鹿島散歩(6)

久しぶりに早朝散歩をする。

 

このところ、朝5時から6時台は、自宅(相馬市)の草むしりに没頭していた。

 

新居が完成し、8月9日引き渡しが決まったからである。前の物置・花壇・畑の部分が草ぼうぼうで、この草むしりをしている。50坪くらいであろうか。毎日大変である。

 

まだ半分以上残っている。散歩の余裕はない。

 

という事で、これが仮住まいの鹿島での最後の散歩かな、なんて思いながら出発した。

 

今日は町なかを歩く。

 

何の変哲もない写真だけれど、「星の井酒店」に気を惹かれた。鹿島町唯一の酒造りの店であった。だいぶ前に閉店した。この建物群は、酒蔵があった所だろう。相馬の酒造店「馬陵」もずいぶん前になくなった。

 

日本酒品評会で福島県は、このところ何年も続けて金賞の数日本一を続けているが、一方では、地元の酒造店が消えていった。小売り店が地元スーパーに食われ、それが中央資本のスーパーに食われていくのと同じである。

鹿島橋である。橋には野馬追旗が掲げられている。橋ばかりではない。メインストリート両側に掲揚されている。一昨日この橋を渡って、騎馬武者が、甲冑競馬や神旗争奪戦のある雲雀が原(南相馬市原町区)に出陣した。甲冑競馬や神旗争奪戦は、ニュースで全国放送されたそうなので、見た人がいたかもしれない。

 

私は、相馬野馬追という祭り(国指定無形民俗文化財)が、いまいち好きでない。

その理由には心当たりがあるが、書かない。どうでもいい事である。

 

河川敷の親水公園の跡である。真野川ふれあい広場といった。ゲートボール、ランニング、アスレチック、サイクリングロードなどあった。2019年の台風で、「夏草やつわものどもが夢の跡」になってしまった。復旧のめどがないそうだ。自治体には金がない。

土手を挟んだ反対側は、このような状態である。左に見えるのが田んぼである。右側は元田んぼである。ほぼ同じくらいの大きさである。

 

「夏草や瑞穂の国の夢のあと」

 

左上は、カラスではない。雉である。

 

町中に戻ってきた。

地下道に貼ってある尋ね人の写真である。この写真は、全国に貼ってあるのだろう。バラバラ殺人事件、主婦殺人事件、幼児誘拐事件。

 

被害者や加害者の人生ってどんなだったのだろうか。

 

 

日本基督教団・鹿島栄光教会が経営していた幼稚園跡である。2012年とあるが、2011年

東日本大震災原発事故で廃園となったものであろう。

妻が言うには、「お坊ちゃまお嬢ちゃまが通った幼稚園」とのことだ。



 

宗教団体が、幼稚園から大学まで経営している。宗旨を教育内容にどの程度まで生かしているのだろうか。キリスト教系・仏教系大学にも無宗教・別宗教の一般学生が多くいるのだろうから、各人の自由選択授業になっているのだろう。しかし、高校以下はどうなんだろうか。

 

今回の安倍国葬では、役所・学校のお休みはないとのことである。しかし「半旗掲揚」の強制はありそうである。特に教育現場で、半旗掲揚強制反対!を言っておく。

 

幸いにして統一教会が経営する表立った学校というのは、日本にはないようである。

ネットには、統一教会の勢力の強い大学なんてのがある。都会の有名私大らしい。

 

 

イスラム過激派やオウムや統一教会と普通の宗教の違いは、犯罪を犯すことのみなのか。どこから違ってくるのか。人に生き方を教える宗教が、どこから犯罪集団となるのか。

 

私が人生上最も感動した本(最も影響を受けた本)は、高橋和巳邪宗門」である。

 

邪宗門」は、高橋の創作した仮想の宗教で、宗教の本来持っている善なるものを妥協なしに、とことん突き詰めるとどうなるか、という実験小説である。結局、戦前は大日本帝国権力、戦後は占領軍権力と全面衝突し、破壊尽くされる。

 

私は、国家権力に接近する宗教を疑う。国家権力そのものも疑う。

しかし、「邪宗門」の仮想宗教「ひのもと救霊会」も、その理想を実現するためには、宗教による権力を樹立(地方権力)しようとしたではないか?

 

 

こんな ことを思いながら、帰って来た。

 

 

 

みくに幼稚園跡から直線距離150m位か、我が妻など姉妹3人が通った公立保育所跡である。

 

子どもの減少と日本の衰退がひしひしと感じられる。

 

今日は、相馬のスタンデイングである。

また3つのプラカードを持って立つつもりである。