諍いを昇華した唱歌 どきりとした歌詞

昨晩のNHK総合で、いい話を聞きました。「人生の最後に聞きたい歌」(原題は忘れました。こんな感じの番組でした)という番組でした。

敗戦後の引き揚げ船の中で、食べ物のことで二人の男が諍いあっていた時、目を負傷していた老婆が、小学唱歌「朧月夜」を歌いだしたとのことです。


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その歌は、船の中で斉唱となり、諍いあった男二人も唱和したという話でした。番組によれば、実話だそうです。

敗残国民の引揚げです。財産や職を失い、夢や名誉や誇りを失っての引揚げです。あるいは、家族の命や知人の命を失っての帰国です。前途に不安いっぱいの帰国でしょう。寒さや空腹に耐えての帰国だったかもしれません。傷病の身を横たえての帰国だったかもしれません。諍いも当然起きるでしょう。そんな中、人々の心を優しくしたのが、この歌だったのです。船内の人々は、それぞれの故郷を思ったに違いありません。里山・里村・里海・里川・田畑・菜の花・桜・祖父母・父母・子孫。


彼らの悲惨な境遇は、国家がもたらしたものでした。反対に、彼らの心を和ませ、慰めたのは、日本の故郷の風景日常の生活でした。(の思い出 でした)
国家は、多くの国民を不幸に陥れることがあります。

現在の教育基本法は、元の教育基本法になかった「わが国と郷土を愛する・・・態度を育成」という文言を入れました。しかし、国と郷土は、一緒にできるでしょうか?国民に多くの不幸をもたらす国家をも愛せよ、と教えるのでしょうか。

国と郷土は別のものです愛郷心は、引き揚げ船の中で自然に唱和されたように、自然に形成されるものです。愛国心は、学校教育により育成されます。学校教育は、意図的活動です。愛郷心は、ある行動を個々人に命じません。国家はどうでしょう。国家は法律という強制力で個々人に命令します。税金を払え、保険料を払え、戦争に行け等々。この二つを一緒にしている現教育基本法は、国民の目をごまかした悪法です。元の教育基本法に戻しましょう。ぜひ二つの教育基本法を読んでみてください。旧教育基本法の方が断然いいです。教育基本法は、国民に勇気と希望を与えます。新教育基本法は、国民に命令する国家という趣があります。教基法を元に戻しましょう

愛国心教育とは、個々人は、国家の命令に従うのが当然という教育になる危険性があります。「国家の施策が正しいとは限らない」のは、明白なことなのに、です。国家の政策は、(往々にして見せかけの)多数派の意思です。多数派が常に正しいとは言えません。勿論少数者が正しいとも限りません。正誤を判断するのは、一人一人の国民です。ですから、政権は、国家の名で教育を支配してはいけません。

政権の意思とは、その時々の多数派の意思なのですから。決して正しいとは限りません。
正しくとも、個人に介入してはいけない部分もあるのですから。

教育基本法第10条には「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負う」とありました。直接とは、「国家地方自治体や政治を介在せずに」という意味です。国家も自治体も政治も、場合により不当な支配に当たることが明確です。現教基法は、「国民に対して直接責任を負う」という後半を削除し、「法律等に基づいて行われる」と変更しました。国家・自治体・政治の介入をしやすくしました。それが現在の政権の教育への支配強化の情勢をもたらしています。
それでもさすがに「不当な支配に服することなく」は消せませんでした。これを手掛かりに、政権から国家から、将来の主権者である児童生徒を守りましょう。彼らは、すべてを知る権利があります。多数派の意見のみならず、少数派の意見もです。


思えば、教育基本法を改正したのは、2006年、第一次安倍政権でした。教育を政権統制のもとに置きたいという願望から改正したのでした。それは、現在の、自民党政治家による「前川氏の講演への妨害」に明らかでしょう。教育への政治介入です。あの当時彼らは「美しい日本」を標榜しました。第二次安倍政権が長くなった今、美しい日本ができたでしょうか。

美しい自然はまだ多く残ってますが、政権は醜い限りです。私は、「安倍政権の退陣」を強く希望します。

そんなことをぼんやり考えながら、原町のスタンディングンに参加してきました。参加者は8名でした。

今日私が作ったプラカードです。「怒 改ざん 自死者が出てる」の方が良かった、と今は思ってます。

あの国会喚問の時の佐川さんの態度は、何ですか。「あなたは、財務省の公文書改ざんにより人が死んだことをお忘れか」

籠池さんは、安倍夫妻に裏切られたといってました。当然でしょう。籠池さんは、改正された教育基本法の精神に沿って、その魁としての教育をしようとしたのですから。安倍政権の考える理想の教育をしようとしたのですから。だからこそ、安倍総理夫人が名誉校長だったのです。籠池学園の「安倍首相頑張れ」「教育勅語奉読」に明白でしょう。籠池さんが裏切られたと思うのは当然でしょう。
佐川さんは、同志を裏切るような安倍政権を守って、証言拒否したのです。情けない。・・・美しい国が出来上がりましたね。安倍さん。勿論皮肉です。

スタンディングでは、車の窓を開けて「その通りだ、いい、実にいい」と言ってくれた人が1名いました。あとは、ほとんど反応がありませんでした。

帰りのラジオで、懐かしい新谷のりこの「フランシーヌの場合」が流れました。1969年ベトナム反戦を訴えて、パリで焼身自殺したフランシーヌという女性を追悼した歌でした。当時私は大学一年生でした。

歌詞を聞いていてどきりとしました。
この歌の2番に「ほんとのことを言ったら、お利口になれない」という歌詞がありました。どきりとしました。佐川さんは、お利口になりたかったのでしょうか。彼には、政権を愛する心はあったのでしょうけど、いや保身だけかもしれませんけど、日本国全体を愛する気持ちはあったのでしょうか。お利口さんなのでしょうか。生き方の問題ですね。

教科になったとかいう「道徳」で、「前川氏と佐川氏の生き方」なんて、項目は良いですね。
高等学校の公民でもいいかもしれませんね。公文書改ざんは大事件です。政府の言い分・野党の言い分、識者の言い分、それぞれ紹介するのは、主権者教育そのものです。教基法改も教材にいいですね。

少し話がそれました。閑話休題
「フランシーヌの場合」の歌には、3月30日という、彼女の焼身自殺の日にちが繰り返し出てきます。そういえば、今日は3月29日です。だからラジオでこの歌が流れたのでしょう。そういえば、3月29日は、私たちの結婚記念日でもあります。37年目に入ります。


そうして、わが相馬でも桜が咲き始めました。