戦後は何かを意図的に忘れてきたのか

角田光代「笹の舟で海を渡る」を読みました。感想を書きます。
(1)母娘という関係は、難しいこの長編小説は、いろんなテーマを含んでいると思いますが、母と娘(特に長女)というテーマも大きいなあと思いました。主人公左織と長女百々子は、対立し、結局分かり合えません。母親左織は、娘百々子を愛してないことを自覚し、それを気にかけ取り繕うように行動しますが、娘は、それを敏感に察知して、かえってこじれてしまいます。なぜ左織は、娘を愛せないか。自分の分身でありながら自分の思うようにならない存在だからなのか。そんなら沙織は息子を愛するのはなぜなのか。わかりません。

(2)人は、自分の人生を、自分の意思で決定して生きているのか
この小説を読んで、こんなことを思いました。左織は、与えられた環境に順応して生きていく生き方と思いました。親友風美子は、自分の人生を自分で作り出して生きていく女性と思いました。
果たして人は、自分の人生を自分が思うように生きているのか。自分のことを振り返ってみますと、半々かなあと思います。
仕事は自分で選びましたが、仕事は思ったようにはすることができませんでした。妻は自分で選びましたが、妻は自分の思うようにはなりませんでした。友人は、与えられた環境で選んできましたが、これまた思うようにはいきませんでした。こんなこと、当たり前ですよね。

(3)この小説は、学童疎開を経験したという幼児体験が人生を左右するということも示していると思いました。風美子は、学童疎開という与えられたつらい経験から、自分の人生を与えられるのではなく、自分で作り出すという強い女性です。左織は、学童疎開というつらい体験を忘れようとして忘れ、与えられた環境を適応して生きていきます。どちらがいいということではありません。人は、つらい体験を乗り越えようとするのか、忘れようとするのか、どちらもありますが、どちらがいいのか、これまた、簡単には答えられません。

(4)つらい体験を乗り越えようとするのか、忘れようとするのかというのは、戦後の日本国の生き方の問題でもあると思いました。
というのは、感想は書いてませんが、近頃赤坂真理「東京プリズン」を読んだからです。感想を書けるほど十分理解できなかったから感想は書きませんでした。

話がそれますが、「東京プリズン」は、私にとって極めて印象深い小説でした。赤坂真理は、戦後日本は、隠していることがある、それを無視して繁栄を突き進んできたといいます。そうなんだろうと思います。何を意図的に忘れようとしてきたか、赤坂は、天皇の戦争責任を抽出します。それは大きな問題です。そのほかにも、東アジアへの加害責任も意図的に無視してきた大きな問題です。そして米英中に敗れたことも、敗戦したということもです。

(5)角田光代赤坂真理も1960年代生まれの人です。私より15年前後、後に生まれた人たちです。彼女たちは、戦後日本は、重要な何かを捨てて、無視して生きてきたと感じているのでしょう。戦後の虚妄を感じているのでしょう。1970年代生まれの白井聡も同様、戦後の虚妄を感じているのでしょう。1950年生まれの私は、「大日本帝国が現実というのか、私は戦後民主主義の虚妄にかける」という丸山眞男に同調します。世代の差ってのは、大きいな。どうしようもなく大きい。