江の島・鎌倉・「東京の桜」旅の雑記

落差
われら夫婦の前回の旅は、6泊7日の新幹線グリーン車を使っての旅でした。今回は、3月28日から二泊三日の上記の旅です。違うのは、交通手段です。青春81切符を使った旅でした。オット、青春18切符でした。各駅停車の旅行です。勿論経済上の理由です。この切符は、確かに交通費は、安いですね。相馬・鎌倉・東京を動き回って、二人で1万2千円弱なのですからね。その代り腰が痛い。

鎌倉では、ホステルなるものに泊まりました。簡単な朝食付き二人で1万3千円でした。二泊目の東京は、銀座のビジネスホテルでした。素泊まりで、二人で2万円でした。この違い!「銀ブラ」とか「♪銀座の柳♪」とか聞いていて、銀座ってどんなところだろうと思って泊まりました。結論、・・普通の都会でした。ホテルの若い従業員に聞いても、「銀座の柳」って何?という感じでした。「柳通り」を見つけました。柳葉が伸び始めていましたが、[銀座柳通り」に、特に風情を感じませんでした。

電車で東京が近くなると、「行けども行けども人家が尽きない」ことに、驚きを感じます。こちらでは、駅を過ぎるとすぐ人家が尽きて、田畑や丘や林になります。♪汽車汽車ポッポポッポ、しゅぽしゅぽしゅぽっぽ・・・畑も飛ぶ飛ぶ、家も飛ぶ・・・♪の世界です。都会では、畑は飛び去りませんし、家も次々やってきます。

かの有名な六本木ヒルズの森ビルというところに行って来ました。屋上からの東京の夜景を見ました。美しい夜景です。光があふれています。このきらめく夜景の下には、老若男女、金持ち・貧乏人、日本人・外国人、様々な人々が活動しているのでしょう。運・不運、幸・不幸、美醜、愛憎、喜怒哀楽、天国と地獄、成功と失敗、人を思う気持ちと孤独、様々な人の生きざまや運命が、息づいているのでしょう。

多分六本木・森ビルでしょう(間違ってたらごめん)

常磐線原町駅から竜田駅間は、代行バスです。まだ常磐線の鉄路は復活してません。原発事故のためです。行きも帰りもバスは、11名の乗車でした。この路線は、双葉・大熊など帰還困難地域も通ります。昼間のバスの車窓からは、工事現場と黒いフレコン(除染土などを入れるもの)の山並みが見えます。作業員と警備員以外には、誰もいません。

双葉町の立ち入り禁止です

フレコンバッグです


「旧エネルギー館」とバスの車掌は言いました。ここは、原発事故前、原発の安全性・経済性・発展性などを積極的に宣伝していたところです。子供たちが小さいころ、私たち家族も訪問し、ノートをもらいました。小中高の遠足や研修にも使われたところです。「安全神話」の宣伝館でした。

帰りは、同じところを、夜8時から9時台に通りました。左右に人家の灯が見えません。今もって人が住めないからです。バスの前方には、空間放射線量のmicro;㏜数値が刻々と刻まれていきます。一番高かったのは、大熊町に入って10分後ぐらいでしょうか、4.90µ㏜/hを計測しました。µ㏜電光掲示板は、美しく光って、残酷な数値をうち出していました。写真を撮ったのですが写っていませんでした。

今日3月31日と明日で、浪江・富岡・飯館・川俣の殆どが住んでいいことになります。政府方針が、年間20m㏜以下は居住OKになったからです。しかし、20m㏜以下が安全という証明はありません。かつては「1m㏜以下に」というのが合言葉だったはずです。このご都合主義よ。

観光地や都会と原発被災地の落差は、目も眩むほどです。被災地以外では、原発事故はなかったこと、終わったこととみていると思います。こんなことでは、また原発事故が起きるよ。

少し変わった食べ物
鎌倉由比ケ浜大通り?でラーメン屋に入りました。夕食です。私は塩ラーメンを、妻は醤油ラーメンを注文しました。そのどちらも私たちの想像とは違ってました。この二つに共通するのは、どちらも豚骨スープのようなスープでした。鎌倉のラーメンが違うのか、この店だけが違うのか、私たちの常識が間違っているのか、分かりません。

今話題の築地市場で、寿司を食べてきました。昼食です。この寿司が珍しい。シャリが白ではないのです。握っている職人に聞くと赤酢のシャリなのだそうです。赤酢を使っているのは、この店ともう一軒だけなのだそうです。味は、普通の酢飯の方がうまいと思いました。築地市場は、瞥見ですが、古く汚く感じました。分厚くコンクリートを打つなどして、豊洲を安全にして移転した方がいいのでは、と思いました。食べ物はそんなに長く置かないので、汚染することもすくないだろうから、豊洲の方がいいのでは、なんて思いました。ど素人の考えです。勿論行政の責任問題は、別できちんと追求すべきです。

リス
鎌倉のホステルの前は、民家です。いや住宅街に建てられたホステルといった方が正確なのかな。朝、その宿からリスを見ました。柑橘類の木から隣家の木へ移っていきました。同じ日、鎌倉大仏の前でもリスを見ました。向かって入口左の木の上で見ました。どちらも、カメラを用意しているうちに姿を消しました。鎌倉はリスが多いのでしょうか?鎌倉には、人家近くにリスがいるのでしょうかね。鎌倉や伊豆で人家に柑橘類がなっているのを見るとうらやましくなります。甘酸っぱさと柑橘類が生ることの温かさ!

応援したい女性帰りの常磐線で、上野から取手まで乗った家族が印象に残りました。隣のブースでした。お母さんと子供5人です。子供は男の子4人と女の子一人です。子供5人ですよ。最初は、友人か親戚の子供も連れているのかなと思いましたが、妻の話によると、(妻も興味を惹かれてみてたのだそうです)「ママ」と呼んでいたのだそうです。降りるとき、上の男の子(小学校高学年)が小さい弟を抱っこして降りました。も一人の小さい子は、乳母車で降りました。うーん。大変ですねえ。でも立派です。このお母さん、産み育てようと覚悟したのでしょうから、立派です。こんな女性は、社会全体で応援したいですね。

東京人の方位感覚
銀座のビジネスホテルへ行く時です。道に迷いました。妻のスマホgoogleマップというのかナビというのか、それに頼ることにしました。ところがこのコンピューターは、行き方を指示はしてくれるのですが、私たちの進行方向と別な方向を示すので、どう行ったらいいかわかりません。「北東へ進め」なんて指示も出るのだそうです。妻は「北はどっち」なんて聞きます。私にわかるわけがありません。(もちろん私も地元ではわかりますよ。)そこで、ビルの前の警備員に「北はどっちですか」と聞くと、きょとん。変なことを聞くなという感じでした。慌てて「どうもありがとう」と私。少し行って花屋の中年の女性に「北はどっち」と聞きました。彼女は、首をかしげるのです。考え込むようなので「どうもありがとう」といって離れました。私たちは、大苦戦してホテルにつきました。ホテルで休んで六本木を目指すとき、ホテルの従業員に「北はどっちですか」と聞くと「わかりません」。そこで東銀座駅はどっちですかと聞くと、即答しました。東京に住む人は、方位なんて考えないで生きているんだと思いました(?)
外国人
江の島でも鎌倉でも東京の公園でも、外国人がとても多かった。外国人の方が、ほぼ間違いなく多かったと思います。鶴ケ岡八幡宮では、和服を着てはしゃいる欧米人を見ました。新宿御苑では、新婚衣装を着た東南アジア系のカップル数組が、桜の下で写真を撮っていました。銀座のコンビニの店長は、「王さん」で従業員は「孫さん」でした。外国とこんな深い関係で、戦争することは大損です。できないことだと思います。それぞれの国民は、それぞれの政府の、「国家第一」の宣伝に騙されてはいけません。支配者が自分たちの利権維持のため敵愾心を煽っているのでは、と疑うべきです。

その他、行ったところの一口メモ。
江の島 シーキャンドル(展望台)から見た湘南海岸の美しさ。コッキング苑の花と「マイアミビーチ」の遠望。つぶ貝のおいしさ。若い恋人たちの多さ

鎌倉大仏 優しいお顔。横から見るとうなだれているように見える姿。大風や地震津波に耐えたこと。


この高徳院の大仏様は、おなかの中に入れるのですが、入場料は20円でした。例えば100円でも、見学する人は減らないとと思うのです。あるいは20円以上のご寄付をとでも書いておけば100円を出すと思うのです。長谷寺のがめつさに比べて、なんと無欲なことと思いました。さすが国宝の大仏様は太っ腹。


長谷寺 見るものの多さ。十一面観音の巨大さ(9メートル)。なごみ地蔵や良縁地蔵など地蔵たちの可愛さ、これはほんとかわいい。金もうけの貪欲さ。

鶴ケ岡八幡宮 ここへ至る若宮大路の整備、源氏池(三島)と平氏池(四島)の由来。開催中の旗上げ祭りでの白旗上げ→源氏は白旗だが、しかし白旗を上げは降伏では?

建長寺 三門の巨大さ。方丈裏の庭園を見ながらの休憩は気分がよかった。坊さんが、墓地売買の生々しい電話をしていたこと

円覚寺 山門の立派さ。国宝円覚寺舎利殿を見た。坊さんが煙草を吸っていたこと。大方丈裏の庭園を見ながらの休憩

エルミタージュ美術館 絵画の色の美しさ。しかしどの絵画も同じように見えた。これでほんの一部とのこと、ロマノフ王朝の権力の強大さ。

井之頭公園 桜はほとんど咲いてなかった。人少なくのんびりしたかった。

新宿御苑 花は三分咲き前後か。外国人の多さ。公園の広大さ。

六義園 人の多さ。特にご老人の多さ。枝垂桜が満開であった。ここも人がいないときのんびりとしたらいいだろうなと思った。割と外国人が少なかったと思う。