以下ネタバレかつ自分の勝手な解釈を書きますので、これから読む予定のある人は、読まない方が良いと思います。
この小説は、私にとっては難解で、それでも惹きつけられることの多い小説でした。
その理由は分かります。
難解なのは、主人公の人生が時系列で述べられていないからです。
主人公がこれを言っているがいつかが、分かりません。生きているのか、死んでいるのかも判然としません。
惹きつけられる理由は4つあります。
第一は、主人公の出身地です。
私の町(福島県相馬市)の南隣、福島県相馬郡鹿島町右田(現在は南相馬市鹿島町右田)が出身地です。私は右田浜で泳いだことがあります。そのほか、常磐線、野馬追、原ノ町駅、勝縁寺、新田川、ホッキ取り、八沢、鹿島中学校、原町高校・・・皆なじみのものです。妻や義妹は鹿島中学・原町高校出身です。原ノ町駅前で2014年以来現在まで、9の付く日にスタンデイングをしています。
第二は、主人公が生活した上野公園です。上野は、東京では一番馴染みの場所です。東京文化会館、国立科学博物館、美術館、不忍池、精養軒、上野駅、西郷像、寛永寺・・、結構知っている所です。公園内をほっつき歩いたことは何度もあります。桜の下、外国人が花見をやっているのを見たこともあります。
つまり、主人公の生きて死んだ土地を知っているという事が、惹きつけられる大きな理由です。
第三は、宗教です。宗教にはもともと関心がありましたが、義母の死去に伴う葬儀で自分の死と葬儀を想像し、宗教にさらに関心が高まりました。
しかし、宗教については、この小説から離れて様々な思いが兆すので、別に書きたいと思います。
第4には(これが大きいですが)主人公の人生に強く興味を惹かれるからです。
主人公は、平成天皇と同じ昭和8年生まれで、多分平成18年11月20日鉄道自殺した72歳の男です。なぜ多分なのか?それは明示してないからです。でも作者は暗示しています。・・・(注:私の読解が間違っているかもしれません)
例えば冒頭、「ズダズダに引き裂かれたけど、音は死ななかった。」
例えば、上野駅で30代半ばの女性とすれ違い「…彼女が目撃しないで済んだ、という事にほっとした」「山手線内回りを一本見送り、次の列車が到着するまでの3分間・・ジュースを二口だけ飲んでごみ箱に捨てた」・・・
その瞬間は、電車の近づく音の描写に続いて、「心臓の中で自分が脈打ち、叫び声で全身がたわんだ。真っ赤になった視界に波紋のように広がったのは、緑だった。」と描写されます。
男は、上野公園で生活するホームレスです。なぜホームレスになったか。男は妻節子に死なれます。娘洋子が心配し、原町市に勤める孫娘麻里をよこします。麻里は、良く面倒を見てくれましたが、それが主人公には負担となります。「この家には戻りません、おじいさんは東京へ行きます。探さないでください。」という置手紙を置いて故郷を捨てます。67歳の時です。
死んだ男の真っ赤な視界に広がる緑は、故郷の田んぼです。男の魂は、常磐線に乗り原ノ町駅から懐かしい故郷鹿島へ行きます。そして生まれた右田浜を歩きます。・・帰りたかったんです。しかし、帰れませんでした。そして、男の魂は、あの東日本大震災の津波で、愛する孫娘が死ぬのを目撃します。
なんとまあ、死ぬことの多い話でしょう。父母、妻、孫娘、ホームレス仲間のシゲちゃん・・。しかし、生前の男にとって一番の痛手は、長男浩一21歳の突然死(自然死)でした。昭和56年のことです。浩一は、節子が難産の末、今の天皇と同じ日(昭和35年2月23日)に生まれたので、浩宮の名前を一字もらい、浩一と名付けたのです。
男の人生は、働きづくめの人生でした。自分の下に7人の兄弟がいます。敗戦の年国民学校を卒業した男は、福島県小名浜漁港に漁の出稼ぎ、その後地元でホッキ漁、浩一が生まれた年からは、北海道でコンブ漁の出稼ぎ、昭和38年からは東京へ出稼ぎ、東京オリンピックの前年でした。
その後どのくらい出稼ぎしてたか、精読すればわかると思うのですが、あまり重要とも思えないのでしません。
ある時の、男の述懐「結婚して37年、ずっと出稼ぎで、妻の節子と一緒に暮らした日は全部合わせて1年もなかったと思う」で、想像がつきます。
男の人生は、簡単にまとめると、貧乏な家族のため、12歳から出稼ぎで働きづくめに働き、21歳の長男さらに妻に死なれ、孫のことを考えて、上野公園でホームレスになった男と言えそうです。
厳しい人生です。一方私は、ホームレス生活を除いて、ありふれた人生とも思います。この小説はフィクションですが、ノンフィクション「うみよ眠れ」でも、戦前には兄弟姉妹が多かった。兄弟や家族の為兵士になった男が多かったと思いました。
戦前の兵士が戦後は、都市部への出稼ぎに替わったと言えるかとも思います。そこには、戦争で食っていた戦前日本、都市部を中心とした経済成長で食っていた日本が表れています。そういえば高度成長時代、労働者は産業戦士とよばれたこともあります。
我が家系を考えても、出稼ぎ→東京定着は普通でした。父方の兄弟姉妹10人中、6人が東京・神奈川で働きに出て、そこで生涯を終えました。母方では、兄弟姉妹8人中、5名が何らかの形で東京へ出稼ぎ、そこで生涯を終えました。実家(宮城県丸森町)を継いだ叔父も長く出稼ぎをしてました。長女のわが母も若いころは東京の鐘紡で働いてました。私は昭和48年会津地方で働きだしたのですが、下宿先のご主人は、年中出稼ぎでした。ダンプ運転手でした。
戦後の経済繁栄も、この男のような田舎出の低賃金・長時間労働が支えていたわけです。
作者は、恐らく意図して、そしてこの文庫本解説者は明らかに、この底辺の労働者と天皇家を対比して考えていますが、それを私はあまり意識しませんでした。
確かにこの男の死んだ日には、上野公園では、天皇巡幸の為、ホームレス排除(山狩り、行政は、「特別清掃」と言ってました―ロシアの特別軍事作戦が連想されます)が行われています。
この男は、戦後の昭和22年原ノ町駅で昭和天皇の行幸に会い、万歳をしています。死んだ日にも平成天皇の車列に手を振ります。
しかし、この男の通常の生活意識の中に天皇はいません。天皇がこの男の生活行動に影響しているとは思えません。この男は、家族の為必死で厳しい労働にたえるだけです。
確かに、死んだ日この男は、天皇のため排除される時「(ホームレスの普段の生活して)何の不都合があるか、何を害したり、侵したりするというのか、・・・誰が困って誰が怒るのだろうか」と言います。天皇の為の規制に反発します。しかし、一方遠ざかる天皇の車列に手を振ります。
この男は、天皇制を許容しているように見えます。
根本的に考えれば、天皇制は生まれによる身分という差別でありますが、天皇家自身も自由な行動ができないという逆差別に生きてます。天皇制はなくした方が絶対いいと思います。国民主権にとって安全でもあります。しかし、なくす努力よりも、もっともっと力を注ぐべきものがいっぱいあります。天皇制にかまってられないというのが私の実感です。例えば、「親ガチャ」による差別の方がもっと大きな問題です。
話を戻します。
「だれが困ってだれが怒るというのか」に続いて、男は言います。「ただの一度だって他人様に後ろ指をさされることはしなかった。ただ慣れることができなかっただけだ。どんな仕事だって慣れたが、人生にだけには慣れなかった」と。
12歳からただ働きづくめに働き、出稼ぎ故家族と一緒に過ごせず、21歳のこれからという長男を失い、65歳の妻を失い、孫の為ホームレスになるという人生に、いったい誰が慣れるだろう。こんな人生を、これで良しとだれが肯定できるだろう。
この男を一番可哀そうに思ったのは、めったに一緒に居れない娘・息子と隣の原町に遊びに行った時、息子浩一が切望したヘリコプターに乗せられなかった時です。お金がなくて、です。
繰り返しますが、戦後日本の繁栄は、こんな人が底辺で支えたものと思います。格差は確かにありました。私自身が生徒の頃、格差を感じてました。我が家は貧乏でした。
父は占い師でしたが、収入が少なく、母が日雇い労務者(土方)で生活を支えました。
ただ、だからと言って戦後日本を私は否定しません。肯定します。公害はひどくなりましたが、経済成長ができました。一時期は、世界のGDPの15%を占めました。人口は世界の数十分の1しかないのに、です。世界トップクラスの長寿国でもあります。安全な社会です。
家族の為兵士になるよりは、まだ出稼ぎの方がいい。戦前の小作人よりは自分の田畑を持つ方がいい。戦後、戦死した人はいません。米国従属国ではありますが、戦後補償も不十分ですが、他国に戦争を仕掛けたり、武力による威嚇はしてません。
現在は、日本全体が落ち目であり、さらに相変わらず日本は、この男同様の底辺の存在が、底辺で支えているのは間違いありません。非正規労働・エッセンシャルワーカー・
臨時雇い・ダブルワーカー・・・。
全体をどうするか、底辺をどうするか、これが問題ですが、それを決める政治は今でも形式的には、国民の手にあります。
国民が、実質的に政治を取り戻し、全体・底辺への目配りに覚醒し、賢く行動すれば今よりもっと住みやすい社会になるでしょう。
まとまりのない感想文となりました。まあ、備忘です。