫婦仲よくや勉強や仕事・・・」よりも、国家に尽くせ、国家が危ないなら、命を捨てても国家を守れなのです。「いいことも言っている」なんてことじゃないのです。何よりも国家のために命も含めて奉仕せよなのです。いったん国家に何かあったら、親も捨て妻も捨て兄弟姉妹も捨て、国家に奉仕せよ、というのが教育勅語なのです。個人のそれぞれの生き方は、国家のために生きることに違反しない限りで認められるということです。

林市造少尉の遺言を見てあなたはどう思いますか。

こんな国民がほしいなあ、と思う人もいるでしょう。
戦争をするためには、「親孝行するから戦争で死にたくない」とか「妻が大事・家族が大事だから戦争に行きたくない」とか、「戦争より勉強や仕事が好き」だとか、「他国の人にも優しく」などという国民では戦争ができませんからね。

教育勅語を道徳教育として排除できない」という政権は、結局「命を捨てても国家に尽くせ」と、国民に要求する政権なのです。皆さん、とくに若者の皆さん気を付けないといけませんよ。

国家を強調して、国家の利益を得ているのは、安倍さんや麻生さんや稲田さんやわけのわからぬ法務大臣や文科大臣と官僚と彼らの仲間です。昔は籠池さんも仲間だったのでしょう。つまりは、国家に尽くせというのは、彼らに尽くせということですよ

明治の日本は、弱肉強食の世界の中で、他国を押さえつけても、そのために戦争を起こしても、自国を保ち、発展を目指さざるを得ませんでした。実際、1894・9年の日清戦争、1904・5年の日露戦争、1914年からの第一次世界大戦、1931年からの満州事変・日中戦争・アジア太平洋戦争と戦争をしてきました。ですから戦争するための国民が必要でした。そんな国民を作ったのが、教育勅語靖国神社(国家のため死ねば神様として尊敬されるよ)という装置でした。(軍人を作ったのが軍人勅諭でしょう。それらの大骨は、明治憲法でしょう)

戦後日本は、戦争を放棄し、人権を保障し、国民が主権を持ち、自国を保ち発展させるという方法で生きてきました。(世界も、二度の大戦を反省し、侵略戦争の違法化、集団安全保障体制=国連、自由貿易体制、個人と民族の人権保障、相互経済援助の仕組み等を作りました)

その結果、台湾・南サハリン・韓国・満州国南洋諸島等、戦前の日本が、自国民の命と他国民の命を代償として、軍事力と侵略戦争で奪った、そのすべてを失っても、日本は大発展しました。1960年代後半からの40年以上世界第二位の経済力(GNP・GDPの面でですが)を保ちました。世界有数の長生きできる社会になりました。戦前の日本国家は、どれほどの他国民を殺し傷つけ、苦しめたでしょうか。戦後は、日本は国家として他国民を殺傷してはいません。

戦後の日本が、戦前の日本より圧倒的に正しく良いのは、明白でしょう。

戦前の日本の教育の中心は、明治憲法教育勅語です。戦後の日本の教育の中心は、日本国憲法教育基本法でした。戦後すぐ教育勅語は、治安維持法と並んで悪法として排除されました。排除が正しかったのも、明白でしょう。それなのに現政権は、教育勅語を排除しないというのですから、危険な政権です。私たちは、「安倍政権に代わる受け皿がない」なんて、黙って見ている事態ではないと思います。


第一次安倍政権は、自民党念願の教育基本法改正に成功しました。元の教育基本法にはなかった、「伝統と文化の尊重と郷土愛・愛国心」を目標に入れました。旧教育基本法の冒頭は、「日本国憲法の理想を達成するために、教育はある」ということを明確にしていましたが、安倍政権の教育基本法改正は、これを不鮮明にしました。(ネット検索・新旧教育基本法対照表を参照して下さい)

当たり前ですよね。すぐ思いつく通り、憲法改正を目指すのが安倍政権なのですから。近頃言いませんが、安倍政権の基本方針は、戦後レジームからの脱却なのですから。それが間違っているのは、戦前との比較で明白でしょう。

籠池さんは、「第一次安倍政権で教育基本法が改正されて、愛国心が教育の目標に入れられた。そんな教育の先導役になるため私は、努力してきた。小学校設立がその一番の目標だ。つい近頃まで、政権側は、それを後押ししてきたはずだ。だからこそ、無理も通ったのだ。それをなんだ。俺を切り捨てやがって。よーし。裏切りには、眼にもの見せてくれる」として証人喚問の発言となったのです。

安倍さんの秘密保護法=国民知る権利否定=国民主権否定安保法制=戦争に参加の可能性増大=平和主義否定、教育基本法改正・教育勅語肯定=個人より国家優先=人権抑圧共謀罪人権抑圧、これらすべては、戦後を否定する思想です。そしてその仕上げは、日本国憲法改正です。どのような国家を目指すかは、2012年(平成24年)発表された自民党の「日本国憲法改正草案」に明白です。ネットで、現行憲法との対照表になっています。

現行憲法の、国民主権基本的人権尊重、平和主義を否定する傾向がはっきり見えます。三権分立では、行政の力を強くしようとしています。戦後の否定です。安保法制と教育勅語肯定は、米国の戦争に参戦できるようにする施策の一環です。

高齢者にも、中年の方々にも、若者にも閉塞感があるのは事実でしょう。そのために、国家に頼るという気持ちが芽生えるのも当然だと思います。しかしながら、安倍自民党政権下の政策(国家権力の強化)は、すべての年齢層の人権を抑圧する方向で、戦後の良さまで奪ってしまうものと、私には思えます。



あなたは、林市造少尉の遺書を見てどう思いますか。

私は、こんな苦悩を青年に与えてはならないと思います。国家優先と親孝行の間に苦しみ結局国家に命をささげる、私は、そんな生き方を若者にさせたくないです。

今は年寄りも若者も自分の生活優先ができています。国家がこう生きなさいという社会ではありません。しかし、教育基本法が改正され、人権抑圧の諸法制(通信傍受法・特定秘密保護法・「共謀罪」設置法等)が整備され、憲法が改正され、官僚が権力を忖度し、国民が自分のことだけ考えていて声を挙げなければ、自分の生活優先だって出来なくなるでしょう。
徴兵忌避=自分の生活優先の国民が、お国のために生きる(実は権力者・支配層のために生きる)国民に50年後にはなったように。


安倍政権には退場してもらいましょう。彼が作った秘密保護法と安保法制廃棄しましょう。教育基本法も、もとに戻しましょう。教育委員会を公選に戻しましょう。初心に帰り、憲法の理想の実現に少しでも近づくようにしましょう。自民党政権が、70年かけて壊してきた日本国憲法の要請する社会の実態は、だいぶ壊されてきたと思います。しかし、条文は、まだ一字一句も変えられていません。憲法最高法規であることは、永遠不変のことです(明治憲法最高法規でした)日本国憲法最高法規故、この憲法の嫌いな自民党は、解釈を変えて、実態を変えてきました。自民党を選んで来たのは、国民です。「恋人とのベットタイムは、譲れない」と思う若者は、もし万一徴兵制になっても、親のそばにいるのが親孝行と思う人は、子供や孫に人間らしい生活をさせたいと思う人は、今の自民党を支持してはいけません。